旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

諸鈍長浜のデイゴ並木

2011年05月31日 | 旅 歴史
 鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍にある諸鈍長浜のデイゴ並木です。
 諸鈍デイゴ並木は、樹齢300有余年というみごとな巨木群です。85本以上のデイゴ並木は毎年5月から6月にかけ真紅の花を咲かせます。
 花の時期はたった1週間という短さだそうです。昭和53年、町の文化財に指定されました。
 瀬戸内町の天然記念物に指定されたデイゴのうち21本が国の巨木樹に登録されているそうです。
 デイゴは梯梧と書き、学名は「 Erythrina variegata」というそうです。エリスリナともいわれマメ科の落葉高木です。沖縄県の県花にもなっているようですがここの方が迫力がありました。
 琉球大学で学生がやっている合格電報の文面は「デイゴ咲く」と打って祝福するそうです。

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大屯神社

2011年05月30日 | 旅 歴史
 鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍にある大屯神社です。
 大屯神社は平家の落人・平資盛(たいらのすけもり)を奉ってある社です。ここで貴重な郷土芸能で国指定重要無形民俗文化財である「諸鈍シバヤ」が演じられます。

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諸鈍

2011年05月29日 | 旅 歴史
 鹿児島県大島郡瀬戸内町諸鈍の諸鈍です。
 諸鈍は諸鈍長浜ともいわれています。南に面した大きな湾のもっとも奥の方にある長い浜辺。その浜辺に沿って諸鈍の集落があります。諸鈍長浜公園には白い砂浜の諸鈍海水浴場が目の前に広がっています。
 山田洋次監督の碑です。1995年の秋この加計呂麻島で寅さんシリーズ最後の作品となった第48作「寅次郎紅の花」のロケーションをした記念に建てられています。
 寅さんの数あるマドンナの中でも最愛の人リリー(浅丘ルリ子)がこの加計呂麻島にひっそりと暮らしていました。リリーを訪ねてきた寅さんも居着いていました。
 寅さんはここの暖かい気候と穏やかな人情がすっかり気に入って居座っていました。そこへ寅さんの甥の満男(吉岡秀隆)が恋人の嫁入りをぶち壊してふらふらとやってきたのでした。

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加計呂麻島

2011年05月28日 | 旅 歴史
 鹿児島県大島郡瀬戸内町にある加計呂麻島です。
 加計呂麻島は奄美本島にある瀬戸内町の港から船で約20分のところにあります。穏やかな入江は真珠やクロマグロの養殖も行なわれています。
 デイゴの並木の前にはサンゴ礁の海、白い砂浜、水のきれいなビーチが点在し、海水浴客やダイバーが多く訪れます。
 この付近で作られる黒糖焼酎は独特の甘みと香りを持った酒です。米こうじと奄美特産の黒砂糖を主原料に醸造された蒸留酒です。島唄を聞きながら一杯は最高です。

 加計呂麻島では砂糖きび栽培が盛んです。諸鈍(しょどん)まで行く途中の農家にはそれらの設備がありました。今から約400年も前の1601年に始まったそうです。
 砂糖きび酢も有名です。中国から約200年前杜氏が渡って来て、酢造りの方法が伝えられ、加計呂麻島の気候の中で永い間はぐくまれてきました。生活に欠かせない知恵として受け継がれ健康長寿の里を築いているのです。

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大島海峡

2011年05月27日 | 旅 歴史
 鹿児島県大島郡瀬戸内町にある大島海峡です。
 奄美大島と加計呂麻島の間に横たわる幅約3kmの穏やかな海峡です。抜群の透明度を誇っていて東洋一といわれる美しい珊瑚礁のメッカです。
 太平洋と東シナ海の特徴を併せ持っていて海岸線はどちらの島も複雑に入り組んだリアス式海岸です。「亜熱帯の瀬戸内海」ともいわれ、美しい景観をみせてくれます。
 この海峡は軍事的にも重要な地点とされて海上自衛隊の潜水艦「なつしお」(2450トン)などが監視を強化しているようです。
 2004年10月中旬以降、種子島南東海域や魚釣島付近で中国海軍とみられる潜水艦救難艦や曳船(えいせん)、測量艦が確認され、海自側が中国海軍潜水艦が周辺で調査活動している可能性が高いとして警戒していました。
 沖縄県の先島諸島周辺海域に中国原子力潜水艦が侵入しました。日本側が海上警備行動を発令しましたが逃げられ中国側からの陳謝もありませんでした。


