京女のハマリゴト

好きなこと、美味しい店、キャラ弁、アッチャー(°▽°;) な出来事など、主婦ライターが京都から発信する雑多な出来事!

偶然が重なった瞬間

2006-11-17 11:00:41 | 母のコト
母の葬儀もようやく終え、ちょっと落ち着きを取り戻しました。

ブログをしばらくお休みしていたのですが、母の亡くなった時のことをしばらく記録代わりに綴っていきます。

忘れないためにも。。。




11月13日。

前日の日曜の夜、たまたま旦那が出張で大阪に来ていたこともあり、月曜日はお休みを取って一緒に過ごすことになっていました。

もしかしたら、母のお見舞いも最期になるかもしれないからと、月曜日は病院へ行く予定をふたりでたてていました。

偶然にも、3人の叔母(母は4姉妹)も京都観光のついでにお見舞いしてくれるということだったので、私と父、旦那、叔母と揃って病院へ朝から見舞いに行きました。

午前中はまだ意識もあり、私が「おばちゃんが来てくれたで~」というと

こくんとうなずいたり、「うん」と小さな声で反応していた母。

ただ、呼吸が安定しないので酸素マスクを装着したままでしたが。。。

昼ご飯を実家で済ませ、叔母と父が再度病院へ見舞いに行くと、今度は肩で息をするほど呼吸が乱れていたそうです。

父からメールをもらい私と旦那も急いで病院へ。

この時にはもうすでに意識がなくなり、肩でハァハァと息をしている状態でした。

子供たちが帰宅する時間だったので、私はそのまま病室に残り、旦那が子供を迎えに行き、再び子供たちを連れて病室へ。

病室へ来たお医者さんが「今夜が山でしょう」と。。。。

とりあえず、今はまだ大丈夫とのことだったので、子供たちを旦那がプール(プールの習い事)へ行かせて、しばらく叔母たちと様子を見ていました。

父が「今夜は病室へ泊まることになりそうやし、いったん家に帰るわ」と病室を後にしてしばらくしたころ、

何だか、母の呼吸が変わってきました。

肩で息をしていたのが、急に静かになり、呼吸の間隔も長くなってきました。

顔色がだんだん失われ、まるで蝋人形のように白くなっていく母。

半開きの目も瞳孔が次第に大きくなっていきます。

あぶないんとちゃうか???

何だか嫌な予感がして、すぐ父の携帯と旦那の携帯へ電話。

父は駅に向かうバスにすでに乗っていて、バスも発車寸前だったそうです。

「降りる、降りる!!」とバスを止めて、急いで病室へ戻ってきた父。

父が来て、数分後、それまで規則的に動いていた心電図が急にピーッという電子音とともに、反応しなくなり、

ドラマで見るようにまっすぐの線だけが表示されました。

お医者さんが来て、心音と脈、そして瞳孔を確認し、

「残念ですが、11月13日、午後4時2分ご臨終です」と。

そして、その瞬間、病室へ駆け込んできた旦那と子供たち。。。。

とてもとても静かな死でした。

あまりにも静か過ぎるので、私は本当に母が死んだとは思えないほどでした。。。

そして、

偶然にも、叔母たち、私、父、旦那、子供…と恐らく母が看取って欲しいであろう人々全員に見守られて息を引き取った母。

母の想いが私たちを引き寄せたような不思議な力を感じました。

まだ、ぬくもりのある母の顔をなでながら

父が「なんでしんだんや。なんでワシを残して逝ってしもたんや…」とボロボロ涙をこぼすと、

叔母たちも「ねえさん、ねえさん」と呼び続けます。

私は「お母さん…」と呼ぶだけで精一杯でした。

息子はイマイチ母の死を受け入れられない様子でしたが、

娘は「おばあちゃん、死んじゃったの?」と少しはわかってくれたようです。

私は母の死を悲しんでいる自分がいる一方で、どこか認められない自分もいて、

なんだか自分が二つに分裂してしまったような感覚でした。。。

そうこうしているうちに、病院の方が葬儀についていろいろと説明をし始め、

その段取りなどで静かな雰囲気は一変し、バタバタとあわただしくなりました。

まず、しなくてはならないこと。

葬儀社に連絡。

母の遺体を一旦、家へ運ぶため、布団を用意しなければならないこと。

父は病室へ残り葬儀社の方と打ち合わせ後、母と一緒に帰宅するというので、

私は急いで実家へ戻ることに。

子供の面倒は旦那がみることになり、叔母たちは自分たちの家へ帰ることにしました。

実家へ戻って、布団を探すのですが、どんな布団がいいのか、シーツはどうするのか、かけ布団はいるのか…???

