旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

古城緑地広場

2022年10月07日 | 旅 歴史

 長野県上田市真田町長(おさ)の信綱寺の前に古城緑地広場(こじょうりょくちひろば)があります。
 歴史の丘という六連銭のモニュメントが建てられています。中央に流れている水は真田氏の歴史を貫く時間軸を示し、真田氏の発祥から大阪の役までを表現しているのだそうです。
 この一帯は「内小屋城」というお城の一部だったそうです。赤石による六文銭旗は、大阪冬の陣における真田隊の「赤備え」を表わしているそうです。

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真田氏館跡

2022年10月06日 | 旅 歴史

 長野県上田市真田町本原に真田氏館跡(さなだしやかたあと)があります。
 真田氏館跡は御屋敷公園内にあります。昔からお屋敷と呼ばれ親しまれてきた居館跡です。真田昌幸が上田城を築城する以前に住んでいたところです。
 周囲には枡形状の大規模な土塁がめぐらされています。昭和42年(1967)に長野県の史跡に指定されています。
 規模は東80m、西130m、南160m、北150mの土塁をめぐらせているそうです。その周囲には壕もあったと推測されています。
 敷地内に皇大神社 が建てられています。真田昌幸が上田城に移る際に勧請したといわれています。館内は東から西へと緩やかに傾斜していて、東側の一番高い所に位置しています。
 この館が作られた年代は定かではありませんが、永禄年代(1558-1569)と考えられているそうです。
 この居館の周囲に武家や商人が城下町を形成していたそうです。上田の築城の際、上田の城下町に「原町」という商人町を作り集団移転させました。この地域は元の原町ということで本原(もとはら)と呼ばれています。
 この館は真田本城からは南西下方約800mの所に位置しています。東には天白城、北には横尾城、洗馬城、西には戸石城などがあり堅固な守りになっていました。
 南口を正面とし、枡形の大手門、搦手門(からめてもん)の跡があり、西北隅には土塁に囲まれた厩屋跡があります。館の北側には大沢川が流れていて自然の堀になっています。
 この館は当初は真田信綱のために建てられたようです。信綱が長篠の戦いで戦死したため、昌幸が上田城を築城する前に居住したそうです。

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真田氏歴史館

2022年10月05日 | 旅 歴史

 長野県上田市真田町本原に真田氏歴史館(さなだれきしかん)があります。
 つつじの名所でもある御屋敷公園に真田氏歴史館と真田氏館跡、皇大神宮、マレットゴルフ場があります。
 真田氏歴史館には真田氏に関する貴重な品々が展示されています。昌幸の朱印状や、武具や甲冑、真田家を扱った錦絵などもありました。
 大きなジオラマが作られていて、真田氏ゆかりの郷眺望ができます。真田町の起伏のある地形や要塞・城郭などがわかりやすく配されていました。
 真田三代の活躍が一目でわかる戦いの歴史なども豊富な資料で紹介されていました。

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角間渓谷

2022年10月04日 | 旅 歴史

 長野県上田市真田町長字角間に角間渓谷(かくまけいこく)があります。
 紅葉で有名な角間渓谷は信濃耶馬渓(やまけい)とも呼ばれています。この渓谷は旧角間火山に烏帽子岳(2065m)が噴出して、火口を押しせばめてできたものだそうです。
 旧火山の集塊岩に新たに噴出した角閃安山岩などが迫って、長い年月の浸食作用で素晴らしい美しさになっています。
 真田十勇士で有名な猿飛佐助が、戸沢白雲斎に忍術の修行を受けたという言い伝えも残っているところです。
 この角間渓谷は昭和61年(1986)に森林浴の森日本100選にも選ばれているそうです。かもしかに出会うこともあり、猿なども生息しています。
 鬼が城、男石、百間長屋、猿飛岩、鬼の門、獅子の牢、鞍外しの岩など切り立つ岩壁が数百メートルも続いています。220段の石段が真っ直ぐ上に上っています。
 石段の先には岩屋洞窟と呼ばれている大きな洞窟があります。この岩の中の洞窟に堂が建てられていて観音様が祀られています。これが岩屋観音です。
 かつてここは毘邪(ひや)という鬼の住みかで「坂上田村麻呂」が討伐しようとしましたが、妖術に長じ霧にかくれ飛猿の如くすばしこく討つことができなかったそうです。将軍は隣町の霊験あらたかな馬頭観世音に祈願して術を封じてようやく鬼たちを討ち取ることができたそうです。
 その時にこの岩屋に堂宇を建て観音を祀ったそうです。その年は大同元年(806)と伝えられているそうです。
 角間渓谷には天然ガスの噴出や温泉の湧出が各所にみられます。これは観音様の霊力によって湧き出たといわれています。ここの温泉は特に胃腸病、心臓病に卓効があり、親鸞上人の室恵信尼公療養のところとしても知られているそうです。真田一族の隠し湯の一つでもあります。
 この渓谷には一件だけ岩屋館という温泉旅館があります。滝を眺められる部屋もあります。ここの温泉は胃腸によく効くそうです。ビールだと思って飲めば飲めないこともありませんでした。

