旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

三井寺霊鐘堂

2016年01月31日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 金堂の西方に霊鐘堂があります。ここには弁慶の引摺り鐘が納められています。またここには武蔵坊弁慶をはじめ多くの僧兵が汁をつくって飲んだといわれる「千僧の鍋」といわれる汁鍋も残されています。

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三井寺教待堂

2016年01月30日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 三井寺の教待堂は金堂の裏側にあります。慶長4年(1599)に再建された建物で、教待和尚の像を安置しています。智證大師が入寺以前にこの聖地を護持していた不思議な老僧で貞観元年大師の入山とともにこの草庵に入り姿が見えなくなったといわれています。

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三井寺熊野権現社

2016年01月29日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 金堂の裏に熊野権現社があります。密教の奥儀を究め、大峯・熊野三山の入峯練行を行った智證大師が平治元年(1159)ここに熊野権現を歓請し、三井修験道の鎮神としました。 寛治4年(1090)の白河上皇の熊野詣で園城寺の増誉が先達となり、その功で熊野三山検校となった事で熊野修験との関係が深まっていました。現在の建物は天保8年(1837)に再建されたものです。

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三井寺閼伽井石庭

2016年01月28日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 閼伽井屋の建物の北側に閼伽井石庭があります。小さな庭園ですが日本最古の庭園といわれています。蓬莱山といい、東海中にあって仙人が住み不老不死の地と考えられている霊山を形取った石組です。中央より人、神佛、鶴、亀と配されています。

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三井寺閼伽井屋

2016年01月27日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 三井寺の閼伽井屋(あかいや)は金堂の正面から左側に回りこんだところに、金堂と接して建っています。閼伽井(あかい)とは仏前に供養する水を汲む井のことです。閼伽井屋はその覆屋として建てられたもので、この内部には井泉が湧いています。
 閼伽井屋は間口3間、奥行2間、単層、向唐破風造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。慶長5年(1600)に金堂に引き続いて再建されています。正面の唐破風に左甚五郎の龍の彫刻があります。夜になると琵琶湖に出て暴れるため、それを止めるため甚五郎が目玉に大きな釘を打ち付けたと伝えられています。。
 閼伽井屋の内部には石組の間からこんこんと水が湧き出ています。天智天皇、天武天皇、持統天皇の3帝の誕生の時に御産湯に用いられました。三井寺の名前もここからきています。園城寺閼伽井屋として明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されました。

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三井寺一切経蔵

2016年01月26日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 三井寺の一切経蔵は鐘楼のすぐ西にあります。仏教のすべての教典、つまり一切経(大蔵経)を納めるところです。この経蔵には版木の一切経が納められています。
 経蔵は間口1間、奥行1間、単層、宝形造り、檜皮(ひわだ)葺きの禅宗形式の建物です。裳階をつけているため柱間が3間3間、屋根が二重に見えます。中には一切経を納めた回転式の巨大な八角形の輪蔵(回転書架)があります。天井からは円空仏7体が発見されています。
 この経蔵は山口市の国清寺の経蔵であったものです。慶長7年(1602)毛利輝元によって移されたといわれています。園城寺一切経蔵として明治39年(1906)に国の重要文化財に指定されています。

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三井寺天狗杉

2016年01月25日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 市街地の近くにある大きな杉は「天狗杉」「園城寺天狗杉」といわれています。寺伝によると樹齢千年を経ているといわれています。根まわり7.5m、目通り周囲4mあり、地上まもないところで二股に分かれています。主幹の先に近いところは度重なる落雷によって枯れた状態になっていますが、他の場所は健全で良く枝葉が茂っています。昭和51年(1976)に大津市の指定文化財、天然記念物になりました。