もう、半分パニックになりながら、何とか布団を用意したころ、葬儀社の方とともに父が帰宅。

布団へ母を寝かし、周辺にドライアイスをおいていきます。。。

ひんやりとした空気に包まれるようです。。。


さて、葬儀社の方ですが、これが、とっても人相の悪いというか横柄というか、愛想のないというか、なんともいえない強引な人でした。

日取りを考慮し、通夜は翌日、葬儀は翌々日に決まると、

母の死を悲しむ間もなく、葬儀のスタイルや列席者の人数などを考えていかなくてはなりません。。

葬儀社の人が言うままに進めてしまうと高い葬儀になってしまうから注意しなさい、と叔母が言っていた言葉を思い出し、

ひとつひとつを吟味するのですが、時間がないのと動揺しているのとで、なかなか話が進みません。。。。

例えば、葬儀の宗派、祭壇のランク、花の数、来ていただいた方に渡す品、写真…。

気が狂いそうなほどたくさんのことを決めなくてはならなくて、しかも値段も考慮しながら考えなくてはならないので必死です。。

ただ、母が生前から「私の葬儀は無宗教で」と言っていたのが助かり、

無宗教スタイルで行うことにしました。

これが、仏式だと宗派、寺への連絡、戒名、お布施…さまざまな問題が絡み、あれもこれもと油断していると葬儀は●百万とあるいは●千万にもなってしまうそうです。。。。


私たちもお経だけが流れる葬儀よりも、来ていただいた人に母のことを偲んで欲しいとの想いが強かったので、

まず祭壇を花で飾り、母の書いた著書を祭壇脇にならべ、母の経歴を綴った紙を列席の方に配ることにしました。

そして、父をはじめ、母の教え子や母と縁のあった人から母との思い出をスピーチしてもらうスタイルをとり、音楽は母が大好きな「別れの曲」を流すことにしました。

これを決めるのに約4時間。

あまりにもあわただしく時間が過ぎてしまいました。。。

続く…

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12 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なんと。。 (tetty)
2006-11-17 12:27:03
コメントしていいのか、よく分かりませんが、皆様御身体ご自愛くださいませ。。。
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Unknown (ラベンダー)
2006-11-17 13:07:06
義父のときは、訳もわからず、とにかく中ランクで
お願いしました(冠婚葬祭の普段からかけとくのね
昔々1000円の積み立てを義母がしといたんだって
あれから、月日がたってそれで、葬儀が出来ますよって、ふれこみが、確か、30万の証書に化けました。
こつこつと信じて何十年とかけてた結果が、これです
まあ、貯金なら、幾ら貯まったことでしょう。
人間、生まれるのにも死ぬのもお金が物を言うのね
厭ですね。

ミマッモって欲しい方〃に、見守られて逝かれたお母様幸せでしたよ!

父は76で、他界しました。
最近になって、親の有難さ、難しさが分かってきました(それこそ、若い時は親不幸で・・・)

ごめんなさい、読んでて、泣いちゃいました。
じいじさんをいたわってあげてくださいね。
京女さん、大変でしたね。これからも大変と思いますがファイットね。
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母を思い出しました (オバッカム)
2006-11-17 14:44:18
メイさんとこから寄らせてもらいました

五年前母を亡くした日を思い出しました

昨日のことのようです
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葬儀って・・ (@みかづき)
2006-11-17 21:31:03
京女。さん、きちんとやられてすごいよ。
私は、あまりのショックのためか、葬儀までの手配のこととか、あまり記憶にありません。。
思い出そうとしても、思い出せる記憶と、思い出せない部分とがあるみたいです。

