旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

南禅寺水路閣

2019年01月31日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺福地町に南禅寺があります。
 ここには「京都迷宮案内」などにも登場した「水路閣」があります。水路閣は、琵琶湖疎水事業の一環として、施工された水路橋で、延長93.17m、幅4.06m、水路幅2.42m、煉瓦造、アーチ構造の優れたデザインを持ち、京都を代表する景観の一つとなっています。
 京都府知事北垣国道の発意により、田辺朔郎工学博士を工事担当者として、明治18年(1885)起工され、同23年(1890)に竣工しました。西欧技術が導入されて間もない当時、日本人のみの手で設計、施工されたもので、土木技術史上、極めて貴重なものです。昭和58年(1983)京都市の史跡に指定されました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南禅寺法堂

2019年01月30日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺福地町に南禅寺があります。
  南禅寺の法堂は三門の奧にあります。法式行事や公式の法要が行われる場所で、南禅寺の中心となる建物です。応仁、文明に焼失、慶長11年(1606)に豊臣秀頼の寄進により大改築されましたが、明治26年(1893)の火災により焼失しました。現在の法堂は明治42年(1909)に再建された建物です。平成2年(1990)、開山大明国師700年大遠忌記念行事で、屋根茸替え、敷瓦取替工事を実施しています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南禅寺方丈

2019年01月29日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺福地町に南禅寺があります。
 南禅寺の方丈は大方丈とその背後に接続している小方丈があります。昭和28年(1953)にそれぞれ国宝に指定されています。大方丈は天正年間(1573-1592)に豊臣秀吉が献上した御所の清涼殿を、慶長年間の御所新築計画に伴って下賜を受け移築した建物で、小方丈は伏見城の書院を移築したものといわれています。
 大方丈は入母屋造り、単層、こけら葺きの建物です。中央北に内陣、その南に御昼の間、東に鳴滝の間と麝香(じゃこう)の間、西に鶴の間と西の間があります。南側前面板張りの広縁があり、東側に柳の間、西側に狭屋(さや)の間があります。御昼の間は清涼殿時代に昼の御座であった御帳の間の別称を残していて、広縁の欄間彫刻、天井、板扉の形式とともに近世宮室建築の姿を伝えています。
 大方丈の背後に接続した小方丈は寛永年間(1624-1644)に建てられた建物です。虎の間、3室(9畳、6畳、20畳)、広縁があり、屋根は切妻造り、こけら葺きです。襖絵の「水呑の虎」は狩野探幽の傑作といわれています。
 

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南禅寺勅使門

2019年01月28日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺福地町に南禅寺があります。
 南禅寺の勅使門は、寛永18年(1641)、明正天皇より、御所にあった「日の御門」を拝領したものです。古くは天皇や勅使の来山の折に限って開かれました。現代では住持の晋山に限って開かれています。この勅使門は桃山時代の慶長年間(1596-1614)に建立された切妻造り、檜皮葺きの四脚門です。昭和31年(1956)に国の重要文化財に指定されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南禅寺中門

2019年01月27日 | 旅 歴史

 南禅寺道の突き当たりにある門が南禅寺の中門です。門札に「大本山南禅寺」の立派な文字が書かれています。勅使門の南にある中門は、慶長6年(1601)、松井康之より、伏見城松井邸の門を勅使門として寄進されたものです。「日の御門」の拝領に伴い現地に移建され、幕末までは脇門と呼ばれていました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南禅寺三門

