奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

山が呼んでいる 0826 No135

2020-08-27 15:31:12 | その他
山が呼んでいる 
2020年 8月26日(水)
「山が呼んでいる、教えている、強く正しい人になれ」
 これは私が卒業した小学校の校歌の歌い出し
 この校歌に出てくる山は、福岡県朝倉市と嘉麻(かま)市にまたがる古処山(こしょさん)のことで、標高は859.5m


 昨年3月撮影

 古処山の山頂北東(筑豊側)には「大将隠し」や「奥の院」という石灰洞がある
 また山頂部にはオオヒメツゲと名付けられ、最大樹高12m、樹齢1000年といわれるツゲの自然群落があり、国指定の天然記念物である
 隣の屏山(へいざん)への縦走路沿いには広葉樹林があり、一部にカエデやブナ林が残るところがある。山頂からの眺望は良く、北中部九州のほとんどの山を望むことができる(日本山岳誌参照)


 古処山から屏山に向かう途中の「樹林のトンネル(昨年3月に撮影)」、この写真の夫婦、話すと「ごましお山荘」のオーナー、(奥揖斐山荘の名はここから借りました)

☆ 誤訳?
・有名な登山家ジョージ・マロリーさんの言葉「そこに、山があるからだ」Because it's thereは、「そこにエベレストがあるから」の間違い
 質問は「なぜ、あなたはエベレスに登りたいのですか」
 Why did you want to climb Everest?、であり、thereは「エレベストを指すというもの」
 この稿を書くにあたって、ネットで調べ、初めて知りました

☆ 余談(本題?)
(奥揖斐の)山が呼んでいる
 奥揖斐山荘内、「奥揖斐探険タイ」の歌を紹介します

 1 グラス(眼鏡)、グローブ(皮手袋)、ヘルメット、俺は奥揖斐探険タイ
   小さなノコギリ腰に下げ、揖斐のヤブ山登っている
   何で山に登るのか、山が俺を呼ぶからさ
   グラス、グローブ、ヘルメット、俺は奥揖斐探険タイ

 2 アザミ、シャクナギ、クマガイソウ、俺は奥揖斐探険タイ(繰り返し)
   小さなカメラ首に下げ、揖斐のヤブ山登っている
   なんで山に登るのか、花が俺を呼ぶからさ
   (繰り返し)

 3 うどん、サバ缶、ネギ、しょうゆ、俺は奥揖斐探険タイ(繰り返し)
   鍋とコンロを(ザックの)中に詰め、揖斐のヤブ山登っている
   何で山に登るのか、夜、食うジゴ(地獄うどん)が旨いから
   (繰り返し)

 4 まだまだありますが、省略

☆ 16年ほど前に名古屋の山の会にいたころに作った歌
  詩は「何で山に登るのか、山が俺を呼ぶからさ」以外は変えています
 タイ=奥揖斐探険タイの「タイ」は、隊(タイ)と奥揖斐の山を探険したいの「タイ」とかけています。今度、山荘で飲んだ時、この歌を一緒に歌いましょう

☆ 眼鏡、手袋、ヘルメットは、藪漕ぎ三種の神器と思い、歌い出しに書きました
☆ 徳山の人は、シャクナゲのことをシャクナギと訛るそう
☆   〃   地獄うどんのことを「ジゴ」という(地獄うどん2 20190710ブログ参照)
☆ 古処山、福岡の山に行かれたら、ぜひ寄ってください。筑前の小京都、朝倉市秋月から登ります

☆ 8/27 追加
・秋月は福岡黒田藩の支藩=秋月藩があったところで学問の町(※)
 私の記憶では秀吉が九州攻めしたとき秋月氏は秀吉に降伏、その後秋月氏は宮崎県の高鍋に移された。その関係で当時(私が高校のころ?)高鍋町と甘木市(現朝倉市)とが姉妹都市になり、親父が「百年の孤独」をある会合で貰ってきたのを覚えている
(僕が高校のとき、生家(自営業)の仕事を手伝うと、夕食前にお袋がビール1本(栓を)抜いてくれた。まだ高校生だというと男は一日働いたら飲んでいいんだと言った。僕の酒好きはお袋のせい?)

