旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

知新館

2024年01月09日 | Weblog

岐阜県恵那市岩村町に岩村城跡があります。
 知新館は元禄15年(1702)、小諸より入封した大給分家の松平乗紀(のりただ)が開設した美濃における最初の藩校です。昭和59年(1984)に岩村城跡公園入口の藩主邸跡に正門、釈奠の間が移築されました。岩村藩は2万石から3万石の小藩でしたが文教政策に重点をおき有能な藩士を育成しました。
 知新館は論語の「温故而知新」(ふるきをたずねて新しきを知る)から名付けられました。藩士の子弟はすべて、数え年8歳で入学し、20歳で退学が許されたそうです。乗紀は後藤松軒の門人の佐藤勘平(周軒)を招いて藩士の子弟を教育したそうです。
 正門は切妻造り、長屋門形式、木造平屋建て、桟瓦葺きです。外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁抑えになっています。釈奠の間は板間、間口1.8m、奥行90cmの聖壇があり、孔子画像軸が掲げられています。知新館正門・釈奠の間、附指定で孔子画像軸が昭和43年(1968)に岐阜県指定史跡に指定されています。

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明白寺

2023年11月27日 | Weblog

  岐阜県瑞浪市明世町山野内に明白寺があります。
 明白寺は江戸時代に再興された黄檗(おうばく)宗のお寺です。唐の僧・黄檗希運の名に由来するこの宗派は、臨済宗、曹洞宗に次ぐ禅宗の一つです。境内には黄檗(きはだ)樹が植えられています。
 境内には、本堂のほか、土岐明智氏の祖である土岐頼基の墓といわれる五輪塔や、万治3年(1660)に建てられたという万治の延命地蔵尊などがあります。

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永泉寺の銀杏

2023年11月25日 | Weblog

 岐阜県多治見市池田町に永泉寺があります。
 永泉寺境内にある銀杏(イチョウ)は寛永2年(1625)に雲山和尚が開山した際、和尚自ら植樹したと伝えられています。樹高28m、目通り幹周3.86m、枝張27.1mの大木で、昭和47年(1972)に多治見市の天然記念物に指定されています。

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長谷寺本坊

2023年10月10日 | Weblog

 奈良県桜井市初瀬に長谷寺(はせでら)があります。
 長谷寺本坊は事相、教相の根本道場です。寛文7年(1667)に徳川家の寄進で建てられましたが、明治44年(1911)の大火災で焼失しました。大講堂は大正8年(1919)に再建された建物です。木造、本瓦葺き、建築面積は590.05平方mです。西面に渡廊下があり、南面には板塀が附属しています。平成26年(2014)に国の重要文化財に指定されています。

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旧八重川家住宅

2023年06月20日 | Weblog




 奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。
 旧八重川家住宅は山辺郡都祁村大字針(現在の奈良市針)にあって、代々農業を営んでいました。間口11m、奥行8m、単層、寄棟造り、茅葺きの建物です。建築年代は明確ではありませんが、形式手法から19世紀初期の建築と考えられています。平成16年(2004)に奈良県の有形文化財に指定されています。
  間取りは右半が土間、左半が床上部で、土間の割合が大きくなっています。土間の前には「まや」を配し、背面側を釜屋としています。床上部は二間取りで、「ざしき」、「なかのま」と続き、両間の境には置仏壇を設置しています。この建物は二間取りの明快な間取りをもち、江戸時代末期のこの地域の一般的な住宅として貴重な建物です。

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旧萩原家住宅

2023年06月18日 | Weblog

 奈良県大和郡山市矢田町に大和民俗公園があります。
 旧萩原家住宅は桜井市下(旧下村)に所在していた農家です。下村は昔、宿場で栄えた桜井から、南方へ約2km離れ、多武峰に向う街道に沿った村落です。萩原家はこの村の北部にあって組頭を務めたといわれています。元禄16年(1703)から宝永5年(1708)頃に建てられたと考えられています。
 平面は下手3間を土間とし、正面側に「うまや」、背面側に「かまや」を設け、居室部は正面側に「みせのま」「ざしき」があり、背面側に「だいどころ」「なんど」の4間取りで、「ざしき」には仏壇、とこ、脇床を設けています。屋根は茅葺きで葺降ろしになっています。

