奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

焼岳 No233 0928

2021-09-29 04:07:45 | 山登り

焼岳 2393m(北峰) 1/2.5万地図[焼岳]1/5万地図[上高地]

2021年9月27日~28日

行程

9/27 12:00揖斐=山縣IC=飛騨清見=中尾温泉=16時ころ駐車地

9/28 6:30駐車地~6:42登山口~10:40山頂11:15~12:18焼岳小屋前(昼食)12:50~14:50駐車地=温泉=19:20揖斐

 いつもの山友Nさんに誘われ、Kさんも参加、前泊し、翌朝ゆっくり登山した

 焼岳は、長野県松本市(旧安曇村)と岐阜県高山市(上宝村)にまたがる。飛騨山脈の主稜線上を貫く乗鞍火山帯を代表する活火山で、名勝上高地の前衛峰として異端の山容をさらしている。・・三角点がある南がもっとも高い標高2455mの南峰である。・・登路は、①上高地から新中尾峠・・から山頂(4時間)、②飛騨側中尾温泉から新中尾峠・・山頂(4時間)、③安房峠入口手前の沢に沿ってブナ林の尾根を急登する(旧中の湯直登ルート・4~5時間)、④新中の湯ルート(標高1600m地点・3時間)、⓹西穂山荘から尾根伝い(3.5時間) ← 新日本山岳誌より

 登路は、上記④のルートが標高1600mから登るので楽だのだが、駐車場が狭いという理由で②のルートで前泊ゆっくり登山と決めた。が、標高差1200mの登山は平均70歳の我々には少々きつかった。では、写真を見ながら一緒に登りましょう

 

6:42 林道を少し歩いて登山口へ

 

7:58 登山道(登山者はNさん)

 

9:31 中尾峠手前、地熱で蒸気が登っている。触ると熱かった

 

9:35 中尾峠からの焼岳(北峰)

 

10:17 左奥に槍ヶ岳、西穂山荘の赤い屋根も見えた

 

10:23 季節外れ?のイワカガミ

 

10:45 山頂から火口湖を見る

11:54 知らない花(中尾峠から焼岳小屋の間)

 

12:01 知らない花2( 〃 )

 

焼岳小屋前のベンチで昼食をとり、下山しました 

 

12:18 新中尾峠(焼岳小屋横)の標柱 この標柱の横のベンチで食事

 

14:46 帰り、駐車地手前の林道横の地熱発電?、怖いくらい水蒸気があがっていた 

 

15:55 中尾温泉の日帰り温泉はすべて休業中。国道にでてこの温泉へ、いい温泉でした

 

☆ 今日の反省など

・焼岳は「ぎふ百山」の山と思っていたが、平日なのに山頂にたくさん登山者がいる。Nさんに「焼岳は百名山?、と聞くと”そう”と言われた。私の山の知識はそんなもの

・駐車地にトイレあり。到着時登山者の車が2台あったがすぐに空になる。前泊は我々のテントのみで駐車場独占

・前夜は七輪炭火で焼肉∔ビール、焼酎。朝は飯盒で2合のご飯を炊き、アマノフーズの親子丼、中華丼とみそ汁、ご飯上手に炊けました

・びっくりしたのは、短パン、ホットパンツで2人(両人とも単独)が登っている。奥揖斐の登山スタイルとの違いに”びっくり”、今のはやりか?。太ももの露出は日本の登山スタイルではないと思う、怪我したらどうするの

10:40 山頂にて、短パンのお姉さん、メット持っていない

10:46 ホットパンツのお嬢さん

 

 

☆ その他(9/30  5:01追加)

 私が入っているクラブの写真展、左から北海道日高山脈”1839峰”、同北見山地”大雪山縦走”の写真、両方とも「岳人2019年11月号、2012年10月号」に岳人掲示板などで紹介された。北海道の山は、2013年10月号(日高山脈・伏見岳~幌尻岳)、2014年2 月号(カムイエクウチカウシ山)も載ったが、奥揖斐の山は2回(不動山ほか)却下された。本州の山は”中央アルプス・アザミ岳のみ2014年2月号に。近くの図書館にて御覧あれ~

