大谷山(356m)~滝谷山(398m)1/2.5万地図[池野(岐阜8-3)]+余談
2021年 1月26日(火)
腰痛で静養中の私は、リハビリ兼ねて揖斐では一番人気、大野アルプス(大谷山~雁又)に登った。この山はブログ(※) に書いたとおり、人恋しくなった時に私は登る。そしていろんな山友と会う ※No165西美濃百名山89番目
10時過ぎ、大野町運動公園から登り出すと、先に登山の格好した3人(㊚1+㊛2)が歩いていた。この山は山が山(低山)だけにハイキング姿の人が多いので、この3人は目立った。大谷山の展望台で旧山友と会い、その3人とも言葉を交わした。僕はそのまま滝波山に向かい、山でお茶を一口飲んで帰りかけると3人が登ってき、すれ違いざま3人の一人㊛が私の名を呼んだ
話すと、私が2年前に退会した山岳会にいたとき、新人勧誘担当だったので、山で会う ”これぞ” という人にチラシを配っていたが、その人曰く7年前に僕がその人を勧誘したそうだ(顔はマスクで見えず)。しかしその人は考えたすえ、隣県のHWKの会に入ったそう。おしゃべりな私は次々と話題を変えて話し続けると、㊚の人は私の愛読書 ”こんなに楽しい岐阜の山旅100コース ”の著者Yさんだった
Y先生の本(上下)、上は最近改訂された
☆ 今日の反省など
・一昨年は冠山(ブログ20190625参照)で ”奥美濃のヤブ山 ”の著者Yさんと山頂で話したが、こうなると私の尊敬するもう一人百山百渓の著者Hさんとも山で会えるといいな
・池田山、大谷山などの山頂で、勧誘チラシは50枚ほど配ったが、入会者は女性2人だけだった。そう、男性に配った記憶はない(笑い)
・今日の女性、「7年前」と「私の名前」を覚えていた。4年くらい前にも誕生山の山頂で、10人位で酒(鍋)飲っていると〇〇さんでしょ、2年前、池田山で勧誘のチラシを頂いた、と言った女性がいた(その人はその後入会した一人)。余程チラシの出来栄えが良っかたのか、広報担当の私の名前に特徴があったか、私の名を呼んでいただいてこころ躍りました(笑い2)
・ ”HWKの会 ”はどこかで聞いた記憶があり、考えた。昨年9月26日の百々が峰山頂で10人位のグループの中の数人と話したが、名古屋のHWKの会と言っていた。この時私らは3人で登ったが、その時今日の女性2人がいたかもしれない
・腰痛で山には登るなと整体屋さんに言われているが、腰痛後低山を3回登った。いずれも下山後に更に痛くなる。まだ治っていないということだ(反省)
☆ 余談
・ラジオで今の若者には将来の夢がないと言っていた。その率は日本は世界で最下位だと。海外への留学生が少なくなっているのもその理由かな!
・子供のころお前は将来何になると兄貴に言われ、サラリーマン、と答えたら、夢がない、馬鹿かと言われた。その兄貴(三男坊)商売人に大学は要らないと言って高卒で銀行に3年勤めた後、今は30人位を使う社長になった。僕(四男坊)は4流大学出て月給取り。今でも忙しく働く兄貴(74歳)と定年後山びたしの僕(69歳)、どちらが幸せなのだろうと思う
・子供のころ親父(M45年生)が戦争の話をよく私に聞かせた。僕が子供ころは戦争漫画がまだあって、紫電改のタカ(ちばてつや)という漫画が好きだった。今でもこの漫画をときどき読みます
戦闘機乗りに選ばれる人は、精神的にも身体的にも強靭で頭脳明晰な人ばっかりだったはずだ。将来の夢、やりたいこともたくさんあっただろう。主人公 滝 城太郎は、先生になりたかった(2015.5.8 ちばてつや ”屋根うらの絵本かき ”より)・・ 図書館などでご覧あれ
私の書棚、1/72スケールの紫電改と20mm機関砲 機銃弾のレプリカ(右)