旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

天保山ハーバービレッジ

2009年12月31日 | 旅 歴史
 2009年最後の大晦日は大阪府大阪市港区海岸通にある天保山ハーバービレッジを紹介します。
 天保山は人口の山でした。天保2年(1831)に安治川の土砂を積み上げて高灯篭を設けて入港する船の目印としたので目印山とも呼ばれました(文政年間にも工事は行なわれました)。
 大阪ベイエリアの中心地として早い時期から開発された所です。天保山公園、ショッピング街としてのアーケードプレース、水族館、美術館などの充実した施設が集まっています。
 海遊館は世界最大級の水族館です。天保山のウォーターフロント再開発プロジェクト「天保山ハーバービレッジ」の中心的施設として平成2年(1990)に開館しました。
 深さが9mある5400トンの水槽は8階建ての高さを利用して造られています。この水槽を太平洋の大洋と見立てて、その周りに13本の水槽が並びます。8階から太平洋の水槽の周りをグルグルと降りてくるのです。
 高さ112mの天保山大観覧車は明石海峡大橋、、関西空港、神戸まで見渡せ、夜になるとイルミネーションが輝きます。
 サントリーミュージアム天保山には、ロートレックやミュシャなどの有名画家の作品が展示されています。


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長居公園

2009年12月31日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市東住吉区長居公園にある長居公園です。
 長居公園は長居駅の近くにあります。昭和39年(1964)に作られた第1種公認競技場の陸上競技場を中心に運動施設区、植物地区、自然園区から構成されている広域公園です。
 「花と緑と自然の情報センター」は自然史博物館と長居植物園が連携してつくった施設で、「自然のエリア」と「花と緑のエリア」からできています
 「花と緑のエリア」ひは「サービスゾーン」「交流のゾーン」「憩いのゾーン」などがあり、くつろぎながら、映像や図書、検索端末で花や緑に関する情報を得ることができます。
 「自然のエリア」は「ネイチャースクエア・大阪の自然誌」が常設展示されています。他に「ミュージアムサービス」「自然の情報コーナー」「ネイチャーホール」があります。


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一心寺

2009年12月30日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市天王寺区逢坂にある一心寺です。
 坂松山高岳院一心寺(ばんしょうざん こうがくいん いっしんじ)は浄土宗のお寺です。浄土宗の開祖法然上人が開山したといわれています。
 文治元年(1185)、四天王寺の別当であった慈鎮(じちん)が、法然のために四間四面の草庵を建て「新別所」と称したのが始めであったそうです。後にそこは「源空庵」と称してそうです。
 慶長19年(1614)大阪冬の陣の時、一心寺の境内は徳川家康の本陣となったそうです。家康の四天王の1人本多平八郎忠勝の次男本多忠朝は酒に泥酔して不覚をとり真田幸村の軍勢に惨敗を喫しました。
 家康に「親にも似ぬ不出来物}と叱責されたため、翌年の大阪夏の陣では発奮し最前線で活躍し、壮烈なる戦死を遂げました。死に際に「戒むべきは酒なり、今後わが墓に詣でる者は必らず酒ぎらいになるべし」と言ったそうです。
 この本多忠朝の墓が一心寺にあり禁酒祈願をする人で絶えないそうです。禁酒や酒乱封じを祈願する人は、酒封じのしゃもじに住所と名前を書き、本多忠朝のお墓の周りに吊るしておくと、酒封じの効果があるそうです。
 また一心寺は骨仏の寺としてよく知られています。遺骨でつくった阿弥陀仏つまり骨仏が安置され、10年ごとに造立するそうです。


