大倉草紙

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【京都】 仙洞御所

2008年10月28日 05時02分15秒 | 旅 - 京都府
10月25日(土)
当日の行程:(京都市営地下鉄・丸太町駅) → 【仙洞御所】 → (京都市営地下鉄・丸太町駅~松ヶ崎駅) → 【ラグビー関西大学リーグ 立命館大学vs天理大学(宝ヶ池球技場)】 → (京都市営地下鉄・松ヶ崎駅~四条駅…阪急・烏丸駅~西京極駅) → 【サッカーJ1リーグ 京都サンガFC vs 東京ヴェルディ (西京極総合運動公園陸上競技場)】


仙洞御所は、退位した天皇の御所。
寛永4年(1627)、後水尾上皇のために造営された。
仙洞御所の建物は、安政1年(1854)の火災後に再建されず、現在では庭園と「醒花亭」、「又新亭」という2つの茶室だけが残っている。
仙洞御所の北側に隣接する大宮御所は、後水尾天皇の皇后で、徳川秀忠の娘でもある東福門院和子の御所として建てられたもの。
延享3-4年(1746-1747)にかけて、大宮御所の庭園(北池)と仙洞御所の庭園(南池)は、掘割でつながったそうだ。
庭園は、小堀遠州によって作事された。


   
              京都大宮御所御車寄

大宮御所は、現在も天皇陛下や皇太子殿下が入洛した際に使用されるという。


   
               御常御殿と梅

   
              御常御殿の松と竹

御常御殿は、大正時代に内部を洋風に改装したらしい。
ダイアナ元妃もこちらに宿泊したことがあるとか。
御常御殿の前に広がる庭は「南庭(なんてい)」。
紅梅・白梅、松、竹が植えられていることから、「松竹梅の庭」と伝えられる。


   
                 北池

紅葉まで、あともう少し。


   
                 六枚橋

   
            阿古瀬淵・紀貫之の邸宅跡

六枚の石からできている橋は、「六枚橋」。
この辺りは、阿古瀬淵と呼ばれる。
この辺りに、かつて、紀貫之の邸宅があり、「阿古瀬淵」という名は、紀貫之の幼名である「阿古久曽(あこくそ)」に由来するという。


   
                  土橋

   
                  石橋

中島へは、土橋と石橋が架かっている。


   
                  雌滝

滝というより、小川だ。


   
                  紅葉橋

紅葉橋の下で、もともとは別々だった北池と南池とがつながっている。


   
                  雄滝

南池にある雄滝。
落差は2メートル30センチ。
一枚岩を伝わって布落ちしている。


   
                草紙洗いの石

宮中での御歌合わせの会の前夜、大伴黒主は対戦相手の小野小町の家に忍び込み、小野小町が翌日吟ずる歌を盗み聞く。
そして、大伴黒主は小野小町の歌を万葉集に書き込む。
翌日の御歌合わせで、小野小町の歌が披露されると、大伴黒主は、その歌は万葉の古歌であると抗議し、証拠に昨夜小野小町の歌を書き込んだ万葉の草子を皆に示す。
小野小町は、大伴黒主が出した草子をこの石の上で洗い、新しく書き込んだ小野小町の一首だけが消えたため、身の潔白を証明することができたのだという。


   
                 八ツ橋

八ツ橋の上には、藤棚がある。
季節には、さぞかし美しいだろう。


   
                寒水石灯籠

中島にある寒水石灯籠 は、水戸家から献上されたもの。


   
                  州浜

   
                 州浜の石

州浜に敷かれた楕円形で平たい石を「一升石」と呼ぶそうだ。
石1個を米1升と取り換えて集めたので、そう呼ばれるらしい。
石の数は約11万1千個。


   
                 醒花亭

   
             李白の詩の石刷りの額

   
               付書院の違い棚

醒花亭は、南池の最南端に建つ。
こけら葺き、数奇屋造り。
醒花亭の名は、李白の詩からとったのだという。
室内に掲げられている李白の詩の石刷りの額の2行目に、「醒花」の文字がある。
茶の間の付書院の違い棚の意匠は、ユニーク。


   

今月末に、天皇陛下が宿泊なさるとのことで、庭園はいつも以上にきれいな状態なのだという。
ここにも、普段は水が入っていないのだそうだ。


          
                  氷室

氷を保存する冷凍室。


   
                 柿本社

柿本人麻呂を祀った柿本社。


   
               又新亭の中門

   
                 又新亭

又新亭(ゆうしんてい)は、明治17年(1884)に近衛家から献上された茶室。
中門は、千利休の萱門形式。
大きな丸窓が付いた建物である。
丸窓の下は欠けていて、窓は「まんまる」ではない。
これは、まだ自分は完成されてはいないということを表すのだという。