大倉草紙

旅の記録 食の記録 日々の記録

【大阪】 大阪くらしの今昔館 常設展

2008年10月30日 15時54分22秒 | 美術館・博物館・記念館・資料館
10月16日(木)

「世界遺産をつくった大工棟梁 中井大和守の仕事」を見た際に、常設展も楽しむ。

   
10階からは、江戸時代の大坂の町並みを一望できる。


   
10階から9階へ移動する途中には、徳川時代大坂城本丸御殿欄間を復元したものが展示されている。


   
9階は、江戸時代の街並みを実物大で復元している。
通りの左右には店が並び、覗いてみることもできる。


【建具屋】
   
   


【風呂屋】
   
   
朝から始まり、夜まで入れたが、火事が起こらないように夕方には火を落としていたそうだ。
「ざくろ口」という狭い入口を潜って浴槽へ入る。
湯気を外へ逃がさないための工夫だろいう。
江戸とは違って、大阪では荒い場が石敷きになっていたそうだ。


【小間物屋】
   
上段左から、櫛とこうがい、櫛とかんざし、びんつけ油(髪の乱れを防ぐためのロウと油を練り合わせたもの)とおしろい、櫛とこうがい、刷毛、
下段左から、丈長(「たけなが」和紙を細長く切って平らにたたんで元結のうえに飾りとして結ぶもの)、元結(髪のもとどりを結ぶための糸・紐)、びん出し(耳ぎわの髪を出すために工夫された歯の長い櫛)、櫛、鹿子(「かのこ」絞り模様の名は、鹿の子どものような斑からついたらしい)。

小間物屋では、店先での販売のほかに、手代や丁稚が客の家まで出向いて品物を選んでもらう販売方法もとっていたようだ。


【唐物屋】
   
   
   
   
唐物屋の4枚目の写真は、エレキテル。
平賀源内は、「人の体から火を出して病気を治す器」として治療を行った。
大勢の人の前でデモンストレーションをすることもあったという。
当時は、静電気の概念がなく、人々は驚き、日本中の話題となったらしい。


【本屋】
   


【呉服屋】
   
   


【合薬屋】
   
   
   
「ウルユス」の看板。
ここは合薬屋らしい。
では、「ウルユス」とは?
オランダから伝わった薬をもとに考えられたものなのだという。
効能は、「ぜんそく、しったん、かつけすべて うきやまひ、ちうぶ、しびれ、かんせん らうがい、ちやうまん、かくしやう、きしゆ、ちのミちのしやくき、りんびやう、せうかち、たんのはれもの、のんどのいたミ むねいたミ むなさきつかへ またハたなをかきたるやうにおぼえ、こはらちからなくむなさきはり、はらおさゆれバごぼごぼとなり はらにかたまりあり、はらなりはらはらからゑづき、むなさきへさしこミいたミ しよくすればつかえいたミ せなかのほねゆがみだるくいたみ、くびからかいなこりいたミ」とある。
何にでも効きそうなこの薬、下剤なのだそうだ。
体の中にある悪いものを外へ出して空っぽにするということで、「空」の字をばらして「ウルユス」という名になったらしい。

合薬屋の天井からは、「蒼述」「君子」「桑寄性」などの薬草が入った袋が下がっている。
部屋の隅のほうには、石臼や薬研も見える。

   
               合薬屋の台所

薬屋の台所は、一般的な長屋の台所よりも広くて使い勝手が良かったらしい。
へっつい(=かまど)は四口あり、井戸があり、走り(=流し)に水が溜めておく水槽がついているのは薬屋だけだったという。

   
               雪隠(=お手洗)


【裏長屋】
   


【火の見櫓と用水】
   


8階では、明治・大正・昭和の大阪の住まいや暮らしを模型や映像で知ることができる。

「住まいの大阪六景」という模型では、「川口居留地 ―文明開化と西洋館」「北船場 ―旧大坂三郷の近代化」「大大阪新開地 ―市街地の拡大と近代長屋」「空堀通 ―商店街・路地・長屋」「城北バス住宅 ―転用住宅と戦災復興」「古市中団地 ―計画的団地の開発」の6箇所が紹介されている。
また、住まい劇場「あの日 あの家 ―ある家族の住み替え物語」では、高度成長期に空堀商店街から古市中団地へ引っ越す様子が描かれていて、おもしろい。