旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

水間寺三重塔

2021年06月30日 | 旅 歴史

 大阪府貝塚市水間に水間寺(みずまでら)があります。
 水間寺の三重塔は本瓦葺き、3間四方、木造三重塔婆です。天保5年(1834)に再建されたもので、明治以前に建てられた大阪府内唯一の三重の塔です。井原西鶴の「日本永代蔵」に記載されたモデルの塔といわれ、貝塚市の有形文化財に指定されています。

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水間寺本堂

2021年06月29日 | 旅 歴史

 大阪府貝塚市水間に水間寺(みずまでら)があります。
 水間寺の本堂は間口7間(23m)、奥行7間(23m)、単層、本瓦葺きで、周囲に1間の庇(ひさし)をめぐらしています。全体に木太く、組物は装飾的です。岸和田藩主岡部長愼の寄進により、文化8年(1811)に再建された建物です。
 本尊の身丈1寸8分の聖観世音菩薩は秘仏のため見ることはできませんが、本堂正面のお前立聖観音菩薩立像を拝むことができます。水間寺の本堂は大阪府下でも最大級クラスの本堂で、貝塚市の有形文化財に指定されています。

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水間寺

2021年06月28日 | 旅 歴史

 大阪府貝塚市水間に水間寺(みずまでら)があります。
 龍谷山水間寺は天台宗のお寺です。天平16年(744)に聖武天皇の勅願により行基が開創したと伝えられています。病床の聖武天皇の夢に現れた観音菩薩を求め、行基は2つの川(葛城山から流れてくる近木川と、その支流の秬谷川)が合流する「水間」にやってきました。
 そこで観音の化身である16人の童子に出会い、谷間に向かうと白髪の老人がいました。手に一体の仏様を捧げ「汝を待つこと久し」と言い、自分の手首を噛み切って、その尊像を行基に渡し、老人は龍となりました。授かった聖観世音菩薩を天皇に捧げたところ全快されたと伝わっています。
 水間寺は堂坊151、寺領2万450石を領し繁栄しました。しかし15世紀末に紀州・根来寺の支配下となったことで、天正13年(1585)、豊臣秀吉の根来攻めで、堀秀政の軍勢に焼き討ちされました。七堂伽藍をはじめ坊舎は灰燼に帰しました。
 天正17年(1589)、岸和田城主・小出秀政により再興されましたが、延宝年間(1673-1681)に焼失し、元禄年間(1688-1704)に城主の助力で伽藍は再建されました。しかし、天明4年(1784)の火災で、再び本堂や三重塔などが焼失し、文化8年(1811)、岸和田藩主・岡部長愼(ながちか)が再建しています。
 境内には本堂、三重塔、開山堂、愛染堂、薬師堂、弁天堂、護摩堂、経堂、鐘楼などが建ち並んでいます。愛染堂は縁結びの神として有名で、堂の前にお夏清十郎の墓があります。新西国三十三ヶ所観音霊場の第4番の札所でもあり、「水間観音」と呼ばれ親しまれているお寺です。

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願泉寺目隠塀

2021年06月27日 | 旅 歴史

 大阪府貝塚市中に願泉寺(がんせんじ)があります。
 願泉寺の目隠塀は本瓦葺きで、本堂正面に建てられています。江戸時代中期の寛文3年(1663)に再建されたものです。平成5年(1993)に本堂の附指定で国の重要文化財に指定されています。

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願泉寺鐘楼

2021年06月25日 | 旅 歴史

 大阪府貝塚市中に願泉寺(がんせんじ)があります。
 願泉寺の鐘楼は昭和20年(1945)の空襲によって焼失しため、貝塚市の青松寺から移築されたものです。元禄15年(1702)に建てられたもので、梵鐘は、鎌倉時代の貞応3年(1224)に鋳造されています。鐘楼は平成5年(1993)に本堂の附指定で国の重要文化財に指定されています。

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願泉寺表門

2021年06月24日 | 旅 歴史

 大阪府貝塚市中に願泉寺(がんせんじ)があります。
 願泉寺の表門は、切妻造り、本瓦葺きの四脚門です。江戸時代中期の延宝7年(1679)に再建されたものです。平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されています。

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願泉寺太鼓堂

2021年06月22日 | 旅 歴史

 大阪府貝塚市中に願泉寺(がんせんじ)があります。
 願泉寺の太鼓堂は間口3間、奥行3間、入母屋造り、本瓦葺きで、二重二階の建物です。江戸時代中期の享保4年(1719)に再建された建物です。内部には仏事で使用される太鼓が備えられています。太鼓堂は平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されました。平成10年(1998)の台風で被害に遭い大修復されています。

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願泉寺本堂

2021年06月21日 | 旅 歴史

 大阪府貝塚市中に願泉寺(がんせんじ)があります。
 願泉寺の本堂は間口27.8m、奥行27m、単層、入母屋造り、本瓦葺きで、正面に1間の向拝があります。江戸時代中期の寛文3年(1663)に再建された建物です。浄土真宗の本山にもなって貝塚御坊とも呼ばれた寺の本堂にふさわしい立派な造りです。
 大工棟梁は、三ツ松村(現貝塚市)出身の岸上和泉守貞由と伝えられ、貝塚寺内や近隣の人々からの寄進を受けて建てられています。内陣と外陣の境の欄間には、中国説話「二十四考」を題材 とした見事な彫刻が施されています。本堂は平成5年(1993)に国の重要文化財に指定されています。

