大倉草紙

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【奈良】 志賀直哉旧居

2008年10月13日 17時37分37秒 | 旅 - 奈良県
7月12日(土)
本日の行程:(近鉄・奈良駅) → 【国宝 法隆寺金堂展(奈良国立博物館)】【志賀直哉旧居】【新薬師寺】【元興寺】 → 【元興寺塔阯】 → (近鉄・奈良駅~西ノ京駅) → 【薬師寺】


   

志賀直哉は、大正14年(1925)京都の山科から奈良の幸町に居を移す。
奈良の文化財や自然への憧れが強かったようだ。

「志賀直哉旧居」として公開されているこの高畑の家は、昭和4年(1929)に建てられた。
現在は、奈良文化女子短期大学のセミナーハウスとしても利用されているようである。
直哉自身が設計の筆をとり、建築は、数寄屋造りに巧みな京都の大工に依頼した。
直哉は、ここに昭和13年(1938)まで住んでいる。
「暗夜行路」を完成させたのもこの家だ。

「志賀直哉旧居」は、住まいのみを公開していて、文学資料等は一切ない。
パンフレットには次のように書いてあった。
「志賀直哉は没後に資料館や文学碑などを建てられることを嫌い、年忌も営まないよう遺言、作品の中にも書いている。遺族の方々も個人の遺志を尊重し資料など展示しないよう申し入れがあり見合わすことにした」


   
                  書斎

この書斎で「暗夜行路」を完成させた。
書斎へは、関係者以外は立入禁止。
子どもたちも入ることができなかったようだ。


          
                  茶室 

   
               子供たちの寝室

   
                直哉の居間

          
                サンルーム

このサンルームで、訪れてきた高畑近辺に住んでいた画家や文人たちと芸術を語り、麻雀、囲碁、トランプ等の娯楽に興じたそうである。
「高畑サロン」とも呼ばれた。


   
             庭から望む志賀直哉旧居


   
                 小プール

大きなプールは高額なので、小さなプールになったらしい。