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東京大学法文2号館

2021年12月30日 | Weblog

 東京都文京区本郷に東京大学があります。
 法文2号館も経済学部も使用していた時は法文経2号館と呼ばれていました。内田祥三が設計し昭和13年(1938)に完成しています。国の登録有形文化財に登録されています。文学部の事務室が法文2号館内にあり、地下には、食堂や東大生協第一購買部などが入っています。

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護国寺

2021年12月09日 | Weblog


 東京都文京区大塚に護国寺(ごこくじ)があります。
 神齢山護国寺は真言宗豊山派大本山です。天和元年(1681)、5代将軍徳川綱吉が、生母桂昌院の願いにより、上野国(群馬県)碓氷八幡宮の別当、大聖護国寺の亮賢僧正を招lいて創建した祈願寺です。桂昌院念持仏の如意輪観世音菩薩像を本尊としています。
 元禄7年(1694)、綱吉と桂昌院ともども護国寺に参詣し、寺領は300石から加増され600石となりました。その翌年、将軍の信頼が厚い快意僧正が第3世になり、元禄10年(1697)には現在の本堂である観音堂が造営されました。
 観音堂は元禄時代の建築工芸の粋を結集した大建造物で、その雄大さは江戸隋一といわれました。以来、護国寺界隈は護国寺の隆盛と共に賑わい、寺領も1200石と加増され、境内には多くの建造物が甍を併べた大殿宇となりました。
 常陸筑波山の別院知足院の隆光僧正は綱吉から信頼を得て、神田橋外に巨刹を興し護持院と改称し、将軍家祈願の任に当たっていました。寺領1500石で、新義真言宗で最も格式の高いお寺でした。享保2年(1717)、護持院は火災に遭い、上野寛永寺と並び称せられた巨刹も堂塔一宇残らず焼失したのでした。
 その後、幕命により護持院を護国寺に合併し、観音堂の方を護国寺に、本彷の方を護持院とし、護持院の住職が護国寺住職を兼ねることとなりました。以後、両寺領併せて2700石の寺領となり、幕府祈願の任を勤め、江戸時代の名所として人々に親しまれてきました。
 明治時代初頭に出された神仏分離令により、護持院は廃寺となりましたが、護国寺は残りました。明治16年(1883)、大正15年(1926)に火災があり、堂宇の多くを失いましたが、観音堂(本堂)は元禄以来の姿を変えず、また、近江三井寺より移築された月光殿(重文)は桃山期の建築美を今に伝え、国の重要文化財に指定されています。

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二条城番所

2020年03月05日 | Weblog

 京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
 二条城の番所は東大手門を入った右手にあります。間口10間(19.6m)、奥行3間(6.06m)の建物で、屋根は本瓦葺きと、下に付いている庇は桟瓦葺きです。ここには二条在番という江戸から派遣された武士が警備のため常駐していました。1組50人の武士が毎年2組、4月に交代して番にあたったそうです。

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北池・雌滝

2019年12月21日 | Weblog

 京都府京都市上京区京都御苑内に仙洞御所・大宮御所があります。
  北池の東岸の苑路が西へと曲がるあたりに雌滝と呼ばれる滝があります。南池の雄滝に対する滝ですが、滝というよりも遣水(やりみず)で、なだらかな傾斜面を曲がりながら北池に流れていきます。修学院離宮でも雄滝と雌滝がありました。後水尾上皇の好みなのでしょう。

