大阪くらしの今昔館で、「世界遺産をつくった大工棟梁 中井大和守の仕事」を見る。
江戸幕府の大工頭を務めた中井家は、初代から3代まで、代々大和守に任ぜられ、上方にある城郭や寺社建築の設計図面を作成し、建築工事を行った。
会場には、中井大和守の正清(初代当主)、正侶(2代当主)、正純(後見役)、正知(3代当主)の手による建築設計図や肖像画などが展示されている。
だいたい、幕府の大工頭が大和守に任官されるというのは、異例の大出世といえようが、なるほどと思えるほどの大仕事を成している。
日本の文化財建造物のうち、国宝に指定されているのは214件・262棟。
このうち、江戸時代のものは65棟で、中井家が造営に携わったものはその3割にあたる19棟もあるそうだ。
また、日本の世界文化遺産11件のうち、「法隆寺地域の仏教建造物」「古都京都の文化財」「古都奈良の文化財」「日光の社寺」「紀伊山地の霊場と参詣道」の5件にかかわっているのだという。
見たことのあるあの建物も、この建物も……と驚いてしまう。
中井大和守正清の仕事
法隆寺
中井家初代・正清は、永禄8年(1565)、法隆寺門前の西里村で生まれた。
関ヶ原の合戦の後、豊臣秀頼の援助を受けて、戦国の動乱で荒廃していた法隆寺の大修理が行われた。
その時の大工棟梁が正清である。
正清は、二条城、伏見城、知恩院、内裏の作事も担当する。
ほかには、最初の東照宮である久能山東照宮の社殿、初代日光東照宮の社殿を移築した世良田東照宮の建物も正清の作。
東大寺大仏殿は、正清の手で仮堂の入用目録が作成され、後に、中井正知の手で指図が作成された。
仁和寺・金堂
現在の仁和寺・金堂は、慶長18年(1613)に正清が棟梁を務めた慶長度内裏の紫宸殿を移築したもの。
方広寺大仏殿諸建物并三十三間堂建地割図(部分)
方広寺の大仏殿は、秀吉の晩年の文禄2年(1593)に棟上が行われ、その時の棟梁司が中井正吉だった。
大仏殿は慶長7年(1602)に焼失。
秀頼は慶長14年(1609)に大仏再建の工を起こし、正清は大工棟梁に任じられている。
さて、方広寺といえば、大仏鐘銘事件で有名だが、この時に、正清は、棟札に大工棟梁の名がないことを訴え出て、このことも大坂方を困らせる材料になったのだという。
中井大和守正侶の仕事
大坂城
正清の死後、中井家を相続したのが長男・正侶(まさとも)。
正侶の相続後、最初の大仕事は、大阪夏の陣で落城した大坂城の再建だった。
二条城二の丸御殿
慶長8年(1603)、中井正清によって造営された二条城は、御水尾天皇行幸に際して大規模な修築が行われた。
現在の二の丸御殿は、その時に修築されたもの。
正侶が作事を担当している。
知恩院三門
清水寺本堂
下鴨神社楼門
上賀茂神社細殿
中井大和正純の仕事
中井正純は、初代・正清の末弟にあたる。
正純の時代は、3代将軍家光の治世と重なる。
東寺五重塔
知恩院本堂
岩清水八幡宮社殿
長谷寺本堂
このほかに、延暦寺根本中堂、高野山大塔、高野山金剛峰寺徳川家霊台なども手がけている。
中井大和守正知の仕事
中井家3代目の正知が大工頭であった時代の主な仕事は、内裏の再建だった。
寺社の再建・修理は、次のものに携わっている。
八坂神社本殿
談山神社社殿
北野天満宮本殿
ほかには、東大寺大仏殿、東大寺二月堂などもそうである。
展示品のなかには、起こし絵図もあって、覗き込むように見てしまった。
その細かさに驚く。
高台寺時雨亭起こし絵図
で、これが、高台寺時雨亭。
常設展も楽しみながら見て回った。
常設展については、後日。