2019年01月26日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺福地町に南禅寺があります。
 南禅寺の三門は知恩院三門、東本願寺大師堂門とともに日本三大門の一つとされています。仏道修行の悟りを示す「空門」「無相門」「無作門」の3つの門を表して三門と呼ばれています。現在のものは寛永5年(1628)、藤堂高虎が大阪夏の陣で戦死した藩士の霊を弔うため寄進し再建したものです。
 南禅寺の三門は5間3戸2階建て、入母屋造り、本瓦葺きの2重門です。両側に間口3間、奥行2間、単層、切妻造り、本瓦葺きの山廊が置かれています。三門は高さが22mもあり、禅寺特有の重厚な造りと太い柱が威容を誇っています。三門は天下竜門とも呼ばれ、上層の楼は五鳳楼とも呼ばれています。
  この三門は明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。
 元治元年(1864)、新選組は肥後の宮部鼎蔵の下僕・忠蔵をこの付近で捕縛しました。尋問に一切答えなかった忠蔵は、三門の楼上に晒しものにされたそうです。
 日本史上屈指の義賊「石川五右衛門」が連想されます。元禄時代の歌舞伎の台本の中で、戯作者が山門に五右衛門を登楼させ「絶景かな絶景かな」の名せりふをはかせたことで有名になりました。ただ五右衛門は三門の再建される30年も前に磔になっているそうです。三門の向こうの山の緑がとても美しい場所です。生い茂る松、背後に続く山々。自然の偉大さが垣間見えます。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南禅寺境内

2019年01月25日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺福地町に南禅寺があります。
 南禅寺の境内は平成17年(2005)に国の史跡に指定されました。三門、勅使門は国の重要文化財に指定され、方丈庭園は国の名勝に指定されています。また順正南禅寺本店(順正書院)書院、石門は国登録有形文化財です。国重要文化財の南禅寺一切経、南禅寺仏殿指図(三図)などの寺宝も所蔵されています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南禅寺

2019年01月24日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区南禅寺福地町に南禅寺があります。
 南禅寺は臨済宗南禅寺派の大本山で、正式には瑞龍山太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)という長い寺名です。この場所は三井寺の「駒の僧正」とよばれた道智の最勝光院があったとされる所です。亀山天皇がここを離宮としましたが道智の怨霊が日夜出没したそうです。
 祈祷師などにお払いをしてもらっても効き目がなく、東福寺3世の無関普門(むかんふもん)(大明国師)を招いたところ、霊が出なくなったそうです。亀山天皇は無関に深く帰依し、正応4年(1291)に離宮を禅寺に改め禅林禅寺とし、無関を開山として招きました。
 亀山法皇は建長元年(1249)、後嵯峨上皇の皇子として生まれ、10歳で皇位に就かれ、上皇の時には蒙古来襲という国難に対処しています。無関の跡を継いだ規庵祖円(きあんそえん)(南院国師)は仏殿、七堂伽藍を完成し、正安年間(1299-1302)に太平興国南禅禅寺と寺名を改めました。
 3世の一山一寧(妙慈弘済大師)は元弘の後に元朝より平和交渉の使僧として来日した人です。北条貞時によりスパイ容疑で修善寺に幽閉されましたが、のちに建長寺の10世となり、後宇多天皇の懇願で南禅寺3世になりました。南禅寺は至徳3年(1386)に五山(天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺)の上のお寺とされました。
 南禅寺はその後も著名の禅僧が歴代住持として住山して五山文学の中心地として栄えました。明徳4年(1393)、文安4年(1447)に火災に遭い、伽藍が焼失し、再建後の応仁元年(1467)、応仁の乱で灰燼に帰しました。266世の玄甫霊三の時に法堂が完成し秀吉より800石を賜りました。
 270世で、金地院3世の以心崇伝(いしんすうでん)は徳川家康の信任を得て、幕府の外交事務の担当し、黒衣の宰相ともいわれました。 元和5年(1619)には相国寺にかわり「天下僧録司」に任ぜられました。慶長10年(1605)に崇伝が入寺してから諸堂が整備され、繁栄しました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都市美術館

2019年01月23日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区岡崎円勝寺町に京都市美術館があります。
 京都市美術館は岡崎公園の中に建てられています。昭和3年(1928)秋、天皇の即位式が京都で行われたのを記念し、5年後の昭和8年(1933)11月に「大礼記念京都美術館」として開館しました。以来京都の中心的な美術拠点の1つとして広く親しまれています。
 建物は公募によって選ばれた東京の建築家の前田健二郎の設計です。総工費は当時の金額で107万円かかったそうです。建設には、京都の美術関係者だけでなく、京都市民や広く関西の財界からも多額の寄付が寄せられたそうです。
 敗戦後、駐留軍により接収されました。昭和27年(1952)、接収が解除され、京都市美術館に改称されました。明治以降の京都を中心とした日本画、洋画、彫刻、工芸、書、版画など3千点以上を収蔵、展示しています。平成12年(2000)に京都市公会堂東館だった建物を別館としています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧武徳殿