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真田氏本城跡

2022年10月03日 | 旅 歴史

 長野県上田市真田町長(おさ)に真田氏本城跡(さなだしほんじょうあと)があります。
 真田氏本城は規模の大きな山城です。松尾新城、住連寺城などとも呼ばれています。真田氏が上田城を築くまえの本城といわれています。隣にある天白城とともに馬蹄形状に構築されています。
 本郭は東西8.8m、南北37mの広さです。北へ二の郭、三の郭と段差を設けながら延長し、その先は急な崖となっています。
 新田大作作詞の真田氏本城の石碑が建てられています。
 山嶽幾重連陣営 縦横布置緻行兵 今朝錦繍一望遠 覇業遙思古本城
 上田盆地への眺望が開け、眼下には小県(ちいさがた)と北上州を結ぶ上州道を押さえています。熊久保集落の上方の沢から山腹を回して城内近くまで水も引いていたそうです。
 ここから見える戸石城は幸隆が武田に組した時、信濃の勇で千曲川流域に勢力を有した村上義清の支配下にありました。父を追放した武田信玄は破竹の勢いで勢力を拡大しました。
 天文19年(1550)信玄は村上軍の前線基地の戸石城を攻めました。ところが戸石城を落とすどころか「戸石くずれ」という大敗北を喫してしまいました。普代の重臣もこの時多く失っています。
 ところがこの翌年、真田幸隆が独力で難攻不落の戸石城を調略し、一夜にしてこれを落城させたというのです。文献では真田が「乗取」という一文があるだけだそうです。

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日向畑遺跡

2022年10月02日 | 旅 歴史

 長野県上田市真田町長(おさ)に日向畑遺跡(ひなたばたいせき)があります。
 日向畑遺跡は松尾城への登り口にあり、小規模な史跡です。昭和46年(1971)に発掘調査が実施されました。石造宝篋印塔が6基、石造五輪塔が11基出土したそうです。
 ほかにも鉄器、古銭、土器、石器、火葬骨なども出てきたそうです。出土した石塔群の形から見て、室町時代から戦国時代にかけての物と見られているそうです。
 武田信虎・村上義清・諏訪頼重連合軍が侵攻した際に、真田幸隆らは上州吾妻へと落ち延びました。戦いの習いで新しい支配者は前の領主の墓を壊したそうです。ですから幸隆以前の真田氏の墳墓と考えられています。

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松尾城跡

2022年10月01日 | 旅 歴史

 長野県上田市真田町長(おさ)に松尾城跡(まつおじょうあと)があります。
 松尾城は松尾古城とか角間の城とも呼ばれたそうです。角間渓谷入り口にあります。狭い尾根にあたり兵を動かすには狭いようです。
 諜報に熱心だった真田氏の物見とも、四阿山に奥の院があった山家神社に関連した宗教的な施設があったとも考えられているそうです。
 この松尾城への登り口に日向畑遺跡ががあります。

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真田幸村

2022年09月30日 | 旅 歴史

長野県上田市真田町下原(しもはら)の真田氏記念公園に真田幸村のリーフ像があります。
 幸村は「真田源治郎信繁」が本名で幸村と書かれたものはないそうです。しかし幸村の方が好きなのでこの名にしておきます。昌幸死後の慶長19年(1614)豊臣秀頼の使者が九度山を訪れ家康打倒の協力を求めたのでした。
 3月18日、幸村は大助と共に14年住んだ九度山を後にして大阪城に入城しました。豊臣家が再建していた京都の方広寺大仏殿の梵鐘に「国家安康」「君臣豊楽」とあったものを、家康の名を分断し、豊臣家の繁栄を願い徳川を呪っているとして難癖をつけたことから対立したものでした。
 同年11月大坂冬の陣が起こります。徳川軍は約20万の軍で大坂城を包囲しました。幸村は南側の最も重要な地点に出丸「真田丸」を築いてさんざんに徳川軍を翻弄します。その後、一旦は和睦が成立しました。口約束で、大阪城の外堀を埋めることも合意していましたが内堀まで埋められてしまったのです。
 翌年夏の陣が起こりました。堀がない大坂城は裸同然でした。そんな中、幸村は家康の本陣に猛烈な突撃を敢行し、「もはやこれまで」と自刃すら覚悟させた活躍をしたそうです。5月7日最後の決戦になり幸村も壮絶な最期を遂げたそうです。