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古仁屋港

2011年05月26日 | Weblog
 奄美大島にある古仁屋港です。
 古仁屋には大きく二つの港があります。海に向かって左手の港は鹿児島から徳之島、沖永良部を結ぶ大きなフェリーが発着するところです。右手の港は加計呂麻島行きのフェリーが発着しています。

 「フェリーかけろま」は1日に7往復します。瀬相(せそう)行きが4往復、目的地の生間(いけんま)行きは3往復しかありません。行きは海上タクシーに乗ることにしました。
 フェリーかけろまと同じ港に「瀬戸内海上タクシー」と「古仁屋海上タクシー」の待合所がありました。そこにいた船長に頼みました。
 男はつらいよ、最終話、寅次郎紅の花では、俳優田中邦衛が海上タクシーの船長の役をやっていました。
 
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古仁屋

2011年05月25日 | 旅 歴史
 奄美大島の古仁屋です。
 古仁屋(こにや)は名瀬に次ぐ大きな街で、かつては軍港で海軍航空隊古仁屋基地がありました。第二次大戦末期には沖縄周辺の米軍の艦船に水上機による攻撃を行ったそうです。
 寅さんのロケ地でした。買い物帰りのリリー(浅丘ルリ子)が海上タクシーの船に乗り込み旅先の満男(吉岡秀隆)に出会ったところです。

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伊須湾

2011年05月24日 | 旅 歴史
 奄美大島にある伊須湾です。
 瀬戸内町の綱野子あたりからの景色です。手前は伊須湾です。観光スポットにはなっていませんが、とても海の色が深い素晴らしい景観です。
 中央の左側の半島はホノホシ海岸です。その向こうは大島海峡東口をはさんで加計呂間島が見えています。
 瀬戸内町には嘉徳という集落があります。この嘉徳はワダツミの木で一躍有名になった歌手の元ちとせさんの生まれ故郷だそうです。
 元ちとせさんは嘉徳の家から古仁屋高校まで20km近い道のりを毎日40分かけてこの道をバイク通学していたそうです。

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黒潮の森マングローブパーク

2011年05月23日 | 旅 歴史
 鹿児島県大島郡住用村石原にある黒潮の森マングローブパークです。
 2001年に「黒潮の森 マングローブパーク」がオープンしました。奄美特有の動植物や自然とふれあえる体験型の公園施設で、道の駅「奄美大島住用」にもなっています。
 展示施設のマングローブ館にはジオラマ水槽やマルチスクリーンがあり映像や展示でマングローブの自然を知ることができます。
 スミヨウガーデン、ふれあい広場、大滝などが整備され、スミヨウガーデン、ふれあい広場などが整備され、カヌー乗り場や展望台行きのマウンテンライナー乗り場まで行かれます。
 カヌー乗り場からは、隣接する奄美群島国定公園特別保護地区へ水路で行くカヌーツアーを体験することもできます。
 展望台へのモノレールのマウンテンライナーは急峻な山道をあっという間に駆け上り山頂駅まで運んでくれます。
 目の前にはグリーンのじゅうたんを敷き詰めたようにマングローブの密林が広がり、河口の両岸には山が迫っていました。
 マングローブ(Mangrove)とは、熱帯地方の河口域などの塩性湿地に生育する森林のことです。日本では沖縄から九州南端までが生育できる地帯です。
 マングローブとは森林の型につけられた名であって、そのような名の植物があるわけではありません。
 熱帯や亜熱帯地域の河口など、満潮になると海水が満ちてくるところに生えている植物をまとめてマングローブと呼んでいるのです。
 マングローブを構成する主要な植物はメヒルギとオヒルギです。オヒルギはここが日本の北限にあたるそうです。
 太平洋に流れ込む住用川(すみようがわ)と役勝川(やくがちがわ)が合流する70万平方m以上のデルタ地帯にこの原生林が発達しています。
 マングローブは波があたるような場所では生育できないそうです。満潮(まんちょう)になると海水が満ちてくるようなところ潮間帯(ちょうかんたい))に生えている植物なのです。
 泥質の中は酸素が不足がちになるため、呼吸根といわれる地表に顔を出す根を発達させるものが多いようです。
 マングローブは塩分を取り過ぎないように根の部分で塩分をろ過するのだそうです。ろ過しきれなかった塩分は葉に溜めこまれ、その葉は黄色くなって枯れるということです。