 写真展は、アートギャラリー「夢工房」で10月3日(日)までやっています。大垣市北方町1-1819(0584-82-2128)

コメント (2)
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鮎(川魚) No232 0921

2021-09-21 04:01:39 | 奥揖斐の料理など

鮎(川魚)

2021年 9月21日(火)

 川魚と聞いて何を連想します?、岐阜県と言ったら鮎、私が以前住んでいた滋賀県では鮎は苗(放流用稚魚)という感覚しかなく食べるならモロコ※。私の生まれた筑前甘木の筑後川上流約30km、大分県日田市の三隈川、ここでは鮎(簗)、ウナギ(※2)が有名

根尾川の簗、昨日は敬老の日、爺さんに鮎料理をご馳走した

 

 簗をネット調べると、川の瀬などで魚をとる仕掛けの一つ。木・竹を並べて水を一か所に流すようにし、そこに来る魚を、斜めに張ったスなどに受けて捕える、とある。上の絵の解説では*書記720と書いてある、日本書紀初版発行が西暦720年なのでヤナは1300年以上前からの漁法となる

 

写真は、岐阜新聞(2014年)から転写したもの、鵜匠さんが作ったなれすしの写真

 鮎と言えば塩焼きが一番だが、岐阜県人は田楽も楽しむ。私は徳山村戸入出身のH先生に食べさせてもらった鮎のなれすしの味が忘れられない。自分で作ろうとレシピを戴いたが、達筆で読めない

  

H先生の字、先生宅では鮎鍋(頭と内臓をとった鮎と匂いの少ない野菜で鍋にし、ポン酢などで食べる)もご馳走になった

 

※ 私が滋賀県に住んでいた昭和60年ころ、近畿地整から、題名(さらさ?)は忘れたが地整の月刊誌?にモロコの料理法を書いてくれと頼まれ、モロコの素焼きとホットプレートでのバター焼きなど紹介した。バター焼は湖西のある漁協でご馳走になったが、その漁協は県の水産課の人に教えてもらったと言っていた(魚の表面を少し焦がすのがコツ、ビールのつまみに最高)・・モロコは当時も今も高級魚(卵を持った春が旬、鮎より高い)。モロコ=コイ科の魚、お千代稲荷で売っているモロコはタモロコでモロコとは違う

※2  日田簗では、鮎の塩焼き以外に「せごし(生きた鮎を骨ごとブツ切りにして生で食べる)」という料理もあった。ウナギを三枚におろし、湯通しで食べる料理もうまかった。名は忘れたがおいしいウナギ料理屋(日田杉を筏にして流す絵の掛け軸が床の間に飾ってあった)もあった(今はない)

 せごしは、筑後川の料理と思っていたが岐阜の料理本に、” 漁師たちの惣菜であったもの。普通の料理屋にはないかもしれない ”。とあった

結論

・ウナギは周年(私は羽島市の魚勝が好き、関市の辻屋はやや高い)、鮎は5~8月の天然(長良川支川の吉田川か板取川)ものがいい(簗は一般に養殖もの)。モロコは今(ブラックバスが稚魚を食うので)手に入らないだろう(当時でも堅田の漁業者から直接買いした)、鮒ずしも高くなった。アマゴは甘露煮が一番好きだが、たくさん獲れた時はバター焼が簡単でいい

・筑後川の(旧朝倉町の)漁協でフナのほぐした生卵に酢をかけたものを出されたが、これには(卵が緑色・ズルズルと音をたてて飲み込む)すぐに手が出なかった。鯉のあばら付近(漁協はカルビーと呼んだ)の厚切り刺身は脂身で美味しかった。フナの酢切り(鮒の表面を焼きぶつ切にし、酢で締めたもの)を子供のころよく食ったが筑後川下流部(久留米市や柳川市など)の人は食わないと言っていた(柳川は有明海に面しているので川魚はエツくらいしか食べない)