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四天王寺

2009年12月30日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市天王寺区四天王寺にある四天王寺です。
 荒陵山(あらはかさん)四天王寺は、聖徳太子建立七大寺の一つとされています。本尊は救世観音(ぐぜかんのん)です。「金光明四天王大護国寺」(こんこうみょうしてんのうだいごこくのてら)ともいわれます。
 「日本仏教の最初の寺」として、既存の仏教の諸宗派にはこだわらない全仏教的な立場から、昭和21年(1946)より和宗総本山となっています。
 日本書紀によると、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、 自ら四天王像を彫り 「勝利のあかつきには四天王を安置する寺院を建立するという誓願をして、勝利の後、推古天皇元年(593)に誓願通り建立したそうです。
 この時、仏法修行の道場である金堂を敬田院、身寄りのない者や年老いた者を収容する悲田院 、病者に薬を施す施薬院、病気の者を収容し、病気を癒す療病院の四つの施仏教の根本精神の実践の場として、社会救済事業を行なったようです。
 伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」 といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式です。日本では最も古い建築様式の一つです。
 四天王寺の西門が西方極楽浄土の東門(入口)であるという信仰から、浄土信仰の寺としての性格も加えていったそうです。
 太陽の沈む「西」は死者のおもむく先、すなわち極楽浄土のある方角と信じられ、四天王寺の西門は西方の海に沈む夕陽を拝する聖地として、貴賎道俗の参拝客で賑わったそうです。
 天正4年(1576)織田信長の兵火にあい、諸堂宇を焼失しましたが、豊臣秀吉が母大政所の3回忌追善のため再建しました。
 慶長6年(1606)には秀頼が寺領千石を寄進、元和年間には徳川秀忠が寺領1177石の朱印状を与えています。
 享和元年(1801)の落雷で焼失し、文化9年(1812)に再建されました。この時の伽藍が近代まで残っていましたが、昭和9年(1934)の室戸台風で五重塔と中門が倒壊、金堂も大被害を受けました。
 五重塔は昭和14年(1939)に再建されましたが、昭和20年(1945)の大阪大空襲で他の伽藍とともに焼失してしまいました。現存の中心伽藍は戦後の昭和32年(1957)から再建にかかり昭和38年(1963)に鉄筋コンクリート造りで完成したものです。
 国の重要文化財には元和9年(1623)に建てられた六時堂、「日本三舞台」の一つとされる石舞台、元和3年(1617)徳川秀忠が再建した五智光院と本坊方丈、江戸時代初期に建てられた元三大師堂、永仁2年(1294)の石鳥居、本坊西通用門など多数あります。




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大江神社

2009年12月29日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町にある大江神社です。
 大江神社は愛染堂(勝鬘院)の隣に鎮座しています。聖徳太子によって建立された、四天王寺七宮(上之宮、小儀、土塔、乾、河堀、堀越、久保)のうちのひとつです。
 四天王寺の乾(いぬい、戌亥)の方角(西北)に位置していることから、江戸時代では「乾社」と呼ばれていたそうです。
 また毘沙門天を祀っていたので、「毘沙門堂」ともいわれていたそうです。慶応3年(1867)に大江神社と改称しました。毘沙門天は明治維新後の神仏分離で大津坂本に移されたそうです。
 祭神は豊受大神、素盞嗚尊、欽明天皇、大己貴命、少彦名命です。大江神社には狛虎というものがあります。そのため狛虎付近には阪神タイガースの優勝を祈願する張り紙や木札などが掲げられています。


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愛染堂(勝鬘院)

2009年12月28日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町にある愛染堂(勝鬘院)です。
 愛染堂(勝鬘院)は四天王寺の別院で、飛鳥時代の推古天皇元年593年、聖徳太子によって建立されたお寺と伝えられています。
 当初は庶民救済の地として薬草を植えて病人に与える「施薬院」の役割を果たしていたとみられています。
 聖徳太子がここで勝鬘経を講義されたことから「勝鬘院」となりました。金堂に縁結び、夫婦和合の愛染明王が奉安されたため、現在は「愛染堂」または「愛染さん」と称されています。
 境内にそびえ立つ多宝塔は天正4年(1576)織田信長に焼き払われたものの、豊臣秀吉によって慶長2年(1597)再建され、市内唯一の桃山時代の建物として国の重要文化財に指定されています。
 金堂は徳川秀忠の再建で府の指定文化財です。毎年6月30日~7月2日には大阪三大夏祭りの1つである「愛染まつり」が行なわれます。