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奄美空港

2011年05月22日 | 旅 歴史
 鹿児島県大島郡笠利町にある奄美空港です。
 奄美大島の空の玄関口「奄美空港」です。本土からは鹿児島空港・伊丹(大阪)空港・羽田空港と結ばれています。その他、与論島以外の奄美諸島(与論は沖永良部経由)、沖縄の那覇空港と結ばれています。
 空港ターミナルビルの特徴は、屋上にある高倉(この地方で昔使われていた倉庫)を模した三角形の屋根が三つあることです。
 以前の奄美空港は現在の空港から南側に車で5分くらいのところにありました。滑走路は1200mしかなくYS11ぐらいしか就航できませんでした。そこは今は奄美パークになっています。
 空港にはアイノコと呼ばれる舟が飾られています。奄美のイタツケ(板付舟)と沖縄のサバニーの長所をとって折衷した形でこの名前になりました。大正時代に考案され今でも漁に使われているそうです。 
 現在の奄美大島空港は、珊瑚礁のリーフを埋め立てて作った空港です。着陸態勢になったときに窓を見ると美しい珊瑚の中に突進していました。
 これらの珊瑚が死に絶えないように祈るばかりです。石垣空港も同じやり方で建設しようという計画がありましたが、猛烈に反対され結論は出ていないようです。

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奄美大島

2011年05月22日 | 旅 歴史
 鹿児島県の奄美大島です。 
 奄美大島は南に接する加計呂麻島(かけろまじま)・請島(うけじま)・与路島(よろじま)を含め奄美大島と呼ばれています。
 島の周囲は405km、面積712km2と日本では沖縄本島、佐渡島についで3番目に大きな島なのです。島のほぼ80%は深い森で、平地が少ない島です。
 奄美大島は鹿児島県薩南諸島の南部にあり、鹿児島から南へ380km、沖縄本島から北へ300kmの位置にあります。
 奄美では、日平均気温が10度以下になる日がなく冬がありません。25度以上の夏の期間が約年間3分の1もあり、年平均気温21.3度の亜熱帯気候の島なのです。
 樹齢130年といわれる天然林が生い茂っている金作原原生林は天然記念物の鳥類なども生息、珍しいシダ類も多く、まさに東洋のガラパゴスです。降雨量も年間3000mmを越す地域なのです。
 約100万年前、陸続きだった大陸から地殻変動により、奄美、琉球列島が分かれました。 個々の島々に残った動植物が独自に進化し固有の生態系を現在でも残しているのです。
 「日本書紀」には海見、「続日本紀」には阿麻美という文字が残されています。鎌倉時代に入り琉球王国に入貢しました。慶長14年(1609)以降は薩摩藩の直轄地となりました。
 明治時代以降は鹿児島県に属しています。第二次世界大戦後、アメリカ軍の軍政下におかれ、臨時北部南西諸島政庁(のち奄美群島政府)から琉球政府の統治をへて昭和28年(1953)12月25日にようやく日本に復帰しました。