・鮎、ウナギも美味しいが、アジメドジョウの素揚げも最高でした(旧徳山村では「登り落ち漁」で獲った)

 

 昨日行った根尾川の鮎料理の店、子持甘露煮、刺身(各1尾)、塩焼、田楽、フライ(各2尾)、雑炊の3850円/人コース料理のみ、ビールはノンアルのみ

 

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野谷荘司山 No231 0913

2021-09-14 14:46:35 | 山登り

三方岩岳(1736m)~野谷荘司山(1797m) 1/5万地図[白川村]

2021年 9月13日(月)

行程 5:00揖斐=各務原IC=荘川IC=7:50白川郷ホワイトロード料金所=登山口:三方岩駐車場~9:22三方岩岳展望所~9:39三方岩岳~11:12野谷荘司山(昼食)11:45~14:02登山口=温泉=荘川IC=各務原IC=揖斐18:30

 当初、旅館泊りで白木峰のんびり山行を予定していたが、緊急事態延長で旅館からキャンセルされ、行先を変更した

 野谷荘司山、山名の由来は、岐阜県側の白川村野谷集落(大牧ダム建設により水没)へ流入する谷の源頭であること、「荘司」は「斐太後風土記」によれば、「塩尻あるいはロ丘(ロキュウ)とも書き、岩山で立木が目立たず、常に雪を戴ける貌」と記されており、残雪期に純白の塩をまき散らしたような山姿であることからきているようである(新日本山岳誌より)

 本日は白川郷ホワイトロードを利用し、楽に登れる三方岩駐車場(標高1445m)からの登山、では写真見ながら一緒に登ってみましょうか

 

8:32 まずはコウメバチソウがお出迎え

 

8:33 イワショウブ

 

8:38 ヤマリンドウ

 

8:39 名のわからない花(誰か教えてください)

 

8:39 名のわからない花2(ミヤマセンキュウかな? 誰か教えてください)

 

9:02 名のわからない花3(ママコナかな? 〃 )

 

9:06 笈ヶ岳と思います。2年まえ、大笠山から笈へ片道3時間のところで敗退(大笠山から笈ヶ岳20190527参照)

 

9:15 白山アップ  

 

9:22 三方岩岳と書いてあるが、ここは山頂ではなかった

 

9:39 山名板、山頂は、9:22写真から5分ほど先でした

 

9:40 三方岩岳の崖

 

10:59 野谷荘司現れる

11:12 山頂着

 

11:42  野谷荘司山頂から南方面を望む(写真のお二人は関係ありません)

 

12:03 北アルプスアップ 槍と穂高の眺め

 

12:13 帰り、野谷荘司山は今日で3度目ですが、いままで気が付かなかった山銘板がありました

 

14:10 石川県へ抜けるトンネル

 

☆ 今日の反省など

・当初白川郷 ICで降りる予定であったが、ホワイトロード料金所到着時間が7:50とナビで出たので荘川ICで降りました。それでも7:50には料金所着(有料道路は遠回りです)。ホワイトロード開門~閉門時間(6~8月7:00~19:00、9月~11月8:00~18:00)

・料金所にモンベルのマークが貼ってあったので、モンベルカードを見せると三方岩岳のバッチ(市価500円?)を戴きました(ラッキー)

ピンバッジ、右の白い花は、ニリンソウかタムシバか??、正解はなんでしょうね!!

