本日の行程:【大阪市立近代美術館コレクション、その誕生と成長 モディリアーニ、ローランサンから今井俊満、バスキアまで(大阪市立美術館)】 → (大阪市営地下鉄・天王寺駅~心斎橋駅) → 【女性画家の大阪 美人画と前衛の20世紀(大阪市立近代美術館〔仮称〕心斎橋展示室)】
先日、佐伯祐三展を観に行ったとき、時間の都合で常設展を観ることができなかった。
とても気になったので、もう一度、大阪市立美術館へ行くことにした。
アメデオ・モディリアーニ『髪をほどいた横たわる裸婦』(1917)
姫路で開かれていた「アメデオ・モディリアーニ展」でもお目にかかった作品。
何度観てもイイ。
塗りつぶされていない瞳は、じっとこちらを見据えている。
モイーズ・キスリング『オランダ娘』(1922)
キスリングはこのほかに、『果物のある静物』(1930)と『アンドレ・サルモン』(1912)が展示されている。
『果物のある静物』は、キスリングらしいピカピカした色調で描かれていて、みずみずしい。
『アンドレ・サルモン』は、初期のもので、画風が違う。
関根正二『天平美人』(1917)
なんとなく惹かれた作品。
関根正二は20歳で亡くなったのだそうだ。
これは、18歳のときに描いたもの。
あまりにも淡白な感じがするので、油彩だと知り驚いた。
岸田劉生『静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)』(1917)
観ていて落ち着く。
色彩が好みなのかも知れない。
この湯呑と茶碗は、親交のあったバーナード・リーチによるものだそうだ。
ほかに、アンドレ・ボーシャンの『果物棚』(1950)、赤松麟作の『裸婦』(1926-28頃)、藤島武二『カンピドリオのあたり』(1919)が印象に残っている。
2階では、「近世写生画-応挙と若冲-」「近世文人画-大雅と玉堂-」「近代日本画」「日本の書」の展示をしている。
円山応挙は『芭蕉童子図』(明和6年〔1769〕)が、伊藤若沖は『蔬菜図』(寛政8年〔1796〕)が比較的良かったか。
はっとするような感動はなかったけれども。
池大雅と浦上玉堂は、好みにあった作品と出会えなかった。
近代日本画のブロックが、一番見応えがあったように思える。
上村松園『晩秋』(昭和18年〔1943〕)
障子の破れを繕っている女性の所作が美しい。
握り鋏や花型に切り取られた紙までも、品良く感じられてしまうのだから不思議だ。
小野竹喬『秋陽』(昭和18年〔1943〕)
この作品の前では、立ち尽くしてしまった。
なんとも懐かしい感じがする。
少し寒くなりかけた頃に夕陽に照らされたこんな山の色を、かつてどこかで見たような気がするのだ。
美しい作品だ。
児玉希望『枯野』(一部)(昭和11年〔1936〕)
『枯野』というタイトルだが、あまり枯れた感じがしない。
周囲に注意を払いながら枯野を歩く狐の、自然の生き物独特の生命力溢れた鋭い視線が印象的だ。
児玉希望が自宅で飼っていた狐がモデルだというのは、意外な話だ。
先日、佐伯祐三展を観に行ったとき、時間の都合で常設展を観ることができなかった。
とても気になったので、もう一度、大阪市立美術館へ行くことにした。
アメデオ・モディリアーニ『髪をほどいた横たわる裸婦』(1917)
姫路で開かれていた「アメデオ・モディリアーニ展」でもお目にかかった作品。
何度観てもイイ。
塗りつぶされていない瞳は、じっとこちらを見据えている。
モイーズ・キスリング『オランダ娘』(1922)
キスリングはこのほかに、『果物のある静物』(1930)と『アンドレ・サルモン』(1912)が展示されている。
『果物のある静物』は、キスリングらしいピカピカした色調で描かれていて、みずみずしい。
『アンドレ・サルモン』は、初期のもので、画風が違う。
関根正二『天平美人』(1917)
なんとなく惹かれた作品。
関根正二は20歳で亡くなったのだそうだ。
これは、18歳のときに描いたもの。
あまりにも淡白な感じがするので、油彩だと知り驚いた。
岸田劉生『静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)』(1917)
観ていて落ち着く。
色彩が好みなのかも知れない。
この湯呑と茶碗は、親交のあったバーナード・リーチによるものだそうだ。
ほかに、アンドレ・ボーシャンの『果物棚』(1950)、赤松麟作の『裸婦』(1926-28頃)、藤島武二『カンピドリオのあたり』(1919)が印象に残っている。
2階では、「近世写生画-応挙と若冲-」「近世文人画-大雅と玉堂-」「近代日本画」「日本の書」の展示をしている。
円山応挙は『芭蕉童子図』(明和6年〔1769〕)が、伊藤若沖は『蔬菜図』(寛政8年〔1796〕)が比較的良かったか。
はっとするような感動はなかったけれども。
池大雅と浦上玉堂は、好みにあった作品と出会えなかった。
近代日本画のブロックが、一番見応えがあったように思える。
上村松園『晩秋』(昭和18年〔1943〕)
障子の破れを繕っている女性の所作が美しい。
握り鋏や花型に切り取られた紙までも、品良く感じられてしまうのだから不思議だ。
小野竹喬『秋陽』(昭和18年〔1943〕)
この作品の前では、立ち尽くしてしまった。
なんとも懐かしい感じがする。
少し寒くなりかけた頃に夕陽に照らされたこんな山の色を、かつてどこかで見たような気がするのだ。
美しい作品だ。
児玉希望『枯野』(一部)(昭和11年〔1936〕)
『枯野』というタイトルだが、あまり枯れた感じがしない。
周囲に注意を払いながら枯野を歩く狐の、自然の生き物独特の生命力溢れた鋭い視線が印象的だ。
児玉希望が自宅で飼っていた狐がモデルだというのは、意外な話だ。