旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

明治学院記念館

2013年11月30日 | 旅 歴史
 東京都港区白金台にある明治学院記念館です。
 明治学院記念館は島崎籐村が在学中の明治23年(1890)に建造された赤レンガ造りのシックな建物です。当時アメリカで流行したネオゴシック様式で、当初は、神学部の教室、教授室、図書館として使用され、現在は、1階は小チャペル、学院牧師室、2階は明治学院歴史資料館などになっています。昭和54年(1979)に東京都港区の有形文化財に指定されています。
 島崎藤村が小説「桜の実の熟する時」の中で、「・・新しく構内に出来た赤煉瓦の建物は、一部は神学部の教室で、一部は学校の図書館に成っていた。まだペンキの香のする階段を上って行って二階の部屋へ出ると、そこに沢山並べた書架がある。一段高いところに書籍の掛りも居る。…書架で囲はれた明るい窓のところには小さな机が置いてある。そこへも捨吉は好きな書籍を借りて行って腰掛けた・・」 と書いています。
2階建ての煉瓦造りで、一部木造の床面積516平方mあり、屋根は銅板一文字葺きです。明治27年(1894)6月の大地震で大破しました。尖塔は大正3年(1914)のサンダム舘の火災時に類焼して改造されたものです。大正12年(1923)の関東大震災では煉瓦の大煙突が崩壊しました。昭和41年(1966)国道1号線(桜田通り)の道路拡張のため、現在地に移動復元されました。

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明治学院チャペル(礼拝堂)

2013年11月29日 | 旅 歴史
 東京都港区白金台の明治学院にチャペル(礼拝堂)があります、
 明治学院チャペル(礼拝堂)は大正5年(1916)に日本に数多くの建物を残したW.Mヴォーリズの設計により建てられました。ヴォーリズ自身もここで結婚式を挙げたそうです。平成元年(1989)に東京都港区の有形文化財に指定されています。
チャペル(礼拝堂)は明治学院のキリスト教主義教育のシンボルとして、当初から同じ場所に立ち続けています。中央に尖塔がある2階建ての煉瓦造り(一部鉄筋コンクリート造り)で延床面積は553.61平方mです。昭和41年(1966)には、ドイツ・ヴァルカー社製作のパイプオルガンが設置され、平成21年(2009)にはオランダのファン=エーケン氏に発注した新オルガンが荘重な響きを伝えています。

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明治学院インブリー館

2013年11月28日 | 旅 歴史
 東京都港区白金台にある明治学院にインブリー館があります。
 旧宣教師館のインブリー館は平成10年(1998)に国の重要文化財に指定されました。洋風住宅の特徴を最も良く示す宣教師館として貴重な建物です。
島崎藤村が小説「桜の実の熟する時」の中で、「・・向ふの講堂の前から敷地つづきの庭へかけて三棟並んだ西洋館はいづれも捨吉が教を受ける亜米利加人の教授達の住居だ。白いスカアトを涼しい風に吹かせながら庭を歩いて居る先生方の奥さんも見える・・」と書いています。
インブリー館はウィリアム・インブリー(William Imbrie 1845-1928)博士が長く住んでいたことから名付けられています。明治22年(1889)頃の建物で、木造、瓦葺きの2階建てで、建坪は1、2階とも延371.5平方mです。
建築様式は1870年代アメリカで流行した木造住宅様式です。大正3年(1914)の火災により屋根と外壁の一部が類焼しました。昭和39年(1964)に東京オリンピックにともなう国道1号線の拡幅で現在地に曵き屋され、平成9年(1997)に修復が完成しています。

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明治学院大学

2013年11月27日 | 旅 歴史
 東京都港区白金台にある明治学院大学です。
桜田通りに面した明治学院大学は日本最古のミッションスクール(キリスト教主義学校)です。ヘボン式ローマ字の考案者として有名なアメリカ人宣教師ヘボンが創立した学校を前身としています。
 明治学院にはインブリー館、チャペル(礼拝堂)、明治学院記念館などがあり、いずれも平成14年(2002)に東京都港区の「景観上重要な歴史的建造物等」に指定されています。