お母様、最後まで家族のこと考えてくれていたのでしょうね。
涙で記事が読めなくなってしまいました。。。
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思い (なるもにあ)
2006-11-17 22:47:25
こうした記事の言葉の1つ1つに、京女。様の思いが見えるようで
胸がいっぱいになり涙が止まりません。

不思議な力、お母様が皆様を呼ばれたのですね。
愛したひとたちに見守られて旅立たれたお母様、
最後まで京女。様がそばでついていてあげられて、
本当によかったと思います。

お葬式は、忙しさで悲しさを紛らわせるためのものだとも
言いますが、とてもたいへんでしたね。
でも、まだまだたいへんだと思います。
京女。様のお身体も心配です。
少しはゆっくりされますように・・・。
くれぐれもご自愛くださいね?

※明日、名古屋に行きます。時間を作って京都まで
 京女。様に会いにいこうと、一瞬かなり本気で思いましたが
 あまりにも一方的で無謀な思いなのでまたあらためて・・・。(暴走ブロガーでスミマセン;;
 いつか本当にお会いしたいです。
 こちらに来られる時は必ずご一報くださいね!
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Unknown (うっちゃん)
2006-11-18 21:33:04
本当に悲しむ間もなく葬儀の段取りがあって、それで気を紛らわせるというか、現実を見るというか、複雑なところですね。
ワタシも何がなんだかわからずに終わったというところです。
悲しみは後からきます。
くれぐれもお体を大事にしてください。

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Unknown (京女。)
2006-11-18 23:41:58
tetty様。お気遣いありがとうございます。ほんとうに葬儀って疲れるんですね。身をもって体験しました。。。

ラベンダー様。私も親不孝娘でした。親のありがたみって死んでから実感するのですね。死んでからでは遅いのにね。。。。

オバッカム様。ようこそ。辛い経験を思い出させて申し訳ありません。
この日のことをブログで書くかどうか迷ったのですが、記録として書き留めておきたい気持ちの方が強くて綴っておきました。

みかづき様。私もなんです。まだ、一週間もたたないのに、葬儀のことをうっすらと忘れ始めています。大切な日なのに、忘れたくないのに…そんな想いから書き留めておこうと思ってブログに書いてしまいました。辛いことを思い出させてごめんなさい。

なるもにあ様。名古屋まで足を運ばれるならぜひお会いしたかったです。(≧∇≦)
葬儀はほんとうに忙しくて、忙殺という言葉がぴったりでした。忙しすぎて記憶もあいまいになりそうなので記録しておこうと思って書き留めています。

うっちゃん様。まだ、完全には落ち着いていないのですが、ようやくこうしてブログに書くことができるようになりました。やっぱりね、この時の想いを忘れたくなくてブログに書くことに決めました。最初は迷っていたんだけどね。でも、記憶って失われちゃうと戻すことができないから、想いだけでも綴っておきます。辛くさせちゃったらごめんね。
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京女。さんへ (こるく)
2006-11-19 13:37:42
>この時の想いを忘れたくなくてブログに書くことに決めました。
っていう京女。さんの気持ち。
そしてそれにちゃんと向き合ってパソコンに綴っている姿は、すごいと思う。
だから、ワタシも本気で読んだよ。

命って本当に大切なものだなと しみじみと
思いました。

お母様のご冥福をお祈りいたします。

それから、

ゆっくり休んでください。
お願いだから
ムリをしないでね。


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偶然か必然か。 (みおぽん)
2006-11-19 22:02:22
お母様はたくさんの方に見守られて逝かれたんですね。それだけでも本当に良かったと思いました。
偶然そうなったのか、それともそうなるべくしてそうなったのか。ほんと、不思議ですよね。
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Unknown (京女。)
2006-11-20 12:23:00
こるく様。読んでくれてありがとう。この日ほど、ブログにかかなきゃと思ったことはないかも。読者のためというより、自分のために記録した感じです。いつまでも悲しみを引きずるわけにはいかないけど、この日の感情は忘れちゃいけないと思いました。
温かな心遣い、ありがとう。

みおぽん様。いろいろ後で振り返ってみると、必然の方が強いんです。なんだか、母が日を選んで逝ってしまった感じがするんです。
本当に不思議なんですけどね。
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