旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

大国寺

2015年06月30日 | 旅 歴史
 兵庫県篠山市味間奥に大国寺があります。
 大国寺は天台宗の古刹で、大化年間(645-650)に創建されたといわれています。天竺から紫雲に乗って日本に来たという法道仙人(空鉢仙人)が国家安泰を祈願し、自ら作った薬師如来を安置し、開創したといわれています。
 天暦の頃(947-956)に、兵火で焼失しましたが、正和年間(1312-1317)に、花園天皇の帰依により再興され、安泰山大国寺の寺号を賜りました。豊臣秀吉、歴代領主や篠山藩主から庇護され寺運が隆盛しました。
 大国寺の本堂は室町時代初期の建立で、国の重要文化財に指定されています。昭和42年(1967)に兵庫県観光百選に指定され、新丹波七福神大黒天霊場として多くの参拝客が訪れています。
 本尊の木造大日如来坐像、木造阿弥陀如来坐像、木造薬師如来坐像、木造持国天立像、木造増長天立像などは平安時代に造られたもので、皆、国の重要文化財に指定されています。数多くの寺宝を所有していることから「丹波の正倉院」とも呼ばれているそうです。

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大正ロマン館

2015年06月29日 | 旅 歴史
 兵庫県篠山市北新町に大正ロマン館があります。
 大正ロマン館は大正12年(1923)に建てられた西洋館で旧・篠山町役場でした。(1992)に役場としての使用を終えました。改修され(1993)に「大正ロマン館」という名で開館し、篠山観光の拠点施設として活用されています。
 木造平屋建て、寄棟造りの西洋館です。角地を利用した独特な造りです。角地に玄関を設け、特徴ある意匠を集中させています。縦長の上げ下げ窓や、搭屋、セグメンタルペディメント風のパラペットなど当時の洋風建築の要素が取り入れられています。

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私立篠山中年学舎跡

2015年06月28日 | 旅 歴史
兵庫県篠山市黒岡に春日神社があります。
 明治9年(1876)安藤直紀(後の初代篠山町長)ら在郷有志により、春日神社社務所の小桃源(しょうとうげん)に「私立篠山中年学舎」が設立され、漢文、数学の授業が開始されました。篠山藩21代の青山忠誠(ただしげ)が校祖となっています。

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春日神社絵馬堂

2015年06月27日 | 旅 歴史
兵庫県篠山市黒岡に春日神社があります。
 春日神社の絵馬堂は昭和27年(1952)に平和を記念して建立されました。内部の馬絵は、当初は旧拝殿内にあったものです。慶安2年(1649)に松平忠国が奉納した狩野尚信作の黒神馬は、篠山市の文化財に指定されています。この馬が絵から抜け出しては黒岡の田畑を荒らしたことから、金網が張られています。

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春日神社能舞台

2015年06月26日 | 旅 歴史
兵庫県篠山市黒岡に春日神社があります。
 春日神社の能舞台は篠山藩主13代藩主青山忠良によって文久元年(1861)に建てられました。棟梁は稲山嘉七、永井理兵衛で、舞台背景画は松岡曾右衛門によって描かれています。当時、箱根より西でこのような立派な舞台はないといわれたそうです。
 能舞台は舞台、楽屋、鏡の間、橋掛で構成され、舞台は間口5.9m、奥行5.9m、入母屋造り、桟瓦葺きです。楽屋、鏡の間は間口8.9m、奥行7.6m、切妻造り、桟瓦葺きです。橋掛は間口9.8m、奥行2.7m、両下造り、桟瓦葺きです。平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されました。

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春日神社

2015年06月25日 | 旅 歴史
兵庫県篠山市黒岡に春日神社があります。
 春日神社は地元では「おかすがさん」と呼ばれる氏神です。貞観18年(876)、日置荘を治めていた藤原基経、藤原時平父子が藤原氏の氏神である春日大社の分霊を勧請したのが始まりといわれています。
 始めは現在の篠山城がある場所に鎮座していましたが、慶長14年(1609)、篠山城築城のため現在地に奉遷しました。そして歴代篠山城主から崇敬され庇護されてきました。
 文久元年(1861)には13代藩主青山忠良(ただなが)によって現在ある能舞台が寄進されました。能楽愛好者として知られた忠良によって能舞台は凝った造りとなっており、国の重要文化財に指定されています。
 床は桧張りで、舞台の床下には床板を踏む音を反響させるため、7個の立杭焼の大甕が埋めてあります。反響させるための向きや伏せ方が完璧で、全国の能舞台の中でも屈指のものとされています。

