流行しか追わない。これって本当のマスゴミかも!
旧制高校時代は一食抜いても珈琲を飲んで文化を語っていたそうです。どこの国の珈琲豆が日本に輸入されたのでしょうか?戦争にかりだされた人はもう一度銀座で一杯の珈琲を飲んでみたいと話していたそうです。そして特攻隊としてあの世に旅立ったのです。
グローバル・エリートが地球温暖化というでたらめなストーリーを用意したのは、圧倒的な危機、ハルマゲドンに相当する危機を大衆に信じこませなくては新しい秩序に従わないとエリートが考えたからだそうです。詳しくは副島隆彦さんの学問道場のホームページをみてください。かなり為になります。
「楽譜になにが書いてあり、作曲家がなにを言おうとしているのか。それをきちんととらえ、実際の音にするためには何をしなくてはならないかを考えて、準備を整え、正確に実行すること。自分が何をしたいのかではなく、自分が何をしなくてはならないかをまず考えなければなりません」
朝、大急ぎで日本刺繍の分野で人間国宝になられた福田喜重さんのお話を聞きに銀座に行ってきた。日本は湿度の文化、水蒸気文化の国。地球の自転とは逆に動いている日本、プレートが4つに分かれていることによる日本の気候と風土、文化を形づくる上でとても素晴らしい環境である?という指摘。もち米を作れる国は日本。いい桑、いい繭、いい生糸ができる日本。絹からマイナスイオンが出てくるので体にいい、だから着物を纏うことは大切である。着物を買うのではなく文化に対して投資する気持ちで着物を求める。最近はヒーローやヒロインになりたい人が多く、いいものを作る人が少なくなり、個性的な人がいいみたいな風潮だけど、やりこまなくてはいけない、いいものを作る。針が立つという表現があるように形づくりが文化をつくる。前から一度お会いしてみたい作家福田喜重さんのお話は着物文化―世界最高のファッション、日本文化の華について再認識する素晴らしい機会を与えてもらいとても嬉しく思った。明日も銀座でお話が聞けるみたいです。
15~16歳の「羽衣」の稽古の折、拍子に合わない謡は「上の句を大事に、下の句はサッと運んで、節は大事に」と教わったのですが、ある時、「これは何かに似てるな」と思いました。小学校の頃、学校に通う途中に小さな川があり、杭が立っていました。そこへ草や藻が流れてきては杭にひっかかりユラユラ、ヒラヒラして、またスーッと離れていく。
その離れる時が面白くて、わざと葉っぱや縄を探してきては川に流し眺めていました。あの動きと同じだなぁ、あの呼吸で謡えばいいのだと。「目に映るもの、心に浮かぶものを能に取り入れる」ということがそのとき初めてわかったのです。さぁそれがわかったら面白い。お線香の煙でも雨の音でも何でも、能に結びつけられます。
関根祥六の言葉
その離れる時が面白くて、わざと葉っぱや縄を探してきては川に流し眺めていました。あの動きと同じだなぁ、あの呼吸で謡えばいいのだと。「目に映るもの、心に浮かぶものを能に取り入れる」ということがそのとき初めてわかったのです。さぁそれがわかったら面白い。お線香の煙でも雨の音でも何でも、能に結びつけられます。
関根祥六の言葉
画廊とは資本主義の本質を最も端的に現わすモデルだともいえる。画商の取引は単純明快、しかも個人の才覚がすべてを左右する。画商は美術を創る側と、それを蒐集する側の両者を相手に活動を行うのである。それでは画商という職業の起源はどこにあるのか。古くはギリシア・ローマ時代に遡れば、記念碑として建立された彫刻をダマスピスという名の画商に美術作品として転売することの是非を、独言のように述べる箇所がキケロの著作に見出される。中世には、例えば1931年にアントワープで組織された聖ルカ・ギルドのような現代の「企業」に等しい存在によって、アーティストには見習いから旅絵師そして親方へという明瞭な出世の道筋が示されていた、そして最終的には独立した職人として店を構える特権が与えられるのである。
「生を明らめ、死を明らめるは、仏家一大事の因縁なり」
というのは道元さまの教えですが、私たちが万物の霊長であるためには生きること、死ぬことを明らかにすることが大切だと思うのです。
というのは道元さまの教えですが、私たちが万物の霊長であるためには生きること、死ぬことを明らかにすることが大切だと思うのです。
うつや自律神経失調の人は、多様な価値観や人間関係の中で柔軟に生き抜く「外に向いた」脳である右脳の機能が落ち、突き詰めて論理的に考える「内に向いた」左脳ばかりが強くなっています。そこで思考がマイナスに傾き、自分を否定してしまうと生きる気力を失ってしまうわけです。
ストレスによる不安から逃れるには、「私」から離れるしか根本的な解決はありません。気持ちを「公」に向け、志を持って能動的に脳を使おうと意識することは、不安感を相対的に軽減し、左右の大脳皮質、つまり人間的な脳を働かせることにも繋がります。
ストレスによる不安から逃れるには、「私」から離れるしか根本的な解決はありません。気持ちを「公」に向け、志を持って能動的に脳を使おうと意識することは、不安感を相対的に軽減し、左右の大脳皮質、つまり人間的な脳を働かせることにも繋がります。