 

・三方岩岳の山頂は展望台のあるところと思っていたが、写真9:39のところとは知らなかった

・野谷荘司山(ノタニショウジやま)と思っていたが、地元の道路標識などにはNODANI(ノダニ)と濁っていました

・5年前の8月、単独で野谷の先の妙法山まで歩いたとき7:30駐車地発、妙法山に10:50着11:05発で駐車地14:05着だった。今回のプラス1時間で妙法山を往復したことになる。5年でこうも体力低下するものか!!69歳だもんね

 

ヤマップ地図をスクリーンショット 

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熊の季節 No230 0906

2021-09-09 07:30:09 | その他

熊の季節 No230

2021年 9月 6日(月)

 No228の  ”奥揖斐の木の実・・・” で、クルミを食べている熊さんの話をした

 下の熊の写真を見ていると、撮った日付が気になり調べてみると、昨年の9月21日。場所は揖斐川本川と親谷の出会い(藤橋城から約2kmほど下流)付近。ここにはクルミの木が何本かあり、この季節、運がよければ夕方熊の写真が撮れる(危険ですので車から出ないでください)

木に登って実を食べる熊さん

 

門入Iさん小屋の壁に熊さんのいたずら 2020年 8月 5日撮影 

 

徳山白谷?を歩く熊さん 撮影日不明(徳山会館Nさん撮影)

 

★1 この3年の全国 熊(ツキノワグマ)の被害 ( )岐阜県

 平成30年 件数48(0)   被害人数50(0)  死亡者人数0

 令和元年 件数137(13)  被害人数154(14)  死亡者人数1(0)

 令和2年 件数141(2) 被害人数156(2)    死亡者人数2(0)

結構ありますね!! 

 

★2 熊と出会わないために(群馬県の資料から)

・熊鈴や、音の出るものをもっていきましょう。もしものために熊撃退スプレーを持参しましょう

・熊の行動が活発になる時間帯(早朝や夕方のうす暗い時間帯)を避けましょう。[※ 藤橋(鶴見)で今年5月、13時ころ出没、昼間は大丈夫とは言えません]

・山菜取りなどに夢中にならず、周囲の音に注意しましょう

・新しい糞や足跡を見つけた時は、すぐに引き返しましょう

★ もし熊に出会ったら?

・慌てず、騒がずに、落ち着いて、熊の距離に応じて対応しましょう。走って逃げたり、大声を出したりすると、熊がパニックになって攻撃してくる危険があります!、絶対にやめましょう[※ 背中を見せずに、熊の方を見ながら、後ずさりし、熊が見なくなったら、静かに走って逃げましょう]

・小熊の場合も、近くに母熊が潜んでいます。かわいいからと言って、近づいたり、写真撮影するのはやめましょう

・熊がこっちに気が付いていない場合は、ゆっくりと静かに立ち去りましょう

★ 熊が向かってきた場合

・熊撃退スプレーを持参した場合は、目や鼻をめがけて噴射しましょう[※ 私は熊が出そうな山では、登山口で毎回安全ピンを抜いて発射を想定する練習をして歩きだしますが、熊は突然現れますので、発射できるのは熊との距離があるときだけでしょうね!]

・もうダメだ!と思ったら、防御姿勢(お腹を地面に向けてうずくまり、頭や首を両腕で守る)をとりましょう

★ 熊の月別出没件数

 多いのは6から8月(平均200件前後)、11月(平均50件未満)から少なくなり、冬場(12月~3月)は一桁

※1~2はネットから転記、[※ ]書きはオーナーの意見

 

☆ 雑談

 昔、恋の季節という歌があった。ピンキーとキラーズ(活動1968~1972年)、ボーカル今 陽子

 港区赤坂にサントーリー・パブというサントリー直営の店があった。昭和56(1981)年ころ、出張ついでにそこへ4人で飲みにいった。キラーズは既に解散していて、キラーズのベース(ルイス高野氏)が新しいバンドを作り、そこで生演奏していた。まだカラオケが流行っていなかった時代、ボーイに「プラウド・メアリー(CCR)」と、ストップ・ザ・ミュージック(R&Rキングス)」とを書いたメモを渡し、この2曲は歌えるのでバンドに伝えてくれというと、プラウド・メアリーを歌っていいという。テーブルが30ほどあったので客は100人はいたと思う

 プラウド・・を歌うと盛大な拍手、ステージ後の休憩時間、高野氏が僕らのテーブルに来てくれて話をした。どこから来たの?、岐阜というと笑顔が消えた?、まさか僕をスカウト?と勘違いした(僕B型、うぬぼれが強い)。テーブルには二度来てくれた

余談

・ある歌番組で、司会者が今 陽子に、「夜明けのコーヒー二人で飲もうと」はどういう意味かと問うと、わからないと彼女は答えていた(彼女、当時18歳?)

