京都府京都市中京区二条通堀川西入二条城町に二条城があります。
二条城は、京都の中心地に築かれた典型的な平城で、桃山文化の粋が結集されたところです。慶長8年(1603)、徳川家康は京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として、京都所司代板倉勝重を奉行とし、畿内の諸大名に命じて築城しました。
慶長16年(1611)、後水尾天皇の皇位継承のために上洛した家康は、この城で豊臣秀頼と会見しています。また慶長19年(1614)の大阪冬の陣、翌年の夏の陣では徳川方の作戦本部になりました。
寛永3年(1626)3代将軍家光が後水尾天皇を迎えた際、大規模な増改築を行い、現在の体裁に整えました。しかし家光以後は将軍の上洛もなく、寛延3年(1750)の落雷で、伏見城から移築した天守閣が焼失してしまいました。
天明8年(1788)の天明の大火で、本丸の櫓門以外のすべての建物と二の丸の櫓や門の一部が焼失しました。幕末、開国をめぐり公武の緊張が高まり、14代将軍家茂が2度、二条城に滞在し、最後の15代将軍慶喜は慶応2年(1866)ここで将軍職を拝命し、翌年大政奉還をしています。
堀川通の正面に堀を巡らし、石垣に囲まれた敷地は東西約500m、南北400mで、総面積27万5千平方mという広大な広さがあります。建築面積は7300平方mで、全域が旧二条離宮として国の史跡に登録され、平成6年(1994)には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。
二の丸御殿は遠侍及び車寄、式台、大広間、蘇鉄之間、黒書院(小広間)、白書院(御座の間)の6棟が国宝です。二の丸庭園は国の特別名勝に指定され、二の丸御殿の障壁画1016面が美術工芸での国の重要文化財に指定されています。
本丸では本丸御殿(旧桂宮邸)の玄関、御書院、御常御殿、台所及び雁之間、二の丸では二の丸御殿の唐門、築地、台所、御清所、そして本丸櫓門、東大手門、北大手門、西門、鳴子門、桃山門、北中仕切門、南中仕切門、東南隅櫓、西南隅櫓、土蔵3棟、東南隅櫓北方多門塀が国の重要文化財に指定されています。
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