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芝東照宮

2013年11月26日 | 旅 歴史
東京都港区芝公園に芝東照宮があります。
 芝東照宮は、日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ4大東照宮の1つとされています。祭神は徳川家康で、神体は徳川家康寿像です。この像は家康が慶長6年(1601)の還暦の時に自らの像を刻んだものと言い伝えられています。
 芝東照宮は、増上寺境内に勧請されました。増上寺は、天正18年(1590)家康の江戸入府の時に徳川家の菩提寺に定められ、慶長3年(1598)江戸城拡張工事の際、日比谷から現在地に移りました。以後、関東の浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を誇りました。
 芝東照宮はこの時は「安国殿」と呼ばれていました。寛永10年(1633)3代将軍家光により新社殿が造営され、旧社殿は開山堂となり、寛永18年(1641)には移転改築がなされ、惣門、拝殿、唐門、透塀が造営された豪華な社殿になりました。
 明治初期の神仏分離令により、安国殿は増上寺から切り離されて、芝東照宮となり、本殿は大正4年(1915)には旧国宝に指定されました。しかし昭和20年(1945)5月25日の東京大空襲で「寿像」と神木のイチョウを残し、灰燼に帰しました。
 昭和38年(1963)に寿像が東京都の重要文化財に指定され、昭和44年(1969)8月に、復興奉賛会により現在の社殿が再建されています。


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慶應義塾大学三田演説館

2013年11月25日 | 旅 歴史
 東京都港区三田の慶應義塾大学に三田演説館があります。
 福沢諭吉が創設した慶応義塾大学は安政5年(1858)に豊前(大分県)中津藩藩邸の長屋で始まりました。 現在、三田演説館は春秋2回の三田演説会のほかウェーランド経済書講述記念講演会などの会場として使用されています。
 明冶6年(1873)、福沢を中心に門下生数名が西洋のスピーチ(演説)、ディベート(討論)の法を研究し「演説」というものがわが国で生まれました。翌年には第1回の演説会をが開かれ、明治8年(1875)には三田演説館が建てられました。
 当初は現在の図書館旧館と塾監局との中間に建てられていましたが、大正13年(1924)に現在の場所に移築されています。 その後、昭和22年(1947)5月の修復、平成7年(1995)解体修復が施され、平成9年(1997)4月から現在の姿となっています。
 三田演説館は床面積58坪(192.16平方m)で、木造寄棟造り、瓦葺き、洋風、なまこ壁、一部2階建てで総坪数は付属の建物と合わせて87.9坪(290.34平方m)です。
 アメリカからいろいろな会堂の図面を取り寄せ、それらを参考にして千数百円を投じて造られたそうです。昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されました。

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慶應義塾大学図書館旧館

2013年11月24日 | 旅 歴史
 東京都港区三田に慶應義塾大学の図書館旧館があります。
 慶応義塾大学の図書館旧館は義塾創立50年を記念して、明治45年(1912)に建立されました。曾根達蔵・中条精一郎両氏の設計で、 戸田組が施工しました。建築資金23万円は全額寄付金で賄ったそうです。
 純ゴシック様式で、赤煉瓦の中に御影石を入れ、美しい大時計を配した壮麗な建物です。現在、図書館旧館は、書庫や会議室として利用されています。
 明治末期の煉瓦建築の代表的遺構で、昭和44年(1969)65枚の建築設計図・ステンドグラスの原画とともに国の重要文化財に指定されました。
 入り口ホールの階段上を飾るステンドグラス「ペンは剣より強し」は義塾のシンボルともなっています。 図書館旧館の前には、慶應義塾大学の創立者である福沢諭吉の胸像が置かれています。

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勝・西郷会見の碑

2013年11月23日 | 旅 歴史
 東京都港区芝に勝・西郷会見の碑があります。
 都営地下鉄浅草線三田駅からすぐの三菱自動車本社前に「勝・西郷会見の碑」があります。江戸時代には薩摩藩蔵屋敷があった場所です。
 江戸城総攻撃を目前にした慶応4年(1868)に東征軍参謀の西郷隆盛と徳川幕府の陸軍総裁の勝海舟との会見が行われました。
 江戸城の無血開城と徳川慶喜の水戸隠退が約束され、江戸を兵火から救ったとされています。上屋敷は鳥羽伏見の戦いの原因になった薩摩藩邸焼き討ちのため前の年に焼失していたため、蔵屋敷が使われたそうです。