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三井の晩鐘

2016年01月24日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 600貫(2250kg)の梵鐘は近江八景の1つ「三井の晩鐘」として有名です。音の三井寺として日本3銘鐘の一つに数えられています。摂津住吉の鋳物師・杉本家次が弁慶の引摺り鐘の後継鐘として、慶長7年(1602)に鋳造したそうです。
 この鐘には除夜の鐘の108煩悩に因んで、鐘の上部には108箇の突起があります。その音色は京都の宇治平等院、神護寺の鐘とともに天下3鐘とされています。滋賀県の文化財に指定され、平成8年(1996)には「日本の音風景百選」に選定されています。

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三井寺鐘楼

2016年01月23日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 三井寺の鐘楼は金堂のすぐ南東にあります。近江八景のひとつ「三井の晩鐘」で有名な巨大な梵鐘を吊る鐘楼です。建築様式や梵鐘の銘文に慶長7年(1602)とあることから桃山時代に建立されたと推定されています。
 鐘楼は間口2間、奥行1間、単層、切妻造り、檜皮(ひわだ)葺きで、周囲には、下に腰板を廻らし、上は連子をはめています。園城寺鐘楼として昭和42年(1967)に国の重要文化財に指定されています。

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三井寺金堂

2016年01月22日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 三井寺の金堂は寺の本堂にあたり、食堂の上方に位置しています。貞和年間(1345-1350)に再建された金堂は文禄4年(1595)の破却の際、比叡山の西塔に移されてしまいました。現在の金堂は慶長4年(1599)に豊臣秀吉の正室である北政所によって再建されたもので、三井寺境内でもひときわ大きく威容を誇っています。
 絶対の秘仏である本尊の弥勒菩薩は、1300年前の三井寺創建時に、天武天皇から賜わったと伝えられています。この弥勒菩薩は三国伝来の霊仏で、中国天台宗の高祖慧思禅師が修行されている時に降臨された弥勒菩薩が自らの分身として残された3寸2分の像であるということです。
 金堂は間口7間、奥行7間、単層、入母屋造り、3間の向背が付いた大きな建物です。素木造りと檜皮(ひわだ)葺きの屋根が風格をみせています。内部は延暦寺根本中堂と同じく、内陣が外陣より一段低い土間になっています。これは天台密教の本堂にある独特な構造です。金堂は園城寺金堂として明治39年(1906)に国宝に指定されています。

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三井寺食堂(釈迦堂)

2016年01月21日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 大門(仁王門)を入ってすぐ右手に食堂(釈迦堂)が南面して建てられています。清涼寺式釈迦如来像を本尊として安置しているので釈迦堂ともいわれます。彫刻や工法などから室町時代初期に建てられたと推定される建物で、元和7年(1621)に京都御所の清涼殿を下賜され、移築したものと伝えられています。
食堂は間口7間、奥行4間、単層、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きで、正面1間が吹き放しで1間の唐破風向拝が付いています。比較的に簡素な造りですが、風格があります。園城寺食堂(釈迦堂)として明治45年(1912)に国の重要文化財に指定されています。この付近はかって中院と呼ばれた場所だったようです。

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光浄院客殿

2016年01月20日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 光浄院の客殿は間口7間、奥行6間、単層、入母屋造り、妻入、正面軒唐破風付、総柿(こけら)葺きで、勧学院客殿よりもやや小さめです。中門は間口1間、奥行1間、単層、切妻造りで、中門や広縁は勧学院とほぼ同じで、中世の主殿造の様式です。
 光浄院の客殿は日本の住宅建築の源泉となった書院造りの代表的遺構として、昭和27年(1952)に国宝に指定されました。室町時代後期の庭園も、勧学院光浄院庭園として昭和9年(1934)、国の名勝・史跡に指定されています。
 客殿の内部は南北2列に別れていて、南側の上座の間には、正面に床と違棚、北面には帳台構を設けています。南側の広縁に突出して2畳の上段の間があり、ここには更に床と書院が付けられています。そして 狩野山楽(さんらく)による見事な障壁画(重要文化財)が描かれています。