・高野氏のバンドで歌うとき、高野氏かセカンドギターがこの曲を知らなかった。リードギターがこうこうとコードを教えると、それだけでバンドは曲を演奏した。さすがプロと思った

~ 熊の季節と題したのは、実はこの雑談を書きたかったから → → → 私の自慢話=1/10は本当です(笑い) ~

 

 

☆ 9月 7日、私の山の先生(神奈川Iさん)から最新の熊の情報いただきましたので18:37追加

・熊 北海道情報で桧山において二人熊鈴付けて林道移動中にひとり居なくなった。何と林道脇で待ち伏せしていたヒグマに茂みに引きずり込まれた。気付いて二人で応戦、運よく鼻先にパンチが入り撃退、けがで済んだ

・カムエクにも人に向かって来るヒグマ報告有り。もう一件類似の報告有り

・青森のプロ中のプロのマタギがそれも二人で行動中に熊に顔の皮剥がされる大ケガ、ドクターヘリで運ばれた。(2015年11日間の東北ツアーでIさん(神奈川)、Iさん(福岡)と私(奥揖斐山荘オーナー)と3人で尋ねたO岩魚旅館のご主人)一命は取り留めた

・丹沢でも人目がけて走ってくる熊がいるとの報告有り。熊は思っている以上に危険なようです

 

2019年 9月 9日 10:54 羆の爪の跡(Iさんの愛車)

 神奈川Iさんと行った日高のペテガリ岳(2泊)の帰り、ヒグマの通り道?に車を停めたのに怒ったか、車窓に羆の爪のあとが、、2019年9月「ペテガリ岳0906~09」参照

 

 

☆ 9月 9日朝追加

 昭和 49(1974)年夏、徳山村大字徳山字磯谷の彼岸谷標高403m付近で初めて熊と遭遇したとき、その熊は ”体重200kg は越えていた” と村民に言うと、笑われた。 徳山のツキノワグマはそんなにでかくならない、あんたが見たのはせいぜい60キロだと・・・野外で遭遇するとデカく見えるものだ!!

 ただ、グーグルのネットで  ”ツキノワグマの大きさ” と調べたら、200キロ超えがあったので紹介

 そんな話(200キロ超えの熊) 絶対ウソ ”って、絶対言えないネ!!

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冠山山頂付近にて No229 0901

2021-09-01 18:55:15 | 山登り

冠山山頂付近にて

2021年 9月 1日(火)

行程 7:00 JAいび本店=8:30 冠山登山口~10:05山頂~10:30 冠平で昼食~ 12:00 登山口=揖斐 1/2.5万地図は[冠山]

 

☆ 冠山、美濃徳山の地名によると、カンムリサン、標高1256m、冠とは頭に被るものの総称で、この山の姿は、引立烏帽子の形と見られる。引立烏帽子は、武士が兜の下に鉢巻でしめて着用したもの。冠山は荒々しい絶壁が多く、荒武者を思わせるような山であり、烏帽子に相応しい山である

 徳山民謡に「磯谷 磯倉 白谷 権現 冠塚でも徳山一かよ」「憂いは馬坂 辛いは冠 法の遠いは田代谷(※1)」と歌われ、近くの道は越前越えの難所であった。この越前側の街道には、楢俣村、田代村、河内村、志津原村、稲荷村があり、徳山村との交流が盛んであったという。志津原村で生産された挽臼や砥石は、徳山村でもよく買い求めたという(池田村史)。婚姻も多くあった