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青山歴史村

2015年06月24日 | 旅 歴史
 兵庫県篠山市北新町に篠山市立青山歴史村があります。
 青山歴史村は、桂園舎という建物を中心に、3棟の土蔵と長屋門から成っています。桂園舎は版籍奉還後、青山家の別邸として建てられました。長屋門は文化年間(1804-1817)に建てられた澤井家の長屋門を移築したもので篠山市の有形文化財に指定されています。
 篠山藩校「振徳堂(しんとくどう)」で使用していた版木や、源氏物語絵巻、藩政文書、青山家ゆかりの品などを収蔵展示しています。昭和62年(1987)、財団法人青山会が青山歴史村を造り、平成10年(1998)、篠山市に寄付、市の史料館となりました。

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安間家史料館

2015年06月23日 | 旅 歴史
 兵庫県篠山市西新町に篠山武家屋敷があっります。
 安間家史料館は天保元年(1830)以降に建てられた武家屋敷で、平成6年(1994)10月から翌年3月にかけて全面的な改修を行い、史料館として一般に公開しました。安間家は代々篠山藩に仕えた12石3人扶持の下級武士だったそうです。
 安間家史料館の中には安間家が使用していた品々が展示されています。建物は間口6.5間、奥行7.5間で、入母屋造り、茅葺きの曲屋です。当時の下級武士の生活を伝える貴重な建物として平成6年(1994)に篠山市指定文化財に指定されました。

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篠山武家屋敷

2015年06月22日 | 旅 歴史
 兵庫県篠山市西新町に篠山武家屋敷があります。
 篠山市の武家屋敷群は篠山伝統的建造物群保存地区の一つです。平成16年(2004)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選ばれています。篠山市街中心地にあり、篠山城の外堀に面した上級武士の屋敷群と、その一本西に通る御徒士町通りに沿った下級武士の屋敷群です。
 慶長15年(1610)篠山城が完成すると、城下町が形成され武家屋敷群が生まれました。現在残っている入母屋造り、茅葺き屋根の主屋や土蔵は天保元年(1830)の大火災後に再建された建物です。
 御徒士町武家屋敷群の通りの一番奥にある旧安間家住宅は、篠山市の有形文化財に指定され、内部も公開されています。標準的な徒士住宅で、茅葺きで曲屋形式の母屋と瓦葺の土蔵が残っていて、当時の武家の暮らしを伝えています。
 全国でも価値が高い町並みであると評価され、平成19年(2007)には美しい日本の歴史的風土100選に選ばれました。平成21年(2009)には篠山まちなみ保存会の活動などが評価され、文化庁長官表彰を受賞、平成26年(2014)には都市景観大賞(都市空間部門)を受賞しています。

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篠山市立歴史美術館(旧篠山地方裁判所)

2015年06月21日 | 旅 歴史
 兵庫県篠山市呉服町に篠山市立歴史美術館(旧篠山地方裁判所)があります。
 篠山市立歴史美術館は旧篠山地方裁判所の建物でした。明治24年(1891)に竣工された日本最古の木造裁判所で、国の重要文化財に指定されています。昭和56年(1981)まで裁判所として使用され、昭和57年(1982)に外観と旧法廷を従来の形で残し、美術館として開館しました。
 木造平屋建て、入母屋造り、桟瓦葺きで、外壁は真壁造り白漆喰仕上げです。平面は中央に玄関車寄を置き、両端を僅かに前に突き出しています。前面左右に法廷を配したE字型で、両翼は約40mにもなります。内部は簡素で、意匠は無く重厚さを感じさせます。
 篠山藩主・青山家伝来の品々を中心に、篠山に伝わる武具、漆芸、絵画、蒔絵のなどの美術品などを収蔵・展示しています。篠山藩の御用窯として開窯した王地山焼の名品や、古代の埋蔵文化財などもあります。