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京都御所御常御殿

2019年12月08日 | Weblog

 京都府京都市上京区京都御苑に京都御所があります。
 御常御殿(おつねごてん)は御学問所の北側に位置します。京都御所の中で最も大きな御殿です。入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺き、書院造りで、内部は15室あります。 天皇の日常のスペースとして使われた建物です。 平安遷都当初、天皇のお住まいとして仁寿殿がありましたが、以後長く清涼殿がそれに当てられました。
 やがて清涼殿も居住様式の変化に対応できなくなってきました。豊臣秀吉の行った天正の造営で御常御殿が別棟で設けられました。現在の建物は安政2年(1855)に再建されたもので、実用性のある機能的な造りで、剣璽(けんじ)を奉安する「剣璽の間」など格式のある間も備えられています。

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永観堂鐘楼

2019年10月31日 | Weblog

 京都府京都市左京区永観堂町に永観堂(禅林寺)があります。
 永観堂の鐘楼は宝永4年(1707)の建立で、京都府の有形文化財に指定されています。鐘楼は本瓦葺き、方一間吹放ちです。梵鐘は寛保3年(1743)に鋳造されたもので、第二次大戦の時に供出されましたが無事戻された鐘です。毎夕4時に鐘が撞かれています。

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真如堂萬霊堂

2019年10月14日 | Weblog

 京都府京都市左京区浄土寺真如町に真如堂(真正極楽寺)があります。
 真如堂の萬霊堂は宝蔵の横に建てられています。三井家によって建立され、地蔵菩薩を中心に有縁無縁の精霊を祀っています。真如堂は三井家の菩提寺で、墓所があります。

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修学院離宮・中離宮・客殿

2019年09月24日 | Weblog

 京都府京都市左京区修学院薮添に修学院離宮があります。
 中離宮の客殿は延宝6年(1678)に東福門院(東福門院は後水尾天皇の女御で徳川2代将軍秀忠の娘です)が亡くなった後に、光子内親王のために女院(にょいん)御所の奥後対面所を林丘寺に移築したものです。客殿は書院造りで、延宝5年(1677)に建てられています。
 客殿は入母屋造り、木賊葺きの庇の深い屋根があり、板戸を建て、濡縁をを廻しています。その欄干の一部分には、乱菱状の格子が設けられ、「網干(あぼし)の欄干」といわれます。漁村で網を干した形に似ていることから名づけられたそうです。
 客殿は西側の南に「一の間」、その東に「二の間」、その北に「三の間」があります。一の間の北には仏間もあります。一の間は12畳半で豪華な造りです。ここの1間半の飾り棚は霞棚(かすみだな)と呼ばれ、桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一つに数えられています。互い違いの欅板が霞がたなびいているように見えることから名づけられたそうです。
 地袋の戸の引手が羽子板になっていたり、床の壁や襖は、腰張が群青と金の菱形模様という斬新な意匠です。棚の壁面には後水尾上皇の勅命により詠まれた、修学院八景を詠み込んだ漢詩と和歌の色紙が貼り付けてあります。金具などには三つ葉葵の紋が入っていて、東福門院が徳川家から嫁いだことを物語っています。
 二の間は10畳で、狩野永敬の四季絵があり、南側の畳縁の杉戸には鯉と鮒、大鯉を描かれています。魚たちが夜な夜な絵から抜け出して庭の池で泳ぐため、漁網を描き加えたといわれます。楽只軒に通じる階段との境の杉戸には、狩野敦信が描いたといわれる祇園祭の放下鉾と岩戸山の絵が描かれています。

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修学院離宮下離宮表門

2019年09月21日 | Weblog

 京都府京都市左京区修学院薮添に修学院離宮があります。
 下離宮の東側の御馬車道は二手に別れ、南に行くと中離宮です。ここには後水尾上皇の第1皇女「梅宮」が出家した円照寺という尼寺がありました。その後、上皇の第8皇女「光子(てるこ)内親王」が造営した朱宮(あけのみや)御所になりました。上皇の死後、林丘寺という寺になり、明治に修学院離宮の一部となりました。表門は木賊貼りとなっていて、国賓公賓などの要人の方が訪れたときに開かれるそうです。

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