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青山墓地

2013年11月22日 | 旅 歴史
 東京都港区南青山に青山墓地があります。
 青山の地名の由来でもある青山忠成の屋敷地の大部分が、現在では青山墓地となっ ています。明治5年(1872)に社寺などに帰属しない共同墓地第一号として作られました。
 大久保利通、尾崎紅葉、国木田独歩、後藤新平、乃木希典、北里柴三郎、犬養毅、斎藤茂吉、吉田茂、志賀直哉などが眠っています。敷地内には政治家や作家など、著名人の墓も多く、12万人以上が埋葬されています。
 忠犬ハチ公の碑もありました。霊園内には樹齢50年以上という桜もあり、春には桜見がてら散策する人も見られます。

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清正井

2013年11月21日 | 旅 歴史
 東京都渋谷区代々木神園町の明治神宮の中に清正井があります。
 清正井は加藤清正が掘ったと伝えられている井戸です。この井戸はいまでも泉が湧く、都内有数の名泉です。そのあふれた水が菖蒲田を通って南池に流れ込み、せせらぎとなって南参道の神橋の下を流れます。

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明治神宮

2013年11月20日 | 旅 歴史
 東京都渋谷区代々木神園町に明治神宮があります。
 明治神宮は大正9年(1920)11月1日に創建されました。明治天皇とそのお后である昭憲皇太后がお隠れになり、明治神宮の創建となりました。
 ここは肥後熊本藩主加藤忠広(加藤清正の子)の屋敷でした。今でも清正の井戸が残っています。改易にあい彦根藩井伊家の下屋敷となりました。、
 維新後皇室の南豊島御料地になりました。22万坪の境内には全国から献木された12万本の木が育っています。
 天皇はここで
 「うつせみの 代々木の里は しずかにて   都のほかの ここちこそすれ」
 と詠まれたそうです。
 鳥居の先の左手に若木があります。その先には御料地以来の菖蒲田があり6月にはたくさんの人で賑わいます。

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円融寺梵鐘

2013年11月19日 | 旅 歴史
 東京都目黒区碑文谷の円融寺に梵鐘があります。
 円融寺の梵鐘は寛永20年(1643)に飯田善兵衛宗次によって鋳造されました。国の重要美術品に認定されています。

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円融寺仁王門

2013年11月18日 | 旅 歴史
 東京都目黒区碑文谷の円融寺に仁王門があります。
 円融寺の仁王門は室町時代の建立で、3間1戸、8脚、入母屋造り、茅葺きです。門の左右に安置されている木造金剛力士(仁王)像は永禄2年(1559)の作で高さ2mあります。東京都指定有形文化財で江戸時代は「碑文谷仁王」と呼ばれ広く信仰を集めたそうです。

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円融寺釈迦堂

2013年11月17日 | 旅 歴史
 東京都目黒区碑文谷にある円融寺には釈迦堂があります。
 円融寺の釈迦堂は東京都内では国宝の正福寺地蔵堂につぐ室町時代の古い建物です。3間4面、単層入母屋造り、銅板葺きで、唐様建築に和様を取り入れた様式です。明治44年(1911)に国の重要文化財に指定されています。

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円融寺

2013年11月12日 | 旅 歴史
 東京都目黒区碑文谷にある円融寺です。
 経王山円融寺は、区内では目黒不動につぐ古い天台宗のお寺です。仁寿3年(853)に慈覚大師が創建したと伝えられ、妙光山法服寺という天台宗のお寺だったそうです。弘安6年(1283)に日蓮の弟子・日源により、日蓮宗に改宗し、妙光山法華寺と改称しました。
 一時は朱印19石、寺坊18、末寺75という江戸近郊第一の名刹といわれましたが、不受不施派の宗論が幕府の忌諱にふれ弾圧されました。改宗を余儀なくされ、元禄11年(1698)再び天台宗のお寺になりました。
 天保5年(1834)に現在の経王山円融寺と改めています。不受不施派とは、法華経信者以外からは施しを受けず、与えずという一派で、日蓮宗本山の久遠寺とも対立し、江戸幕府からも弾圧されました。


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