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霧島神宮

2011年05月21日 | 旅 歴史
 鹿児島県霧島市霧島田口にある霧島神宮です。
 霧島神宮は、平成元年5月19日、国の重要文化財に指定されています。霧島神宮は、天孫降臨 迩迩芸命(ニニギノミコト)を祀る神社です。
 天照大神は、孫であるニニギノミコトに、高天原から降りてこの国を治めよと命令しました。
 ニニギノミコトは三種の神器を譲り受け七人のお供の神と一人の道案内(猿田彦命)の神と共に高千穂の峰に降りたのでした。これが天孫降臨の神話の由来です。
 高さ23mの大鳥居をくぐり、杉木立の参道を上ると、絢爛たる朱塗りで入母屋造の社殿と拝殿が荘厳と立っています。ともに重要文化財に指定されています。
 本殿には、ニニギノミコト以下七柱をお祀りしてあります。本殿、拝殿はもとより登廊下、勅使殿等、その配置が素晴らしく宏大で壮麗な美しさです。
 第29代欽明天皇の御代、慶胤という僧が、高千穂峯と火常峯(現御鉢)との中間の背門丘(せおと)に、社殿を建てたのが始まりであるといわれます。
 鎌倉時代になって、霧島山の大噴火があり、社殿を焼失してしまいました。その後、社殿を山の東にあたる長尾山に移したそうです。
 文明16年(1484)、島津忠昌は、この社を東西両社に分け、東社を瀬戸尾に遷座、この社が現在、宮崎県西諸県郡高原町の霧島東神社です。
 西社は、大隅国姶良郡田ロに建てられました。これが、現在の霧島神宮なのです。
 その後、火事で全焼の災にあいました。正徳5年(1715)時の藩主島津吉貴の寄進によって再建されました。これが現在の社殿です。
 明治7年(1874)までは、霧島神社と称されていたそうです。また霧島西御在所六社権現とも呼ばれ、薩摩藩歴代の篤い尊崇と衆庶の崇敬を集めてきたのです。
 慶応2年(1866)坂本龍馬と妻おりょうは薩摩を訪れています。霧島山の峰にある天の逆鉾を見ようと高千穂登山をしたそうです。そしてこの霧島神宮にも参拝しています。現在の新婚旅行の走りでした。

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知覧武家屋敷庭園

2011年05月20日 | 旅 歴史
 南九州市知覧町郡にある知覧武家屋敷庭園です。
 知覧は「薩摩の小京都」といわれ、生け垣と石垣が美しい武家屋敷が今も残っています。重厚な石垣に大刈りの植え込みは、琉球や中国の影響を受けたといわれています。
  武家屋敷通りと亀甲城跡を含む18.6haが国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定され、7つの庭園は知覧麓庭園として国の「名勝」に指定されています。
 麓というのは薩摩藩が江戸時代に防衛上の必要から外城(とじょう)として造った武家屋敷兼陣地のことです。外城といっても城郭を構えるわけではなく、領内を治める地頭の仮屋を設け、その周りに麓を形成させたのです。
 地区内は石垣で屋敷が区切られ、生垣及び屋敷は有事の際には塁、防壁として役立つように作られています。屋敷入口には屋敷内が見えないように屏風岩などがあるのも特徴です。

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知覧特攻平和会館

2011年05月19日 | 旅 歴史
 鹿児島県南九州市知覧町郡にある知覧特攻平和会館です。
 知覧町と言えば、太平洋戦争中に置かれていた特攻隊基地の町として全国的に知られています。特攻平和会館は太平洋戦争の沖縄決戦において特攻という人類史上類のない作戦で、爆弾搭載の飛行機もろとも肉弾となり、一機一艦の突撃を敢行した多くの特攻隊員の遺品や関係資料を展示しています。館内には数々の資料を展示すると同時に、戦争の傷跡が残るゼロ戦の残骸が展示されています。両親に宛てた手紙など涙なしでは読めない内容です。平和ぼけしている私には考えさせられた施設でした。

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開聞岳

2011年05月18日 | 旅 歴史
 鹿児島県指宿市にある開聞岳です。
 薩摩半島の最南端。温泉地で有名な指宿の南西部に位置する開聞岳は円錐形をした美しい山容であり薩摩富士と呼ばれています。
 開聞岳は標高924mです。東シナ海の黒潮にその裾野を洗われ日本本土最南端の美しい休火山です。広大な山麓の日本一のスケールで広がる開聞山麓自然公園では、農耕用の「トカラ馬」が飼育されています。
 開聞岳は、約4000年前に噴火を始めたようです。約2500 年前には溶岩を流出し、現在とほぼ同じ規模の山体が完成していたものと推定されています。

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