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真田昌幸

2022年09月29日 | 旅 歴史

長野県上田市真田町下原(しもはら)の真田氏記念公園に真田昌幸のリーフ像があります。
 幸隆は天正2年(1574)死去し、長男の信綱が家督を継ぎました。天正3年(1575)の長篠・設楽ヶ原合戦で弟の昌輝共々討死にしてしまいます。三男の昌幸は信玄の小姓をしたあと甲斐の名門・武藤家に入りましたが戻って真田を継ぐことになりました。
 昌幸は天正8年(1580)上州沼田城を攻略し版図を拡げました。天正10年(1582)武田氏が滅亡すると、織田・北条・上杉・徳川らの諸勢力の中で独立領主化しました。沼田領をめぐる対立で、天正13年(1585)に徳川が大軍を率いて上田城を攻撃しましたが撃退させました。
 北条氏との沼田領争いではとうとう天下人・豊臣秀吉をも動かして、北条氏を滅亡に追い込んでしまいました。慶長5年(1600)関ヶ原の役では、昌幸と次男・幸村(信繁)は西軍に味方し、長男の信之(信幸)は東軍について袂を分かちました。
 昌幸は徳川秀忠の率いる大軍を上田城で参戦させ関ヶ原に遅参させたのですが東軍は大敗してしまいました。昌幸・幸村は信之の助命嘆願で高野山蓮華定院で蟄居となりました。その後紀州九度山へ移り、慶長16年(1611)昌幸は九度山で亡くなりました。

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真田幸隆(幸綱)

2022年09月28日 | 旅 歴史

長野県上田市真田町下原(しもはら)の真田氏記念公園に真田幸隆(幸綱)のリーフ像があります。
 真田氏は海野氏を祖としていま幸隆以前はよくわかっていないようです。幸隆は出家後の名で幸綱と名乗っていました。 天文10年(1541)武田信虎、諏訪、村上連合軍は海野平に侵攻、幸隆らは上州吾妻の羽根尾城の羽尾幸全を頼って逃げたそうです。
 その後幸隆は敵であった武田信虎の子、信玄に仕官したのです。信玄の片腕となり、「信濃先方衆」「上州先方衆」として活躍します。天文20年(1551)幸隆は調略で戸石城を乗っ取り、小県周辺の旧領を回復したのです。こうして真田一族は旧領である真田郷をはじめ小県一円、上州吾妻をその勢力下に収めていきます。

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真田氏記念公園

2022年09月27日 | 旅 歴史

 長野県上田市真田町下原(しもはら)に真田氏記念公園があります。
 上田から群馬県境の鳥居峠に抜ける国道144号線の真田町の入口下原に真田三代の碑が建てられています。真田町が真田氏の発祥の地である証しを表現しています。
 公園といってもレリーフ像と真田三代の略記がある程度ですが「真田氏発祥の郷」の石碑は池波正太郎氏の筆によるものです。「真田太平記」によって真田氏の知名度が上がりました。
 三代のレリーフは、中央が真田幸隆、向かって右が真田昌幸、左が真田幸村です。岡田益雄氏によって創られたそうです。

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池波正太郎真田太平記館

2022年09月26日 | 旅 歴史

長野県上田市中央に池波正太郎真田太平記館(いけなみしょうたろうさなだたいへいきかん)があります。
 文豪・池波正太郎の記念館が平成10年(1998)にオープンしました。代表作「真田太平記」から名を取って池波正太郎真田太平記館という長い名前です。
 建物は2階建てで、2階には池波正太郎コーナーと真田太平記コーナーが常設展示されています。今なお多くのファンを魅了する池波正太郎と「真田太平記」の魅力が味わえます。
 1階は喫茶ル・パシタンとグッズや書籍の販売、交流サロンなどがあります。「草の者」の世界が映像でわかる忍忍洞や「上田攻め」などを切り絵で再現したシアターなどもあります。
 この蔵の中はギャラリーになっていて風間完の真田太平記挿絵原画が展示されています。
 直木賞作家・池波正太郎は大正12年(1923)東京の下町・浅草に生まれました。兜町の株式仲買店の店員を経て、東京都の下谷区役所に勤務しながら戯曲を書き始めました。
 25才で長谷川伸に師事、本格的に劇作の指導を受け新国劇などを中心に活躍しました。昭和35年(1960)、「錯乱」で第43回直木賞を受賞し、役所をやめ本格的な作家生活に入りました。
 昭和43年(1968)に「鬼平犯科帳」、昭和47年には「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」の連載が始まりました。そして昭和49年(1974)に「真田太平記」が週刊朝日に連載され9年間も続けられたのです。
 真田一族の歴史に深い関心を抱き、名将真田昌幸・信之・幸村の活躍をテーマにした戦国歴史浪漫「真田太平記」は、歯切れの良い文章や人情味溢れる作風も手伝って大衆から支持を得たのでした。
 序章は上田城に迫る徳川・北条連合軍。昌幸・幸村父子と神出鬼没の「草の者」との絆。完結も生き残った信之を中心に描かれました。家康死後、憎悪に燃えた秀忠が真田藩に襲いかかります。危機に陥った信之を守ったのが生き残った草の者のおかげでした。

