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【大阪】 佐伯祐三展 ―パリで夭逝した天才画家の道― (大阪市立美術館)

2008年10月15日 20時49分47秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
          

大阪市立美術館にて、佐伯祐三展を観る。
展覧会は、5つのブロックに分かれていて、所々に、佐伯ゆかりの画家たちの作品が展示されている。

1.凝視する自己・自画像の時代 ~東京美術学校時代からパリまで~
タイトルの通り、佐伯祐三ってナルシストではないだろうかと思うほど、自画像だらけ。
観ていて、あまり気分のよい作品ではなかった。
その上、この時代のタッチは好みではない。
ライフマスクもあった。
いったい、どういう意図でライフマスクを作ったのだろうか。


2.ヴラマンクとの出会い ~第1次パリ時代~
里見勝蔵と共にヴラマンクのもとを訪れ、「アカデミック!」と一喝されて画風が変わるというエピソードはよく知られている。

          
            「立てる自画像」(1924)

確かに、今まで観てきた自画像と、同じ人物が同じ人物を描いたものだとは思えない。

   
     「壁」(1925)              「人形」(1925)

この時代の作品は、急に魅力的になる。
建物を描く絵具は厚く重ねられ、絵画というよりも、建造物を観ているような感覚に襲われる。
「人形」には、なんとも言えず惹かれるものがある。
佐伯は、この人形をオペラ座界隈の骨董品店で買い求めたそうだが、それは、当時の1ヶ月の給与に相当するほど高価なものだったらしい。


3.帰国時代
兄の説得により、佐伯は大正15年(1926)にやむなく帰国する。
展示されている帰国時代の作品15点のうち、6点が下落合の風景である。
佐伯は、大正10年(1921)から渡仏する13年(1924)までと、大正15年(1926)から再び渡仏するときまで、新宿区下落合(現在は中落合)に住んでいた。
旧居跡は、「佐伯公園」となっていて、アトリエが残っているらしい。
「下落合風景」のうち、個人蔵となっている作品に、とりわけ心惹かれた。
林立する電柱が印象的だ。


4.燃え上がる情熱、パリ ~第2次パリ時代~
風景画の中に広告文字が躍る作品が多い。

          
              「広告塔」(1927)

   
             「ラ・クロッシュ」(1927)

広告文字がカラフルなせいか、明るい印象を受ける作品が多い。



5.画家・佐伯祐三、最後の3ヶ月。モラン、そして死
このブロックにある作品が、いちばん明るい色調だった。
死の直前なのに。意外だ。


   
              「煉瓦焼」(1928)

かわいらしく、絵本に出てきそうな建物だ。
資料として展示されていた「佐伯祐三遺作展覧会」のポスター(山本發次郎氏所蔵)には、この作品が使われていた。

   
   「郵便配達夫」(1928)       「ロシアの少女」(1928)

「郵便配達夫(半身)」のほうは、過日、大阪歴史博物館で観たが、こちらのほうは実物を目にするのは初めて。
この傾き加減がいい。
「郵便配達夫」は、具合が悪くなってから室内で描いたものらしい。
「ロシアの少女」を描いた後に、結核が進行し喀血したという。


   
           「カフェ・レストラン」(1928)

この展覧会のチラシにも使われている作品。
4人の人物は、みなメガネをかけているように見える。
口ひげを生やした人も2人。
コミカルな感じがする。
死を迎える年、佐伯は精神錯乱に陥り自殺未遂をしている。
作品を観る限り、とてもそんな風には思えない。

昭和3年(1928)、佐伯祐三は30年の生涯を閉じる。
20代前半、半年の間に、父親と弟の病死、兄の婚約者の自殺を経験した佐伯は、死を強く意識するようになったという。
渡仏後は、「僕は胸の病気のような気がする。30歳には死ぬよ」と語っていたそうだ。
言霊か。
佐伯から結核が感染した娘・彌智子は、同じ年に6歳で亡くなっている。
妻の米子はふたりの遺骨を持って帰国したという。