今日は夕べからの雨が続いていたわけでもないのに、やんでみたり、
吹き降りになったりを繰り返して、ちょっと出かけたいと思っている
私の足を鈍らせていた。 風も南のベランダを吹きまくっていた。
先日、古くからの友人から一枚の葉書が届き、20余年にわたって開いてきた
お店を閉めることにしたとあり、 22日の夜が最後だと添え書きがあった。
お店の名前は<はるじょぉん> 写真の花からつけたのだった。
西国分寺で彼女が喫茶店を開店する準備を頼まれたときに、大森に住んでいた
私はその距離の遠さに逡巡はあったのだけど、再出発にかける頼みだったので、
一年だけ、ひと月に数日だけの約束で手伝ったり、相談にのったりしていた。
場所柄、絵画展を開いたり、ライブをしたりとそれなりに街にフィットした経営が
できているとの話は聞いていて、その後も何回が訪ねては話などもしていた。
私よりも二つ年上で、ここ数年はいつやめようかと思案していたのは知っていたが、
彼女らしい雰囲気のあるお店だったのでちょっぴり残念な気がしている。
少し迷い悩んだが昨晩は出かけることはしなかった。 が、その前に手紙を書いて
労をねぎらい、二人でゆっくり、静かに思い出を語り合いたいと結んだ。
西国分寺で彼女が頑張っているときは歴史が繋がっているようにも
思えていたけど、これからは共通の思い出のひとこまなっていくのでしょう。
その手紙を投函しにいったポストの前の階段下にある藤棚が淡い紫に煙って
いるように見えて、近づいてみると蕾が開きかけていた。
<あ、もう藤のシーズンになるんだ~>なんて感心しながらパチリ!!でした。
はるじょぉんの花のそばに咲いていたたんぽぽ、今までは見ることがなかったけど
今頃がこの辺りでは時期なのだろうか、そこここで黄色い花を見ることができる。
丈が短く、地面すれすれで咲いているところをみると日本たんぽぽのようです。
葉の形あたりで見分けがつくのだろうか、よくわからない私です。
こうして歳をかさねるごとにひとつひとつの現実が思い出にかわり、残るのは
今ある人生だけが現実になっていくのかも...と、ひとりレース編みをしながら
考えていた。
勇気とパワーが必要だと思います。
20年も続いたお店、きっと惜しまれつつ閉店
だったのでしょう。
さて、タンポポですが不勉強な私が高校の時
唯一生物で学んだことです。
その生物の先生は授業中に学校の裏山・・いや
谷(普段は入ることを禁じられている
ところです。)へ行き見分け方を教えて
下さいました。
花の元、ガク?というのでしょうか
そこが広がっているのが西洋、
閉じているのが日本。最近ではほとんどが
西洋のようです。
わかりやすいサイトがあったので
見てみてください。
http://homepage2.nifty.com/omigon/herb/herbj19a.htm
所で、パソコンの調子は如何ですか?
お役にたつかどうかわかりませんが
お気軽にお声をお掛け下さいませ。
ありましたが、<ガク>のところでしたか、
ありがとう!!はっきりわかる写真でした。
撮られた時期も西洋たんぽぽは今ごろの
日付でしたので、きっと西洋かもです。
後で見にいってみますね。
パソコンの具合はようやく何かが勝手に
動いたのか、夜になって新規投稿が
出来、ほっとしていますが、原因は??です。
力強い援護の言葉に勇気づけられています。
またわからなくなりましたらよろしくね。
実は私も、今そのことでとても沈んでいるんです。
詳細はまた後日報告しますが・・
西国分寺は1度だけ行ったことがあります。
もう30年以上前、静岡の姪が東京の大学に通うことになって
初めて下宿(当時の学生はこれでしたね)が
西国分寺だったので、私が親代わりで大家さんに
挨拶に行きました。
懐かしいです
知らない名前ではなかったのですが、
とても素朴な駅でしたが、今は...です。
大学を卒業して、私学高校の先生をして
いましたが、3人の子育てをしながらで、
<家の中さえまとまらない教師なんか>と
悩み、子どもをひきとり...でした。
一部始終を知っているわけではありませんが、
会うたびに<勇気づけられたわ、頑張ってみる>と言ってましたっけ。
話相手がほしかったのでしょう。
だいぶ迷ってはいましたが、今回は黙って
聞くだけにしました。
何かをもう一度と考えるには早い切り替えが
必要な歳ですから、
これから10年、どんなチャレンジをするので
しょうか、お互いにゆっくりと話たいです。
気持ちは何度も行ったり戻ったりしながら、
やはり自分が最後に決める事なんですよね。
時に方向転換がしたくなったり、
持ってる荷物を下ろしたりしたくなります。
人生を逆算した時、
健康人生(現在の健康に近いもの)をどの位残しているのか・・・。
人それぞれの考えで、
生涯現役で働く人、
定年を自分で設定する人、
新しい人生に向かう人、
みんなそれぞれで良いんだと思います。
自分に自分が責任を持つ、
そう思って仕事をやめました。
私の場合です。
思います。私のときは高齢の父との
会話がもっとしたくて、が、決断でした。
人には語ることなく自分で解決していく
ことは多いものですし、人生ってそういう
積み重ねのような気がします。
だから尚愛おしいものなのかもしれませんね。
だからそこからをどう生きていくかは
とても貴重なことなので、
<生ききった~>とゴールしたい私ですが、
父亡き後がいけません。怠惰な日々を
送っています。
大震災で目が覚め、考えたことも多々ですが、
どう考えてこれからを過ごすつもり?って
自問ばかりしているこの頃です。
取り得のない平凡な自分にちょっと嫌気の
さすときがありますが...、
なんとか頑張って生きていかなければ、です。
サイフォンでコーヒーを入れてくれる喫茶店、
閉まっていました
自分が退職した時より悲しかったです。
明日からお出かけですね。
楽しんできてくださいね。
コメント遅くなりました。
かさねてきた歴史が思い出にかわって
いくことが多くなりました。
コーヒーをサイフォンでいれる喫茶店
覚えていました。
続けることは難しいことなのかも
しれなかったのかもしれませんが、
<思い出しては懐かしいです>って気持ち、
そっと伝えたいと思いますね。