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青山神社

2015年06月20日 | 旅 歴史
 兵庫県篠山市北新町に篠山城跡があります。
 明治4年(1871)に篠山城は廃城となりました。明治15年(1882)藩主であった青山家に因んだ青山神社が篠山城内の本丸のあった所に建てられました。青山家の遠祖・青山忠俊を祭神としています。拝殿は間口3間、奥行2間の入母屋造り、銅板葺きで1間の向拝があります。本殿は一間社流造り、銅板葺きです。

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篠山城跡大書院

2015年06月19日 | 旅 歴史
 兵庫県篠山市北新町に篠山城跡があります。
 大書院は、明治維新後、篠山城の大部分の建物が取り壊された中、唯一残されていました。しかし昭和19年(1944)に焼失してしました。現在建てられている大書院は平成14年(2002)に再建された建物です。江戸時代中期の間取り図を基に1億円1千万円をかけて建立されたそうです。

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篠山城天守台

2015年06月18日 | 旅 歴史
 兵庫県篠山市北新町に篠山城跡があります。
 篠山城の天守台は東西約18m、南北約20mです。石垣の高さは約17mもあり、天守閣は堅固すぎるとの理由で建てられず、天守台南東隅に4m四方の一重の隅櫓が建てられました。築城当初は現在の二の丸が本丸でした。現在の本丸は天守台が造られたことから殿主丸と呼ばれていたそうです。

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篠山城跡

2015年06月17日 | 旅 歴史
 兵庫県篠山市北新町に篠山城跡があります。
 篠山城は桐ヶ城ともよばれ篠山市街地の中央にあります。慶長14年(1609)、徳川家康は、親藩の松平康重を笠間藩(茨城県笠間市)から従来からあった八上城に5万石で移封させ、八上城を廃して新たに篠山城を築城させました。
 篠山は交通の要衝で大阪城の豊臣家に対する軍事的拠点になり、豊臣恩顧の西国大名と豊臣家を分断する布石にもなりました。築城の普請奉行は姫路52万石の池田輝政、縄張りは津22万石と藤堂高虎が命ぜられました。
 助役として広島49万石福島正則、土佐20万石山内康豊をはじめ、西国の15ヶ国の外様大名が命ぜられました。8万人の労力と財力が投入され、6ヶ月という速さで慶長14年12月に篠山城はほぼ完成したそうです。
 城郭は篠山という小山を利用した平山城で東西、南北とも約400m、天守閣はありませんが、本丸の北東の高台には殿守丸を配し、さらに東西19m、南北20m、石垣高さ17mの天守台があります。本丸と二の丸には3重櫓があり天守閣のような役割を果たしています。
 二の丸には、大書院、小書院、中奥御殿、奥御殿、台所、庭園などがあり儀式や執務を行う重要な場所でした。大書院は京都二条城の御殿を模したといわれています。東西28m、南北26mと大規模で、格式の高いものでした。昭和19年(1944)の火災により焼失し、再建されています。
 元和5年(1619)、松平康重が岸和田藩に移封になり、高崎藩(群馬県高崎市)から松平信吉が入封しました。翌年、信吉は死去し、松平忠国が2代目になりました。慶安2年(1649)に忠国は明石藩に移封になり、高槻藩から松平康信が5万石で入封しました。。
 寛延元年(1748)、5代目松平信岑が亀山藩に移封になり、亀山藩から青山忠朝が5万石で入封しました。2代目青山忠高は儒学者を登用して藩校・振徳堂を建設し藩士の教育と文化発展に努めました。4代目青山忠裕、5代目青山忠良は老中の要職についています。青山家は明治維新まで6代続きました。

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如意寺山門

2015年06月16日 | 旅 歴史
 兵庫県神戸市西区櫨谷町谷口に如意寺があります。
 如意寺の山門は伽藍からはかなり離れた所に門だけがポツンと建っています。昔は広大な寺域であったことが伺えます。山門内には鎌倉時代の作とされる塑像の金剛力士(仁王)像の阿形・吽形2体が安置されていました。この塑像は兵庫県の文化財指定を受けています。

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