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上田藩主居館表門

2022年09月25日 | 旅 歴史

 長野県上田市大手に上田藩主居館跡(うえだはんしゅきょかんあと)があります。
 上田藩主居館の表門は寛政元年(1789)の火災で焼失した翌年に再建された薬医門です。前面に4本の太い親柱が並び、中央に大扉、左右に潜り戸が付いています。後ろ側は左右の控え柱を通し梁でつないでいます。
 普通の門では親柱が棟の真下に立っていますが、この表門では棟の真下より少し前に親柱が立ち、控え柱が後方にある造り方をしています。昭和44年()に上田市の文化財に指定されています。

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上田藩主居館跡

2022年09月24日 | 旅 歴史

 長野県上田市大手に上田藩主居館跡(うえだはんしゅきょかんあと)があります。
 上田藩主居館跡は歴代上田藩主が住んでいた所です。門は藩主屋敷にふさわしい豪壮な造りの薬医門です。今はこの門は県立上田高等学校の正門になっています。春は桜が咲き誇り、晩秋には紅葉した葉が堀をうずめます。
 関ヶ原の戦いの後、上田城は破却されました。昌幸・幸村(信繁)の活躍で中山道で関ヶ原を目指した徳川秀忠軍は戦いに遅参させられてしまいました。このことで秀忠の怒りは大きく、城すべてを破却したようです。
 しかし同じ真田の一員でもあった真田信之(信幸)への信頼は厚く上田と沼田の地を安堵しました。城のない上田を治めるために建てたのがこの居館でした。城主の御殿は一般的には城の本丸に設けられます。しかし上田の場合は城から大分離れたこの地に置かれたのです。
 上田藩主の居館は藩政の中心施設である藩庁でもあり、実質的な上田城の本丸でもあったのです。元和8年(1622)、真田信之は松代に転封となり、故郷上田を後にしました。信之は松代藩を築き93才まで生き、90才まで藩政に携ったそうです。
 上田には小諸より仙石氏が入封し、その後、松平氏が入りました。上田城も再建されましたが、藩主の居館はそのまま移転されず明治維新まで続きました。現在は屋敷門と真田時代の堀だけが昔を偲ばせています。

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千曲川

2022年09月23日 | 旅 歴史

 千曲川は、長野県川上村、埼玉県秩父市、山梨県山梨市の3県の境にある甲武信(こぶし)岳にその源を発し、佐久、上田の2つの盆地を経て長野盆地で犀川(さいがわ)と合流します。県境で信濃川と名前が変わり新潟県に入り、日本海に至ります。
 全長367kmのうち、信濃川と呼ばれている部分が153kmで、千曲川と呼ばれている部分は214kmと、60kmほど千曲川の方が長くなっています。日本で一番長い川となっています。
 千曲川の由来は川が千の数ほど曲がっているのでつけられたといわれています。また狭窄部が連続し、両岸は崖状の地形を呈していることから、「チク(崖)・マ(袋状の湿地)の川」という説もあります。
 また水源に近い長野県の川上村の伝説によれば、大昔に高天原に住む神々の間で大きな戦いがあり、この時に流された血潮によってできた川だとされています。その血潮があたり一面隈なく流れた様子から「血隈川」となったというものです。
 島崎藤村は千曲川を愛し、大正元年(1912)に千曲川のスケッチという作品を刊行しています。千曲川沿岸の小諸の自然と人間生活とを観察した内容です。
 千曲川は太古より人々の暮らしとともにあり、生活を支えてきました。その恩恵は計り知れませんが、水量が豊かな川ゆえに洪水がもたらす被害も甚大なものでした。日本紀略などには仁和4年(888)の洪水が記され、寛保2年(1742)の史上最大の大洪水では2800人もの犠牲者を出しています。
 令和元年(2019)の台風19号による大雨では、堤防決壊で家屋流出、浸水、道路決壊陥没などで甚大な被害と死者も出しています。丸窓電車で有名になった上田ー別所線の上田電鉄の鉄橋も崩壊しました。

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