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本経寺

2009年12月28日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市中央区中寺町にある本経寺です。
 本経寺山門の横には「豊竹若太夫墓所」という石碑が建っています。豊竹若太夫は竹本義太夫と並び、江戸時代に活躍した浄瑠璃の太夫で「竹本座」のライバル「豊竹座」の創始者であります。
 天声の美声を生かした華麗な節回しは、世の人から竹本座の「西風」に対し、「東風」と呼ばれる独特の芸風を確立したそうです。この竹本座と豊竹座が競い合いで浄瑠璃が発展したそうです。この両者が後には融合し、現在の浄瑠璃の節回しの基本となっているそうです。豊竹若太夫は明和元年(1764)84歳で没しここに葬られました。



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高倉稲荷神社

2009年12月27日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市中央区高津にある高倉稲荷神社です。
 高津宮本殿に向かって右手に摂社の高倉稲荷神社が鎮座しています。高倉稲荷神社は商売繁盛・芸能の技能上達の神として知られています。高倉さんの初午祭は祭礼が初午の日もしくは午の日に行われる習慣から呼ばれるようになったそうです。
 古典落語「高倉狐」の舞台でもあります。高倉稲荷前の茶店が登場します。狐が人間に化けたところを見た男が、狐を騙して料理屋に連れて行き、散々飲んだり食べたりした後、狐にお勘定をもたせるというような話です。



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高津宮

2009年12月27日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市中央区高津にある高津宮(こうづぐう)です。
 高津宮(こうづぐう)は難波高津宮に遷都した仁徳天皇を主祭神とし、祖父の仲哀天皇、祖母の神功皇后、父の応神天皇を左座に后の葦姫皇后と長子の履中天皇を右座に祀っています。
 貞観8年(866)、勅命により難波高津宮の遺跡が探索され、その地に社殿を築いて仁徳天皇を祀ったのが起源といわれています。
 天正11年(1583)、豊臣秀吉が大坂城を築城する際、比売古曽神社の境内(現在地)に遷座し、比売古曽神社を地主神として摂社としたそうです。
 明治5年(1872)には府社に列格しました。昭和20年(1945)3月の大阪大空襲によって神輿庫を残して社殿が全て焼失してしまいました。昭和36年(1961)10月に再建され現在に至っています。
 古典落語「高津の富」の舞台として知られています。富くじ(現在の宝くじ)は寺や神社の修理基金を集めるために江戸時代に盛んに行なわれたそうです。
 「高津の富」は高津神社が舞台となった落語で宿賃を踏み倒そうとした男がなけなしの一分の金で千両を当ててしまった話だそうです。古典落語「高倉狐」「祟徳院」もここが舞台になっています。



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豊国神社

2009年12月26日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市中央区大阪城にある豊国神社です。
 豊国神社は大阪城公園内にあり、豊臣秀吉、秀頼、秀長を祀っている神社です。出世開運にご利益があると大勢の参拝客が来るそうです。
 明治天皇の勅命によって創立されることになりました。京都東山の豊国(とよくに)神社の別社として明治12年(1879)中之島の現在の中央公会堂のある場所に建てられたそうです。
 大正元年(1912)中央公会堂の建設に伴い、現在の府立中之島図書館の西側に移転しました。大正10年(1921)別社から独立、豊国(ほうこく)神社に改称し、府社に列せられました。
 昭和36年(1961)大阪市庁の拡張、増設のため現在の大阪城公園に移転し、現在に至っています。一の鳥居前には大坂夏の陣で討ち死にした木村重成の表忠碑があります。



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緒方洪庵宅(適塾)

2009年12月25日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市中央区北浜にある緒方洪庵宅(適塾)です。
 幕末の蘭学者医者であった緒方洪庵が蘭学塾「適塾」を開いた場所です。長崎での蘭学修行を終えた洪庵は、ここ大坂瓦町に天保9年(1838)塾を開いたのでした。
 門下生は、橋本左内、大村益次郎、福沢諭吉、長與専斎、大鳥圭介、佐野常民など、千人に及んだそうです。
 洪庵時代の建物は、間口約6間(約12m)奥行き約21間(約39m)の敷地に建てられた、建坪90坪あまりの2階屋だったそうです。
 昭和51年(1976)~56年(1980)に行なわれた文化庁による解体修復工事によって、洪庵時代の建物によみがえりました。国の重要文化財に指定されています。