 天正3年(1575)一向一揆の折、本巣郡真正町中野城主、原彦次郎は、信長の配下金森長近の命を受け、奥池田一族とここ冠峠で戦ったとある(西谷村史)

 新日本山岳誌によると、以前は3コース(※2)登路があったが、廃道になり、代わって峰越林道(国道417号)ができ、[現在の冠山峠からの登山道で]多くの登山者でにぎわっている。とある [ ]オーナー書き足し

 

8:17 まずは林道からの冠山

 

8:49 登山口から歩き出して20分ほどで現れた冠山

 

9:41 冠平の真ん中に置いてあった石、裏に” 2021.7、WA ROCK AICHI ハナ ”と書いてあった。今はやりの「ワロック」、絵はかわいいと思いますが、置いて帰るのか如何!!

 

9:55 イワショウブ(冠平から山頂間に咲く)

 

9:56 カライトソウ(同)

 

9:59 リンドウ(同)

 

10:07 山頂で記念写真などして、下山、冠平で昼食、駐車地へ

 

☆ 今日の反省など

・一昨日の畑仕事で私が腰を痛めた(今年2度目)、金草岳の予定だったが、冠に変更

・冠平の手前の登山道に切れ目が入った赤テープが落ちていた。礼は登山者の名前か?、付けた赤布は取って帰ってほしい。その前に登山道のある冠山に赤布が必要か??

 

・午後から天気が悪いとの情報あり、冠平で少し雨が来たが、結果、楽しい登山、いい1日でした

 

※1 憂いは馬坂 辛いは冠 法の遠いは田代谷

 憂いは馬坂→ キツイ馬坂峠を越えるは憂鬱 辛いは冠→ 冠峠を登るのは急坂で辛い 法の遠いは田代谷→ 冠峠を越えて田代まで行く道のりは遠かった」← 私なりの解釈、「権現」とは能郷白山のこと、「冠塚」はわからない

 

※2 以前は3つの登路があった?

1 現在の塚椿隧道終点、ヒン谷とシタ谷の間の尾根(通称「坊主尾根」※3)から1282m地点の県境から西へ上る

2 また、田代谷から登り、1282m地点から西へ

3 北側の林道を利用し、1058m地点、1155m地点を経由して冠山へ?← 冠山林道(峰越林道)ができてないのでコレはない

3 8年ほど前、シタ谷を遡って冠山を南からの登った猛者(5人ほど)がいたが、そのコースが登路とは考えにくい

 あなたは、どう想像しますか?

 

※3 昔、誠照寺のお坊さんが徳山に来られた道、坊主尾根と呼んだら失礼です

 

★ 参考

 旧馬坂峠にある石碑(2013.11.17撮影)

「うい(憂い)は馬坂、つらいは冠、のり(法)のながいは田代谷」とあり。この石碑、昔(明治時代?)からあったと思ったら、徳山ダムができたころ誰かがあげたと聞いた(がっかり)

 

通称「坊主尾根」から撮った冠山(2016.3.21撮影)この角度から撮った尖がった冠山が私は好きです。山の南側は絶壁なので雪が積もらない

!!

 

参考2(奥揖斐の峠)

・馬坂峠は、旧徳山村徳山から現本巣市樽見へ行く峠、旧揖斐川町へ行く道は杉原道

・藤橋村史(下)p162には

 八草峠(川上~木之元町土倉)、鳥越峠(大草履~浅井町高山)、新穂峠(諸家~伊吹町甲津原)、扇谷越え(櫨原~西谷村温見)、冠峠(塚~池田町田代)、檜尾峠(塚~池田町楢俣)、高倉峠(塚~今庄町瀬戸)、夜叉ケ池越え(門入~今庄町岩谷)とある

 は徳山村と関係あるもの。扇谷越え(徳山村史p124では杉ノ谷峠)、夜叉ケ池越えがどこを通ったのかが、わからない

 

 

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