大倉草紙

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【大阪】 大坂の陣ゆかりの地⑯ 一心寺

2009年06月19日 21時00分00秒 | 旅 - 大阪府
2月1日(日)
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仁王門
一心寺は、文治元年(1185)、法然上人が四天王寺の管長・慈鎮和尚(慈円)の招きでこの地を訪れたのがはじまり。
大坂の陣では、徳川家康の陣が一心寺に置かれていた。

仁王門は、平成9(1997)年に完成したもの。
仁王像は、素手で裸形。
武器を持たず悪に立ち向かい、人々の邪心を戒める姿を表しているのだという。


本堂


納骨堂
一心寺では年中無休で施餓鬼法要を行い、宗派を問わず納骨を受け入れているためか、境内は参詣者が驚くほどに多い。
とくに、納骨堂のあたりは混み合っていた。


開山堂


本多出雲守忠朝の墓
大坂夏の陣の天王寺・岡山の戦いで討死した本多忠朝の墓がある。
大阪冬の陣のとき、お酒を飲んでいたために敗退した本多忠朝は、家康に叱責されたという。
そこで、夏の陣では汚名を晴らすために奮戦戦死したといわれる。
死に臨んで酒弊を悔い、「戒むべきは酒なり。今後わが墓に詣でる者は、必ず酒嫌いとなるべし」と言い残したことから「酒封じの神」となり、禁酒を誓う人が墓を詣でるようになったそうだ。


一心寺の御朱印