奥揖斐山荘

奥揖斐の山、揖斐の伝統文化や料理など紹介

涙の石津御岳 No174

2021-01-17 03:01:07 | 山登り

涙の石津御岳 629.4m 1/2.5万地図[津島ほか]

2021年1月16日(土)7人

 年が明けると別れの季節がやってくる。進学、就職、転勤・転職、退職etc。今日は、長年(といっても6年)一緒した山友(K君)が愛知県の自動車関係に一時転職するというので、私の山仲間(奧揖斐登山部Oさんら)が行く山に K 君誘って同行した

 K君は6年前、当時私が入っていた山岳会に入会してきたが、パン屋さんで働く彼は日曜日がめったに休めない、そこで彼の休み”火曜日”に行ける人を誘い、三周ヶ岳、金草岳、小津権現山、霊仙山、最近では刈安、能郷白山などに登った。今思えば、この火曜日山行が、今の奥揖斐登山部に繋がったのかな !!

 今日は関ケ原の山を予定したが登山口で雨、急きょリーダーOさんの機転で雨の少ない南濃の山に変更、結果、ほとんど雨無しで山を堪能した

 では、たいした写真はありませんが、一緒に山を歩きましょう!!

 9:57 整備された登山道

 10:19 覚明行者の名が道標に

 10:24 山頂近くの三角点

 10:48 ゴミではありません、海老シュウマイを蒸したセイロです

 昼は、各自持ってきた弁当に、冷凍ではありますが、味の素フーズの海老シューマイをふるまいました。K君そのお礼か、腰痛の私のザックを帰路駐車地まで運んでくれました・・涙を流したのは、僕でした

 行程 8:10 南宮山駐車地→ 9:00 石津御岳駐車地→ 10:30 山頂で食事会→ 11:05下山開始→ 11:55 駐車地 (解散)・・地図は省略   

 

☆ 余談など

・石津御岳、多度山まで縦走するのが普通だが、午後から雨予報、私の腰痛で御岳のみとなりました 

・さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束(来生たかお:夢途中の一節)、K君必ず奥揖斐に来ると言った

・道標にあった、覚明行者のストラップ「覚明くん」を御嶽山中ノ湯(旧三岳村)6合目?小屋で買ったことを思い出した

・覚明行者は御嶽山を開山した翌年天明6年(1786)に、二の池付近で遷化したが、ミイラ化した遺骨が信者たちによって9合目岩陰に葬られたとされる。ここを覚明堂と称するようになった(※)

・王滝村、御嶽山 ”旧里宮への参道の脇に「倉石明神」という石碑がある。幕末の政治家「勝 海舟」の書である(※)

・〃 2合目にある鳥居には、東郷平八郎書による額が奉納されている(※)

 ※ 王滝村教育委員会が作成した冊子 表紙写真下の解説にある ”春山” には、昔、御嶽教の人が歩いた道が残っている、御嶽山を望む 鳥居跡、礼拝所跡があります

☆ 余談など2

・丁度10年前、愛知用水(知らない人はネットで調べて)通水50周年記念事業の一環で、王滝村の協力を得、上記 ”春山”を歩くバスツアーを企画した。名鉄さんに売り込むと ”名鉄バスツアー” で3日間バスを出してくれ、私も全日同行した。名鉄さん、その節は大変お世話になりました。今では遠回りとなるこのキツイ修験道、新しい発見や驚きがあったことを思い出します。興味ある方、王滝村の大自然、足を運んでみませんか

 

 2018年10月16日 三周ヶ岳を見る 加藤君(右)、写真の山は高丸(黒壁)か!!

 

コメント
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