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大阪天満宮

2009年12月25日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市北区天神橋にある大阪天満宮です。
 大阪天満宮は大宰府天満宮、北野天満宮とともに日本三天神(日本三大天神)のひとつとして知られています。地元では「天満の天神さん」と崇められ、天満天神、浪華菅廟、中島天満宮などとも言われることもあります。
 毎年7月24日から25日にかけて行なわれる天神祭は東京の神田祭、京都の祇園祭とともに日本三大祭りの一つに数え上げられています。また大阪三大夏祭りの一つでもあります。
 昌泰4年(901)菅原道真が、藤原時平の策略により九州大宰府の太宰権帥(だざいごんのそち)に左遷されることになり、ここにあった大将軍社に参詣したそうです。そして2年後に59歳でその生涯を閉じました。
 天暦3年(949)大将軍社の前に突然7本の松が生え、夜毎にその梢(こずえ)は、金色の霊光を放ったそうです。この不思議な出来事を聞いた村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが起源だそうです。
 大阪天満宮は、江戸時代の記録に残るだけで7度もの火災に遭っているそうです。大阪市中を焼き尽くした享保9年(1724)の妙知焼けや、大塩平八郎の乱による天保8年(1837)の大火では、全焼したそうです。
 現在の本殿は、天保14年(1843)に再建された権現造りの荘厳な建物です。梅花殿は昭和3年(1928)に建てられたものです。平安朝寝殿造りの賓殿で、伊勢の神宮のご用材を下賜されたものを使っているそうです。


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道頓堀

2009年12月24日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市中央区道頓堀にある道頓堀です。
 道頓堀川は中央区を東西に流れて、東横堀川と木津川を結ぶ運河です。ここを開削した安井道頓から名を付けられたそうです。橋からは昔からのグリコの看板がよく見えます。
 龍の看板が目立つ金竜ラーメンは大勢の人で賑わっています。店内の御座敷の席は大阪らしい雰囲気です。
 創業90年以上のフグ料理専門店のづぼらやの看板もユニークです。西日本各地の漁場から新鮮なふぐを直送し、リーズナブルにふぐを食べさせてくれます。この店のてっちりも大阪名物のひとつです。
 かに料理で有名な「かに道楽」の特大のカニの看板も目立ちます。平成15年(2003)の阪神タイガースが優勝した時、カニの看板に暴徒化したファンがよじ登り、目玉をもぎ取られて阪神タイガースの旗が刺される事件もありました。
 大正12年(1923)に竣工された大阪初の洋式劇場「松竹座アイル」はテラコッタを使用したネオルネッサンス様式の劇場です。平成9年(1997)外観を残しつつ最新設備を備えた劇場として新築開場し、松竹制作の歌舞伎、新劇、松竹新喜劇を原則月替りで上演しています。


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大阪証券取引所本館

2009年12月24日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市中央区北浜にある大阪証券取引所本館です。
 大阪証券取引所本館は江戸時代は諸藩の蔵屋敷があった付近に建っています。大坂の米穀取引所を起源に、五代友厚らが発起人となって設立された大阪株式取引所が前身となっています。
 正面の銅像は功績のあった五代友厚です。この建物は玄関部に装飾されていない6本の列柱が入る簡略化された新古典主義様式を基調としています。この様式はドイツとアメリカで発展し、モダニズムが興隆した1930年代に全盛を極めました。



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上方浮世絵館

2009年12月23日 | 旅 歴史
 大阪市中央区難波にある上方浮世絵館です。
 上方浮世絵とは、江戸時代後半から明治時代初期まで、おもに大坂で作られていた浮世絵版画です。歌麿や広重など、江戸の浮世絵とは異なり、役者の個性をそのまま描いています。
 上方を代表する浮世絵師・春好斎北洲の作品など約30点を常設展示しています。平成13年(2001)道頓堀、法善寺の門前にオープンした私設の美術館です。



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