・中学校の校歌にも古処山
「ああ玲瓏(れいろう)の古処の峰、紫におうけだかさは 千古かわらぬ姿もて、、」
 古処山って、朝倉郡や嘉穂郡のあちこちの学校の校歌にでてくるのでしょうね
・国を出てから何十年にもなるのに、最近はふるさとのことをよく思い出します

※ 学問の町と書いたのは、私が在郷のころ市内に5つの中学校があり、山裾にある秋月中学校が高校入試模擬試験平均値が5校中一番だった。秋月人の勉強好きは昔からの伝統と中学教諭が言っていた
 先に高鍋の話を書いたが、上杉鷹山は高鍋藩主の秋月種美の次男、母は米沢藩四代目の孫娘、そんな関係もあってか鷹山は米沢藩八代目の養子となり九代目藩主となる。鷹山の功績はここに書くまでもないが、鷹山は秋月氏の血を引いているということ。[鷹山の祖父は黒田長貞(秋月藩四代目藩主)]。歴史って、ひも解くと面白い
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日永岳 0823 No134

2020-08-24 03:36:55 | 山登り
日永岳  1215.7m 1/2.5万地図[下大須(岐阜6-2)] 岐阜百山No34、美濃100山B級
2020年 8月23日(日)2人

行程 7:00織部の里(43.5km)8:10 山県市仲越駐車地 8:15→ 9:10 登山口→10:50 山頂 11:30→ 13:30 駐車地→ 温泉→ 織部の里

 今日は、今年一番楽しみにしていた揖斐川山岳会の夏期キャンプ(昨年のブログ0818参照)がコロナで中止、美濃100に挑戦しているワイワイさんと日永岳に登った
 日永岳は今年3回目(※)、今日のコースは3月12日に登っている(0312ブログ参照)
 3月もそうだったが、駐車地手前約5kmの集落手前で道を右(白岩谷)に間違え、引き返して登った。今日も同じ間違いをしてしまい、戻って「ごろごろの滝」を通過し駐車地に行った
 ※3/12は日永手前から中越山へ行こうとしたが敗退、逆に4/3は下大須から中越山経由で日永岳に登った(0403参照)

 
 9:10 登山口まで林道歩き、この看板手前で小休止


 10:50 山頂の三角点、3月に来たときは山頂はもっと広く、北、東、西を眺望できたが、木が茂ったせいか、山頂は5人位しか座れなくなっていた


 10:52 木が茂って西側の展望地に行けない、写真は三角点東にある石に乗って東側を撮影


 10:59 ナイフでペットボトルを二つに切り、中の氷と冷水を素麺にぶっかけた。冷たくて美味しかった


 11:57 山頂手前、一番の難所(道路崩壊)を下る、山頂にある反射板手前の登山道はきれいに草刈りしてあった


 13:20 帰りの林道歩き、アブなどいなく、シャツを脱いで下着で歩いている


 13:29 駐車地到着

☆ 今日の反省など
・8/19に行った人が駐車地にアブが沢山いて車から降りずに引き返した、との情報があり、アブ除けスプレー持参したが、涼しかったせいか、アブは一匹もいなかった
・ワイワイさんはアブ対策に白い長袖シャツ(正解)、私は半袖の黒いシャツ、ダメだね
・他のグループと会うだろうと、お洒落して行ったが、日曜日なのに誰一人会わなかった
・3月17日の苅安もそうだったが、今日も私のヤマップ(GPS)は調子悪い、プレミアム(有料)に入れと言うのか、今日も固まって使えない、頭にきてアンイストール(無料契約解除)。当分、地図と磁石で登ります


お詫び:地図にある「上中越山」は「中越山」の間違いです
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苅安 0817 No133

2020-08-18 04:48:48 | 山登り
苅安 1300.7m 1/2.5万地図[能郷白山(岐阜6-3)]3等三角点
2020年 8月17日(月)5人
行程:7:30 本巣織部の里→ 9:17 温見峠駐車地 9:25→ 12:57(山頂)13:32→ 駐車地 16:09

 苅安って、ご存知ですか?、本巣市の温見峠から南に登れば能郷白山、北に登れば刈安、峠からの標高差は約300m、何にもなければ片道1時間の山 → 山をなめたら、あかんぜよ
 私の記録で、苅安に登ったの2012年11月11日、単独登山で、ヤブはなく往復2時間で登っていた。今日の予定では遅くとも11時に山頂に着く予定だったが、、

 11:08 山のイチゴ見っけ


 11:37 道なし、藪、藪


 12:46 これ道?、もうすぐ山頂

 8年前(2012年)に登った時、藪はなし、紅葉抜群で、景色を楽しみながら登った記憶、繰り返すが、今日の予定は遅くても11時には山頂着だった
 写真のように、山はヤブだらけ、雑木の枝も邪魔(ノコギリで切る)、登りで道を見失う、山頂着は予定の2時間遅れの12時57分
 山頂では、三角点の周りの枝を切り、5人が座れる場所を作って早々に食事し、13:32に下山、登りも道を誤ったが、下りは都合10回ほど道を間違え、トラバースで元の道(尾根)へ
、ヤマップの力も借りて16:09に下山、歩いた時間は往復6時間弱