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願泉寺

2021年06月20日 | 旅 歴史

 大阪府貝塚市中に願泉寺(がんせんじ)があります。
 金凉山(きんりょうさん)願泉寺は浄土真宗本願寺派のお寺で、俗に貝塚御坊とも呼ばれます。行基が始まりと伝えられ、本尊の阿弥陀如来立像も行基作といわれています。応仁年間(1467-1468)に浄土真宗本願寺の蓮如が立ち寄って教えを説いています。
 天文14年(1545)に卜半斎了珍(ぼくはんさいりょうちん)が根来寺より招聘され、堂宇が再興され真宗の道場となりました。天正5年(1577)、信長の雑賀攻めで全焼しましたが、3年後に了珍と門徒により復興し、天正8年(1580)には豊臣秀吉から寺内諸役免除の朱印状が下されています。
 天正11年(1583)、紀州鷺森御坊に退去していた本願寺第11代・顕如を迎え、2年間、本願寺の本山となりました。その後本願寺は大坂天満に移り、慶長12年(1607)、本願寺准如から願泉寺の寺号を授けられました。慶長15年(1610)、徳川家康から貝塚寺内町が朱印地と認められ、卜半(ぼくはん)家は自治権を認められました。
 僧でありながら武士を雇って、近隣諸藩から独立した立場を明治まで続けました。また、明治までは東西本願寺と関係を持ち、両本山歴代門主の絵像を所蔵しています。本堂(附指定で鐘楼、築地塀、目隠塀を含む)、太鼓堂、表門などの建造が国の重要文化財に指定されています。

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聖神社滝神社本殿

2021年06月19日 | 旅 歴史

 大阪府和泉市王子町に聖神社(ひじりじんじゃ)があります。
 聖神社の末社である滝神社本殿は三神社本殿の北側にあります。本社本殿、三神社本殿と同じく豊臣秀頼が片桐且元を奉行として、慶長9年(1604)に再建した建物です。檜皮葺きの、一間社春日造りの建物です。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。

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聖神社末社三神社本殿

2021年06月18日 | 旅 歴史

 大阪府和泉市王子町に聖神社(ひじりじんじゃ)があります。
 聖神社の末社・三神社本殿は、本社本殿と同じく豊臣秀頼が片桐且元を奉行として、慶長9年(1604)に再建した建物です。かっては東南部の神護寺「奥の院」に鎮座していましたが、明治6年(1873)に現在地に移されました。
 三神社本殿は三間社春日造とよばれる全国的にも珍しい建築様式です。屋根は檜皮葺き、正面3間、身舎側面2間の前面に1間通りの庇を設け、極彩色が施されています。桃山時代の特徴をよく示しています。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。

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聖神社本殿

2021年06月17日 | 旅 歴史

 大阪府和泉市王子町に聖神社(ひじりじんじゃ)があります。
 聖神社の本殿は極彩色の装飾が施された壮麗な社殿です。間口3間、奥行3間、単層、入母屋造り、檜皮葺きで、正面に千鳥破風が付き、1間の向拝には軒唐破風が付けられています。豊臣秀頼が片桐且元を奉行として、桃山時代の慶長9年(1604)に再建された建物です。大正13年(1924)に国の重要文化財に指定されています。

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聖神社

2021年06月16日 | 旅 歴史

 大阪府和泉市王子町に聖神社(ひじりじんじゃ)があります。
 聖神社はJR阪和線の北信太(きたしのだ)駅の南方、信太山の丘陵の西端にあります。祭神として祀られているのは聖大神で、古事記に「聖神(ひじりがみ)」と記される大年神(おおとしがみ)の子供です。他に瓊々杵尊 ・天照大神 ・饒速日命 ・木花開耶姫命 ・磐長姫命が祀られています。
 白鳳3年(675)、天武天皇の勅願により信太首(しのだのおびと)が聖神を祀ったことが聖神社の始まりです。延喜式神名帳に「聖神社」と記される式内社で、和泉国五社の三ノ宮です。信太大明神、篠田社、信太聖社などとも呼ばれます。
 天正3年(1575)、織田信長に所領1100石を安堵されましたが、同13年(1585)の豊臣秀吉による根来攻めの兵火で被災し所領も没収されました。慶長9年(1604)、豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再建させています。本社本殿と末社三神社・滝神社は国指定重要文化財です。

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積川神社本殿

2021年06月15日 | 旅 歴史

 大阪府岸和田市積川町に積川神社(つがわじんじゃ)があります。
 積川神社の本殿は三間社流造り、檜皮葺きで、正面に千鳥破風を付けています。桃山時代の慶長8年(1603)に豊臣秀頼が片桐且元を普請奉行にして再建させた建物です。大正3年(1914)に国の重要文化財に指定されています。

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積川神社

2021年06月14日 | 旅 歴史

 大阪府岸和田市積川町に積川神社(つがわじんじゃ)があります。
 積川神社は和泉国和泉郡の式内社で、和泉五社の一つです。歴代天皇の勅願社で、天正(1573-1592)の頃まで社領600石を有していたようです。社域は府道牛滝街道にあり、2500坪もの広さを持っています。鳥居の扁額に白河上皇(1053-1129)は正一位積川大明神の揮毫を残しています。
 永暦元年(1160)には後白河院による熊野御躰の勧請に際し、養和元年(1181)に積川社は今熊野社領諸国荘園28箇所の一つとして寄進されています。皇室や武将の崇敬も厚く、繁栄しましたが、戦乱などで荒廃し、慶長8年(1603)、豊臣秀頼が堂宇の再建、改築をしています。
 明治40年(1907)には積川村の八坂神社、菅原神社、白鬚社を合祀しています。積川神社の本殿は国の重要文化財に指定され、また神体である木造男女神像8体(鎌倉期)と、熊野街道に面して立つ遥拝鳥居に懸けられていた白河上皇揮毫の木造篇額が大阪府の有形文化財に指定されています。

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