大賀ハスは、1951年の3月末から4月始めにかけて3粒が発見され、それらはその年の5月に府中の大賀先生宅で発芽処理されました。2粒が発芽し1粒が順調に育ち、翌年の春にその蓮根が千葉市の伊原氏宅に移され、手厚い肥培管理のもと良く育ち7月18日に開花したことは周知の事実です。
しかし大賀先生が亡くなったあと勃発した大賀ハス真偽論争でその争点の一つになっていたのが、発芽の翌年に開花したという事実でした。これについては大賀ハスを擁護する側からハスは発芽後1年で開花することを実験的に示したものの、大賀ハスでそのことは示されていませんでした。今となってはハスが発芽翌年に開花することは、ハスを栽培する者にとっては周知のこととなっていますが、実際に大賀ハスが1年で花芽をつけることを報告した記録は私の知る限りありません。
今回、兵庫県の楠田さんが当地で結実した種子を発芽栽培されそのことを示されました。楠田さんのブログ「私の【理科教師日記】」によると、さる7月22日に花芽が見つかりました。楠田さんの【私の理科教師日記】の2008年5月17日(播種)、2009年3月19日(植え替え)、2009年7月22日(花芽発見)の記事をここに転載させていただきます。
2008年5月17日 播種
2009年3月29日 移植
楠田さんの「私の】理科教師日記】」はhttp://rikadiary.cocolog-nifty.com/kusuda/
大賀蓮は様々な品種と交配されています。中でも有名なのが1966年に阪本祐二氏によってアメリカ黄花蓮と交雑して作出された舞妃蓮(まいひれん)ではないでしょうか。3日目の花は花弁をよじらせながら開閉し、その様はあたかも高貴な女性の舞姿を連想させるところから阪本祐二氏(1925-1979)によって1969年に舞妃蓮と名付けられました。このあたりの事情は氏が1968年に「京都園芸」(京都園芸倶楽部機関誌)に投稿した〝舞妃蓮〟に次のように記述されています。
『・・・そしてこのハスの名称は、色調のおだやかさと皇太子ご夫妻を記念して「クラウン・プリンセス」にしようと思い、塚本洋太郎博士にうかがいをたてたところ、東洋的な神秘さが漂っているので、東洋的な名称をつける方がよいように思うと述べられたので、しばらく逡巡していたところ、毎日新聞の田中武文氏が拙宅にこられ「舞うが如き」姿だといわれたので、よい表現に思い早速「舞妃蓮」とつけた次第である。』
昨日宇都宮市で観蓮会が開かれました。
昨年春、宇都宮城跡再生検討委員会によって城跡上蓮池跡地から64個の蓮の実が発掘され、その中の2個を発芽処理したところ、両方発芽し順調に育っているようです。それを見守り育てていこうと、同委員会の手で第1回観蓮会が開催されたようです。残念ながらまだ花芽が立っていないようですが、ハスの季節はこれからですので、同委員会の方々や宇都宮市民の人々は、水面に花芽が現れるのを首を長くして待っているとのことです。
http://www.47news.jp/localnews/tochigi/2009/07/post_20090720122120.html
観蓮会の式次第と趣意書です。
以下の2点を記念品として参加者に差しあげたようです。
宇都宮城の蓮を意匠化した益子焼きの湯呑み茶碗(小島淳一氏 作)
藕粉入りの薯蕷(じょうよ)紅白饅頭(菓子づくり松月 製)