大倉草紙

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【京都】 願徳寺

2008年10月07日 05時43分39秒 | 旅 - 京都府
6月28日(土)
当日の行程:(車) → 【石清水八幡宮】【淀城跡】 → 【與杼神社】【天王山】…(宝積寺)…(自玉手祭来酒解神社)…(大山崎町歴史資料館)【勝竜寺城公園】【長岡天満宮】【光明寺】【大原野神社】【勝持寺】【願徳寺】【善峯寺】【長岡宮跡】【桜井駅跡(楠木正成伝説地)】


   

願徳寺は、白鳳8年(679)、持統天皇の勅願により、向日市寺戸に創建された。
当時の本尊・薬師如来は、現在、広隆寺に安置されている。
かつて願徳寺があった場所からは、平成15年(2003)に、9世紀より前に造られた湯屋跡が発見されたらしい。
平安時代から鎌倉時代にかけては、天台密教の大寺院だったが、応仁の乱と信長の兵火によって衰退する。
昭和に入り諸堂の荒廃が進み、昭和37年(1962)、本尊・如意輪観音および諸仏は、勝持寺へ移される。
その後、勝持寺の隣の現在の場所に願徳寺が再建され、平成8年(1996)に本尊・如意輪観音像と諸仏は勝持寺から願徳寺へ戻ってきたそうだ。


          

「国宝・如意輪観音」の文字を見て願徳寺を訪れたのは、勝持寺をお参りしたあと。
入口でチャイムを押し、来意を告げる。
境内に入ると、住職が、すぐにお堂に案内してくれた。
お堂の照明は落とされ、如意輪観音菩薩半跏像(国宝)だけが灯りに照らされる。
榧(かや)の一木から彫られている如意輪観音菩薩半跏像は、色彩や金箔は施されていない。
艶のあるその木肌は、1200年の間に自然と変化したものだという。
間近に座していると、自然と背筋が伸び、心が洗われるような気がする。
衣紋がとても美しい。

如意輪観音菩薩半跏像のほかには、薬師瑠璃光如来(重要文化財)、青不動明王、聖徳太子二歳像が安置されている。
いずれの像に関しても、住職が分かりやすく解説してくださる。

このお寺に偶然巡りあえたことに、感謝する。


   
               6世紀頃の棺

境内には、播磨の凝灰岩からできている6世紀頃の棺が置かれていた。


          
               願徳寺の御朱印