大倉草紙

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【大阪】 四天王寺

2009年06月23日 21時00分00秒 | 旅 - 大阪府
2月1日(日)
当日の行程:(車) → 【博労淵】 → 【野田城跡】 → 【木邨長門守重成表忠碑】 → 【備前島】 → 【大長寺】 → 【若宮八幡大神宮】 → 【鴫野古戦場跡】【大坂城(秀頼・淀殿ら自刃の地)(淀君並殉死者三十二名忠霊塔)】 → 【本町橋】 → 【三光神社】 → 【真田丸跡あたり】 → 【史蹟岡山又御勝山】 → 【増福寺】【安居神社】【一心寺】【四天王寺】【今宮戎神社】【志紀長吉神社】 → 【真田幸村休憩所跡】【全興寺】【大念佛寺】【杭全神社】【安藤正次墓所】 → 【樋ノ尻口地蔵】 

四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立された。
聖徳太子は崇仏派の蘇我馬子と協力して、物部守屋を討とうとしたが、その戦いの形勢はよくなかった。
そこで聖徳太子は四天王像を彫り、戦いに勝ったならば四天王を安置する寺院を建立しよう、と戦勝祈願を行った。
勝利の後、その誓い通り、四天王寺が建立されたのだと伝わる。


石の鳥居(重要文化財)
扁額には、「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」とある。


極楽門


転法輪
極楽門には、転法輪が4基ついている。
合掌し、「自浄其意(じじょうごい)」と唱えて軽く右に回す。


仁王門

「四天王寺式」の伽藍配置。
南に仁王門、北に講堂、そしてそのふたつを囲むように回廊がある。
仁王門と講堂の間には、五重塔と金堂が建っている。
南側から、仁王門、五重塔、金堂、講堂が一直線上に並ぶ。


五重塔
創建以来、幾度も焼失し、現在の五重塔は、昭和34年(1959)に8度目に再建されたもの。
最上層部には、舎利塔が奉安されている。
塔を登ることもできる。
登っているときはなんともなかったが、翌日、筋肉痛になる。
そんなにキツかったかなあ?


金堂
昭和36年(1961)に再建されたもの。
四天王寺の本尊・救世観世音菩薩が安置され、その四方に四天王像を祀っている。


講堂
講堂は、聖徳太子が法華経を講讃した場所といわれる。
講堂の中は、夏堂と冬堂に分かれている。
夏堂には阿弥陀如来坐像、冬堂には十一面観世音菩薩が安置されている。


六時堂(重要文化財)と石舞台(重要文化財)
六時堂では、昼夜6回諸礼讃をすることから、その名がついたという。
薬師如来像、四天王像を祀っている。

六時堂の前に亀の池がある。
この池に架かる石橋の上に設けられた石舞台では、毎年4月22日に「聖霊会舞楽大法要」が行われる。


太子殿猫の門
なぜ、猫の門?と思ったら、


猫発見!


聖徳太子を祀っている太子殿


元三大師堂(重要文化財)
元和4年(1618)建立。
おみくじの創始者である元三大師を祀っている。


四天王寺の御朱印