奈良県天理市布留町に石上神宮(いそのかみじんぐう)があります。
石上神宮は日本最古の神社の一つです。石上神社、石上振神宮、石上布都御魂神社、石上布都大神、岩上大明神、布留大明神などと称され、略して布留社、石上社とも呼ばれました。延喜式神明帳には、石上坐布都魂神社と記載されています。
石上神宮は神剣・布都御魂(ふつのみたま)を神体として祀っています。この霊剣は神武天皇が東征の折り、熊野の高倉下が天皇に捧げたもので、邪神を破り、国々を平定した威徳により、物部氏の遠祖、宇摩志麻治命をして、宮中に奉斎されたものです。
その後、崇神天皇が物部氏の祖・伊香色男命(いかがしこおのみこと)に命じ、神剣を石上の土中に埋め、石上大神と称して祀りました。これが石上神宮の始まりです。こうしたことから、古代豪族であった物部氏は石上神宮を氏神として仰ぐようになり、勢力も増しました。
物部氏が累代奉仕の任務につき、素盞鳴尊が八岐大蛇を退治された天羽斬剣(あめのはばきりのつるぎ)も祀られ、我が国の霊剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)を除き石上神宮に祀られています。
百済の肖古王と王子貴須から送られた七支刀なども所蔵しています。身の左右に3本づつ枝刀を備えた刀で国宝に指定されています。石上神宮は神剣を祭祀する神社であるとともに、膨大な武器を保管する大和朝廷の武器庫の役割も果たしていたようです。
平安時代後期、白河天皇は石上神宮を崇敬され、現在の拝殿(国宝)は永保元年(1081)、天皇が宮中の神嘉殿(しんかでん)を寄進されたものと伝えています。寛治6年(1092)には上皇として参詣されています。
中世に入ると、興福寺の荘園拡大と守護権力の強大化により、布留川を挟み南北2郷からなる布留郷を中心とした氏人は、たびたび争いました。戦国時代には、織田勢の乱入により社頭は破却され、1千石といわれた神領も没収され衰微しました。
明治時代に入り、神祇の国家管理が行われ、明治4年(1871)に官幣大社に列し、明治16年(1883)には神宮号復称が許されました。石上神宮拝殿と摂社出雲建雄神社拝殿は国宝に指定され、楼門と石上神宮禁足地出土品は国の重要文化財に指定されています。
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