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光浄院

2016年01月19日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 光浄院は金堂の北にあります。三井寺山内で最も格式の高い子院で、その外郭には、城郭を思わせる豪快な石垣が見られます。現在、寺の長吏(住職)の住房となっています。光浄院は室町時代の寛正元年(1460)に瀬田城の城主であった山岡資広(すけひろ)によって創建されたといわれています。
 資広の子孫、暹慶(せんけい)は光浄院の住職をしていましたが、足利15代将軍義昭の命により還俗し山岡景友(かげとも)と名乗り、山城半国の守護に任じられました。景友はのちに織田信長、豊臣秀吉に仕え、再び剃髪して道阿弥と号しました。
 文禄4年(1595)、豊臣秀吉に闕所(けっしょ、寺域の没収)を命じられ光浄院は三井寺諸堂とともに破却されました。道阿弥は照高院道澄とともに秀吉の恩赦をえるため懸命に努力しました。そして慶長6年(1601)、光浄院は再建されました。

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三井寺仁王門

2016年01月18日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 境内入口にある大門(仁王門)は三間一戸の楼門で、入母屋造り、檜皮(ひわだ)葺きの建物です。三井寺中院の表門で、東面して建ち、両脇に仁王像が守護しています。宝徳4年(1452)に滋賀県甲賀郡石部町の常楽寺の門として建てられました。のちに豊臣秀吉によって伏見城に移され、慶長6年(1601)に徳川家康の寄進によりここに移されたそうです。
 随所に見られる彫刻や組物などは、建築当初の特色がよく残されており、園城寺大門(仁王門)として明治33年(1900)に国の重要文化財に指定されました。門前は延暦寺との長い争いを象徴するように、穴太(あのう)積みの石垣と掘割で固められています。

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三井寺

2016年01月17日 | 旅 歴史
 滋賀県大津市園城寺町に三井寺(園城寺)があります。
 天台寺門宗の総本山である三井寺は正式名称を長等山園城寺(ながらさんおんじょうじ)といいます。再三の兵火や破却にあいましたが再興され、現在も国宝・重要文化財・名園など貴重な寺宝を数多く伝えています。
 平安時代、第5代天台座主・智証大師円珍和尚の卓越した個性によって天台別院として中興され、 東大寺・興福寺・延暦寺と共に「本朝四箇大寺(しかたいじ)」の一つに数えられ、千百余年の歴史があります。
 天智・弘文・天武天皇の勅願により、弘文天皇の皇子・大友多王が田園城邑を投じて建立され、天武天皇より「園城(おんじょう)」の勅額を賜わり、「長等山園城寺」と称したのにはじまります。
 「三井寺」と呼ばれるのは、天智・天武・持統天皇の産湯に用いられた霊泉があり、「御井(みい)の寺」の厳儀・三部潅頂の法水に用いられたことに由来しているからです。
 円珍の死後、円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、正暦4年(993)、円珍門下は比叡山を下り一斉に三井寺に入ります。この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し天台宗は二分されたのです。
 その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等による焼き討ちなど幾多の法難に遭遇しました。文禄4年(1595)、三井寺は豊臣秀吉の怒りに触れ、闕所(けっしょ、寺域の没収、事実上の廃寺)を命じられました。当時の三井寺金堂は比叡山に移され、延暦寺転法輪堂(釈迦堂)として現存しています。
 慶長3年(1598)、秀吉は自らの死の直前になって三井寺の再興を許可しています。死期を悟った秀吉が、霊験あらたかな三井寺の祟りを恐れたためといわれています。秀吉の再興許可を受け、当時の三井寺長吏・道澄が中心となって寺の再興が進められました。現在の三井寺の寺観は、ほぼこの頃に整えられたものです。
 三井寺の境内は北院(ほくいん)、中院(なかいん)、南院(なんいん)の3院からなりたっています。北院は樹木が茂る山林の中に弘文天皇御陵、法明院があります。中院は僧侶の修行の中心で、大門、金堂、唐院、鐘楼、釈迦堂、金堂、三井の晩鐘、閼伽井屋などがあります。南院は庶民信仰の場所で観音堂などのお堂があります。

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