青森県三戸郡南部町小向字正寿にある南部利康霊屋です。
南部利康霊屋のある三光寺の創建は建長6年(1254)南部家2代実光が三光国師を招き開山したのが始まりと伝えられています。その後、27代利直が宮城県松島町にある瑞巌寺の石門和尚を招き中興開山しています。
江戸時代初期、隣りにあった同じ南部家の菩提寺、聖寿寺が盛岡へ移った事で、この地の菩提寺として三光寺が残り、霊廟や南部家縁の品々を引き継ぎました。
三光寺の境内には国の重要文化財の南部利康霊屋や県重宝の南部利直霊屋、南部実光の墓、南部利康の後をおって殉死した八木橋藤十郎の墓などがあります。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
南部利康霊屋のある三光寺の創建は建長6年(1254)南部家2代実光が三光国師を招き開山したのが始まりと伝えられています。その後、27代利直が宮城県松島町にある瑞巌寺の石門和尚を招き中興開山しています。
江戸時代初期、隣りにあった同じ南部家の菩提寺、聖寿寺が盛岡へ移った事で、この地の菩提寺として三光寺が残り、霊廟や南部家縁の品々を引き継ぎました。
三光寺の境内には国の重要文化財の南部利康霊屋や県重宝の南部利直霊屋、南部実光の墓、南部利康の後をおって殉死した八木橋藤十郎の墓などがあります。
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青森県八戸市是川中居にある清水寺(せいすいじ)です。
清水寺の創建はよくわかっていませんが平安時代に慈覚大師によって開かれたといわれています。八戸市内では八戸藩成立以前からあった古刹で糠部郡三十三観音霊場2番札所として広く信仰を集めています。
境内の後方にある観音堂は天正9年(1581)に建てられた青森県最古の木造建築です。3間4面、宝形造り、茅葺きで組物や細部に禅宗様を取り入れています。
天正9年(1581)に建立されたといわれる観音堂は中世式仏堂として東北地方北部の貴重な建造物として昭和55年(1980)に国指定重要文化財に指定されています。
観音堂に奉納された絵馬51枚(寛文8年~明治初期)は昭和48年(1973)に八戸市指定有形民俗文化財に指定されています。観音堂の本尊である木造天部立像は平安時代後期に制作された古仏です。
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清水寺の創建はよくわかっていませんが平安時代に慈覚大師によって開かれたといわれています。八戸市内では八戸藩成立以前からあった古刹で糠部郡三十三観音霊場2番札所として広く信仰を集めています。
境内の後方にある観音堂は天正9年(1581)に建てられた青森県最古の木造建築です。3間4面、宝形造り、茅葺きで組物や細部に禅宗様を取り入れています。
天正9年(1581)に建立されたといわれる観音堂は中世式仏堂として東北地方北部の貴重な建造物として昭和55年(1980)に国指定重要文化財に指定されています。
観音堂に奉納された絵馬51枚(寛文8年~明治初期)は昭和48年(1973)に八戸市指定有形民俗文化財に指定されています。観音堂の本尊である木造天部立像は平安時代後期に制作された古仏です。
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青森県八戸市是川中居にある是川遺跡・縄文の里です。
是川遺跡には「縄文学習館」「是川考古館」「歴史民俗資料館」の3つの展示施設が造られています。「縄文学習館」では当時の生活の様子をジオラマで見ることができたり、また関係書籍などの閲覧もできます。
国指定の史跡、是川遺跡の一角に建つ「是川考古館」は、「歴史民俗資料館」と渡り廊下で結ばれています。亀ヶ岡文化を代表する是川遺跡から出土した土器、1600点が、収蔵、展示されています。亀ヶ岡式土器は様々な形の器がたくさんあります。
「歴史民俗資料館」では是川遺跡で発見された有名な出土品などがきちんと整理されて展示されています。敷地内に半地下式の縄文後期の竪穴式縄文住居が復元されています。
縄文晩期を中心とする中居遺跡、縄文前期・中期の一王寺遺跡、縄文中期の堀田遺跡の三つの遺跡を総称して是川遺跡と呼んでいます。中居遺跡出土品633点が国の重要文化財に指定されています。
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国指定の史跡、是川遺跡の一角に建つ「是川考古館」は、「歴史民俗資料館」と渡り廊下で結ばれています。亀ヶ岡文化を代表する是川遺跡から出土した土器、1600点が、収蔵、展示されています。亀ヶ岡式土器は様々な形の器がたくさんあります。
「歴史民俗資料館」では是川遺跡で発見された有名な出土品などがきちんと整理されて展示されています。敷地内に半地下式の縄文後期の竪穴式縄文住居が復元されています。
縄文晩期を中心とする中居遺跡、縄文前期・中期の一王寺遺跡、縄文中期の堀田遺跡の三つの遺跡を総称して是川遺跡と呼んでいます。中居遺跡出土品633点が国の重要文化財に指定されています。
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青森県北津軽郡中泊町小泊尾崎道にある権現崎です。
小泊半島の突端にある権現崎には断崖の上と岬の北側に一つずつ灯台が建っています。津軽西海岸の荒々しい風景の中に海に浮かぶ岩木山を望める絶景の地です。
「権現崎 徐福上陸の岬」という碑があります。除福は秦の始皇帝の命令で日本に来て、不老不死の薬を探したと伝えられています。ここでは徐福は航海の神として祀られています。近くの尾崎神社の神官尾崎氏は、徐福の後胤と伝えられ、尾崎別当として熊野大社からも重んじられていたそうです。
徐福は 不老不死の仙薬を求めることはできなかったものの、各地で稲作、捕鯨、医療、鉄工、建築、織物、造船等の先端技術を指導して70歳で他界したそうです。
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小泊半島の突端にある権現崎には断崖の上と岬の北側に一つずつ灯台が建っています。津軽西海岸の荒々しい風景の中に海に浮かぶ岩木山を望める絶景の地です。
「権現崎 徐福上陸の岬」という碑があります。除福は秦の始皇帝の命令で日本に来て、不老不死の薬を探したと伝えられています。ここでは徐福は航海の神として祀られています。近くの尾崎神社の神官尾崎氏は、徐福の後胤と伝えられ、尾崎別当として熊野大社からも重んじられていたそうです。
徐福は 不老不死の仙薬を求めることはできなかったものの、各地で稲作、捕鯨、医療、鉄工、建築、織物、造船等の先端技術を指導して70歳で他界したそうです。
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