2019年01月22日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区聖護院円頓美町に旧武徳殿があります。
 旧武徳殿は明治32年(1899)、京都ハリストス正教会聖堂(京都市指定文化財)や京都府庁舎旧本館(国重文)などを手がけた松室重光らによって建立されました。大正2年(1913)には玉座と車寄が亀岡末吉によって増改築されています。
 木造、単層、裳階(もこし)付きの切妻造り、桟瓦葺きで、車寄が付けられています。建築面積は1051.57平方mもあります。伝統的和風建築をベースにしながらも明治以後の洋風建築の影響を受けた「近代和風建築」です。平成8年(1996)に「旧武徳殿」の名称で国の重要文化財に指定されました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧武徳殿

2019年01月21日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区聖護院円頓美町に旧武徳殿があります。
 平安神宮の西北に京都市武道センターがあります。その中に旧武徳殿が建てられています。桓武天皇が武技を奨励し、御所の西北に武徳殿を造った故事にならい、平安遷都1100年記念事業の一環として、平安神宮造営と同じく武徳殿を建設しようと大日本武徳会が中心になり働きかけました。
 そして明治32年(1899)、全国から有志の浄財を集め、平安宮の大極殿を模した武徳殿を完成させました。その後、武術教員養成所が開設され、武道専門学校が併設されると、数多くの武道家や教育者を輩出し、日本武道の中核を担いました。
 「東の講道館、西の武徳殿」と評される日本の武道の中心的存在となっていましたが、昭和21年(1946)、敗戦により進駐軍に接収され、武道禁止と大日本武徳会の解散が命じられました。その後、京都市警察学校、京都市立芸術大学を経て、京都市武道センターの施設となっています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平安神宮應天門

2019年01月20日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区岡崎西天王町に平安神宮があります。
 平安神宮の應天門(おうてんもん)は明治28年(1895)の創建時の建物です。木造、入母屋造り、碧瓦本瓦葺きの2階二重の楼門です。建築面積は132.20平方mあります。門の上方には「弘法も筆のあやまり」のもとになった「應天門」と書かれた額が掛けられています。平成22年(2010)に国の重要文化財に指定されました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平安神宮白虎楼

2019年01月19日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区岡崎西天王町に平安神宮があります。
 平安神宮の白虎楼(びゃっころう)は蒼龍楼とともに平安の朝堂院の様式を模したもので、明治28年(1895)の創建時の建物です。蒼龍楼と同様、木造2階建て、碧瓦本瓦葺きで、屋根は四方流れ、二重五練の入母屋造り、下層に4つの小楼が付いています。建築面積は96.98平方mです。平成22年(2010)に国の重要文化財に指定されました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平安神宮蒼龍楼

2019年01月18日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区岡崎西天王町に平安神宮があります。
  平安神宮の蒼龍楼(そうりゅうろう)は白虎楼とともに平安の朝堂院の様式を模したもので、明治28年(1895)の創建時の建物です。本来は玄武、朱雀をあわせて京都の東西南北4方を守護します。木造2階建て、碧(みどり)瓦本瓦葺きで、屋根は四方流れ、二重五練の入母屋造り、下層に4つの小楼が付いています。建築面積は96.98平方mです。平成22年(2010)に国の重要文化財に指定されました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平安神宮西歩廊

2019年01月17日 | 旅 歴史

 京都府京都市左京区岡崎西天王町に平安神宮があります。
 平安神宮の西歩廊は大極殿と白虎楼に接続している歩廊で明治28年(1895)に造られています。 東歩廊と同じく、木造、切妻造り、碧(みどり)瓦本瓦葺きで、建築面積201.76平方mあります。平成22年(2010)に国の重要文化財に指定されました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


日本一周 ブログランキングへ

にほんブログ村 旅行ブログ 日本一周へ
にほんブログ村


http://blog.fc2.com/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする