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奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

No367 奥揖斐の蕎麦粒山

2025-04-07 06:22:15 | 余談

奥揖斐の山 蕎麦粒山 1296.7m 1/2.5万地図[美濃広瀬(岐阜岐阜11-1)]

2025年 4月 7日(月)

 最近、スマホなどで、揖斐の冠山、小津権現山、貝月山、そしてバリルートの山を紹介する記事が多い。そこで私の大好きな蕎麦粒山のお話をしようと思った

 蕎麦粒山、岐阜県揖斐郡旧藤橋村と坂内村の境にあり。古名を「そばむぎ」というが、これが短縮して「ソムギ」になったと考えられる。この山名は、ひときは目につくその鋭くとがった山姿が、蕎麦の実に似ていることから由来する。なお、旧徳山村では、「ソバツボヤマ」と呼んでいたが、これは伐採した材木に打つ△の刻印を「ソバツボ」というところからきている(※1)

 美濃徳山の地名(※2)によると、呼称:ソボギ、表記:蕎麦粒山、➁標高1297m。山頂は大変険しい。④「細見美濃国絵図」(※3)には只一つ蘇茂岐山と表記されている。「ソバ粒ノ形容ヲ、ナシ居ルナリ、徳山デハ材木に打ツ、刻印ノ蕎麦ノ形容ヲナシ居ル、△印ノコト」(「坂内村誌民俗偏)」)。奥美濃の槍ヶ岳と評され、坂内村からはソムギ、門入(旧徳山村8集落のひとつ)ではソボギと呼ばれている

☆ 徳山ではソバツボと※1にあるが、私はソボギが正しいと思う。私が尊敬する門入出身の老人(S10年生)がそう呼ぶし、「細見・・」でもソボギ、※1の執筆者Mさんは山はベテランだが大垣の人だ!(関係ないか!)

 私が揖斐で山始めた2000(H12)年のころは下図の赤線で登っていた。5月連休のころはシャクナゲ、ザゼンソウ他の花が多く、毎年のように登ったものです。今は青い線の登山道ができて、夏も冬も登りやすくなりました。ただ赤線に比べると、花は少ないと感じます。今も赤線で登る人ありますね、藪漕ぎが好きなんですね~

 

 バリルートでは黄色から青線に合流し赤線で登ったことあります(以前は入っていた山の会で1泊)。次に青、赤、ピンクのルート。五蛇池山手前のコルで1泊(4人)し、次の日早朝発の分、雪が固く、快適に登ったこと覚えています

 短時間で登るなら、夏にホハレ峠から登ると標高が高い分楽に登れます。もちろんヤマップに赤い線はありませんので登った人の軌跡を借りるか。地図読みの勉強に登るには最適コースです(ピストンするなら赤布用意)

 私はそのピラミダルな姿から、奥美濃の西の大関は蕎麦粒山と言っています(東の大関は屏風山(1354.2m)1/2.5万地図[平家岳]と思う)

 いろんな登山口を探して、登ってみてください。3月残雪期がお薦めです

 

※1:2005年 新日本山岳誌(日本山岳会編著)

※2:1998年 水資源開発公団監修

※3:1835年 昔の観光パンフレット的なものですが、詳細です。岐阜県立図書館で見れます

 

細見美濃国絵図の「蘇茂岐山」の部分、北に「門入」、西に「川上」、南に「廣瀬」、東に「親(横山ダム建設で水没)」あり、本当に詳しいです 

 

図の黄から青い線上 2013年 2月 9日撮影

 

土蔵に登る途中からのピラミダルな姿の蕎麦 2013年 2月17日撮影

 

青い線から撮った蕎麦 2024年 6月 7日撮影

 

五蛇ヶ池から蕎麦をバックに 2013年 3月 6日 7:06

 

☆ 図の灰色の線。門入の老人の嫁の弟の話では、門入に住んでいたころ、小学校の遠足でこのルートで蕎麦往復したとのこと。私は、藪漕ぎに慣れていない人とこのルートで下ったが、3時間半かかりました((笑))

 

ホハレ峠~蕎麦山頂から門入へ。門入の老人の小屋に泊り、翌日ホハレ峠へ戻る 2023年 9月16日撮影

 

☆ 私の大阪の山友(沢登りが主)らは早谷、荒谷から登っています。蕎麦は関西の沢やのメッカでもあります (笑)

 

 

 

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徳山の峠 No328

2022-08-21 21:22:43 | 余談

徳山の峠

2022年 8月21日(日)

 岐阜県揖斐郡徳山村が閉村(1986年)して36年の歳月が過ぎました。今夜は徳山にあった峠のお話します

 

◇ 徳山にはいくつもの峠がありました。ほとんどは越前との交流の道。越前(福井)から来られたお坊様も冠峠を越えて越前に帰られました(徳山村史🅟435ほか)。地図は「藤橋・徳之山の風土資産絵地図」など参考に作成

 

2013.11.17 撮影 旧馬坂峠に置いてある石碑「ういは馬坂、つらいは冠、のりのながいは田代谷」

うい=憂い、のり=距離

 これ(碑文)は、徳山民謡“ほっそれ”歌詞の2番。由来は能登のうるし掻きが伝えたといわれる[H6(1994)年徳山ダム建設所発行徳山だより 5 号より]

 

◇ その昔、徳山村と村外をつなぐ主な峠

① 馬坂(ウマサカ)峠(徳山から根尾に出る峠・※美濃徳山の地名🅟23-14)

② 冠峠(塚から福井へ抜ける峠)、今の冠山峠の位置とは違います(上の地図参照)

③ 檜尾峠 塚から福井に抜ける(※🅟177-2)

④ ホハレ峠 門入から峠越えで旧坂内村川上~滋賀へ(※🅟243-43)

⑤ 越前越 (エツゼンギ・別名美濃峠) 櫨原から福井温見へ行く峠(※🅟148-48)

(①~⑤は岐阜新聞が特集した)

⑥ 高倉(コウクラ・※🅟191-16)峠 塚から越前へ出る道

⑦ 広瀬又=戸入から坂内村広瀬へ

 

◇ 村内では

① 牛首峠(※🅟95-44) 上開田の人が峠を越え戸入へ出作りに行った)

② シキビ峠(※🅟111-32 他) 山手から鬼生谷へ越える峠)

③ アリガ峠(※🅟113-16) 本郷の飛び地、鬼生谷から上開田ノンドへ)

④ ぶなの木峠(※🅟217-37) 戸入と門入の境にある峠

他に、「藤橋・徳之山の風土資産絵地図」(水資源開発公団徳山ダム建設所 H12.3 発行)では、戸入峠、鳥ん峠、トウゲ(境の尾:徳山~藤橋境)が紹介されている

 

三等三角点「呑土(ノンド)」から揖斐川本川、その向こう高層方面(2016.5.2撮影)

※🅟99には、字ノンド。「喉を見るような丸い形の滝や淵が多い急峻な谷」とある

 

塚ヒン谷下流からの冠山(揖斐川本川から2015.5.22撮影)   

 

門入、三角点「牛尾」付近のブナ林(2022.5.18撮影)

 

 

☆ 今日の反省など

・ノンドが戸入(徳山8集落のひとつ)ではなく上開田( 〃 )の字名とは今日まで知らなかった(→ もっと勉強します)

・奥揖斐山荘の人気記事「ホハレ峠(3-3)」2020年 8月 3日アップ、徳山の当時の写真載せています。ご覧あれ

・徳山の峠のことなど、ご存じの方、コメントに教えてください

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