 13:24 山銘板がないので手書き


 13:32 下山開始


 13:54 藪の中

   1
 14:17 帰りの目線の目標は能郷白山

☆ 今日の反省など
・思った以上に藪が濃く、予定2時間の登りが3時間半かかった
・登山口でヤマップオン、家でキャッシュしたのに私のスマホ(ヤマップ)が作動せず
 → 山行くときは電波の届くところで事前にスイッチオン
・5人のうち2人がヤマップ入れていたが、使い方、2人とも50点?、もっと使い方、勉強しよう
・5人のもう1人(3人目)、スマホを省エネモード?に、現在地はわかっても、登ったコースが記録されておらず、下山時、あまり役にも立たず
・2人の一人、途中で携帯落とし、探すのに30分、スマホはチャック付きのポケットに入れるか、紐で首に下げて胸ポケットに入れるべし、これ絶対ですよ
・5人のうち4人目、スマホ無し(壊れている)、地図は持っていたが磁石なし、これでは登れても帰れない
・なんじゃ、かんじゃ言っても私が一番悪い、ヤマップ起動せず、赤布袋も忘れ、今日は戻ろうと一番に言ってしまった(最後まで登ると言ったのは女性のSさん)
・道を間違って、元の道に戻るのにトラバース、藪(主にネマガリダケ)で脛(スネ)を叩かれ、5人とも脛が痣だらけになった
・16時過ぎに駐車地着、予定のお風呂には入らず、集合地にて解散
 けど、下山でこれだけ間違ったのは初めて、藪が濃すぎて歩きやすい方へ降りてしまう ←いい訳

 

☆ 参考
・2005年発行の「奥美濃ヤブ山」では、刈安は10月に登り、往復4時間45分になっている
・美濃の山第二巻では、1993年9月19日に約20名で登っている。峠を8:00に出発、往復7時間
・今日の5人、往復約6時間(スマホ探す時間25分含む)、もう二度と行きたくない山です
 
☆ 余談
 昔(学生の時)に読んだ詩(作者不詳)
  俺の言葉に泣いた男が一人
  俺を恨んでいる男が一人
  それでも俺についてくる男が一人
  俺が死んだら、くちなしの花を飾ってくれる男が一人

 渡 哲也氏が亡くなったからこの詩を思い出した訳ではない
 若かったころ、俺の言葉に泣く女(※)はいても、俺の言葉で泣く男はいないと思っていた
 働き出して、泣いた男は少数いた。俺を恨んでいる者は10名程度、それでも俺についてくる男はいなかった。花を飾ってくれる人などいなくてもいい
 今年作った「奥揖斐登山部(ライングループ)」只今、部員7名、今月中に10名になるかも。みんなどこかの山岳会に所属している。それって、俺についてきてくれる人たち?
 ※ この詩の「男」を「」女と書いてみたかっただけです
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伊吹山 0810

2020-08-11 06:22:50 | 山登り
伊吹山(1377m)1/2.5万地図[関ケ原、長浜、美束]
2020年 8月10日(祝)5人 No132
行程:7:30美濃国分寺 🚙 伊吹山駐車場 8:00 =11:45 山頂 12:30=15:35 駐車場

 今日は山の日、NTさんの提案で伊吹山に登ることにした。この山は日当たりが良いので、暑さ訓練にもなる
 日本山岳誌によると、山頂は、米原市(旧坂田郡伊吹町)にあり、山体は岐阜県不破郡関ケ原町、揖斐郡揖斐川町(旧春日村)にもまたがっている。滋賀県下第一の高峰で、伊吹山地南端の主峰である、とある。解説は百名山だけあって3ページにまたがっていて、解説者は大垣市在住の私の尊敬するひとりのMMさん
 ただ、「にもまたがっている」は揖斐の人間としては面白くないが、山頂が滋賀県であり、登山者の多く(多分8割以上でしょう)は関西人だから、関西の山と聞こえる表現は我慢するか

 3合目付近から撮った伊吹山頂方面(帰り14:16撮影)


 9:24 3合目休憩所手前のお花畑、黄色の蕾は、ヤブカンゾウ

 上りはじめに沢山の登山者が降りてきた、単独(女性)の登山者に聞くと、ご来光を見て降りてきたとか。山の帰り、午後からも沢山の人が登ってきた、ご来光ではなさそう、僕たち以上に暑さ訓練をしているのかな?


 10:33 振り返って琵琶湖をみる


 11:56 今日のメイン、Aフーズの冷凍餃子


 12:35 山頂の風景

☆ 今日の反省など
・さすがに百名山、若者も多い
・普段はヤブ山など、余裕なく登っているので、上り下りに各5回ほど休むなどして、ゆっくり登山をしました
・残雪期、関西の人に「何で伊吹に登るのか」と聞いたら、関西にはアイゼン履くような高い山がない、だから伊吹山に来るのだ、と答えた。京都府最高峰の皆子山でも972mだよね
・予告なしで餃子を出してので、同行のOMさん、小屋で2本目の缶ビールを買ってきて私の前で美味しそうに飲んだ、運転手の私はオールフリーなのに
・今日は本当に休憩ごとにおしゃべりした、上りに4時間近くかかっているのだからね~

 登路=三宮神社からの一般コース往復、地図は省略します
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高時山 0808

2020-08-09 22:22:45 | 山登り
高時山(1563.4m)、1/2.5万地図[小和知、加子母(飯田10-2)]
2020年 8月 8日(土)2人 No131

行程:6:30揖斐→ 7:20岐阜羽島IC→ 中津川IC→ 10:30木曽越峠10:45→ 11:47山頂11:57→ 12:41木曽越峠(昼食)13:10→ 林道入口→ 五平餅→ 苗木城址→ 岐阜羽島→ 揖斐

 高時山は、岐阜100山No66、2等三角点。日本山岳誌では、渡合温泉から登り木曽越峠から東進して3時間で登頂とある。岐阜の山旅100コースでは、同コースで登り加子母村 上桑原への下山コースも紹介されている
 今日は高時山に登りたい人と最短コース(標高差約300m)で登った。最短と言えば、岐阜100山No61の雨乞棚山1394.0m[加子母、付知]や同No68小秀山[滝越、宮地・王滝村から登る]など林道(4駆がよい)を使えば雨は40分、小秀も2.5時間もあれば登頂できる。ただ、林道が長い、悪路を走るなどを覚悟しなければならない


 林道入口の看板[加子母大橋(バス停は瀬ノ島橋)手前から右折、400mほど上流へ行くと右手にこの看板とゲートあり、入口から木曽越峠まで悪路を10km、約40分走る)


 10:30 木曽越峠着


10:45 登山口の看板(最近、マクロボタンを元に戻さず、ピンボケがやたら多い)

 登山開始して、快適な登山道を歩く。峠が標高1250mくらいだから約300m登れば山頂。ゆっくり登って1時間で山頂着。景色はガスって全くなし、10分ほどで下山する


 12:36 もうすぐ峠、峠の手前にもう一本林道が横切っていた


 12:53 下山して今日の次の目的(たこ焼き)、ミニ火鉢で竹を燃やし火が熾ったところで鉄板を置き、たこ焼きを焼く。油を引かない分少し焦げたが、味は最高、他にカップ麺、ライス、キュウリの漬物、オールフリーで腹を満たし、中津川ICへと戻る


 14:48 素朴な五平餅屋さんに寄る、餅一枚200円は安い(コロナでテイクアウトのみ)


 15:23 国道から200mで苗木城址と看板にあったので寄り道する。自然石と積んだ石がすごい、今と違ってユンボもクレーンもない時代に積み上げたのだ。城を攻める、守る、は命がかかっている。昔の人は半端な気持ちでは城は造らない

☆ 今日の反省など
・登山開始すぐに2人が降りてきた、道の駅加子母とところから登って来たという。一ヶ所熊笹がすごかったと言っていた
・下山開始すぐに一人の男が登ってきた、すれ違い、たこ焼き食い終わると下りてきた。渡合温泉の方から登ってきたと言った、言葉使いが丁寧な青年だった(今時、こんな人もいるのだなと感心した)


 13:24 渡合温泉方面の道   

・標高差300mの山に、高速代使って登るのも如何なものか?。軽トラで登るなら同じ悪路の雨乞棚山(これも悪路10kmくらいで片道40分で登れる。→0320雨乞棚山、三森山参照)などとセットしないと勿体ない
・峠で焼いた冷凍たこ焼き、油を塗らなかったので、焦げた(次は解凍後に、銀だこみたいに油をかけて焼こう)
・五平餅、15年ほど昔、二つ森山の帰りに寄った店だった。15年ほど前に来たとき、店内に中日ドラゴンズの選手のサインが沢山あったと云うと、店主が中日ファンだったと店員が言った。僕は中日の選手がこの店に食べに来たのだと長年思っていた
・揖斐から木曽越峠往復は330kmだった。高速は運転は楽で時間も早いけど遠回りなんだよね


 唐塩山の登山口がわからなかった

特記:徳山の四季(8月の風景)は、休みます
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