
富山県射水市(いみずし)八幡町に放生津八幡宮(ほうじょうづはちまんぐう)があります。
放生津八幡宮は奈良時代の天平18年(746 )、越中国司として赴任した大伴家持が奈古之浦(なごのうら)の風光を愛し、宇佐八幡神を勧請し奈古八幡宮としたのが始まりです。鎌倉時代に越中の守護所が設置されると総社となり、正和年間(1312-1317)に越中守護名越時有(なごやときあき)が社殿を造営しています。
室町時代には放生津が石清水八幡宮領となり、放生津湊に出入りする船の課役を八幡宮が担うようになりました。明応の政変(1493)では足利義稙が放生津を御座所としました。
永禄6年(1563)、越中一向一揆勢・神保(じんぼ)氏・椎名氏連合軍と、上杉謙信との合戦があり、兵火により社殿、社宝などが焼失しました。後に放生津城主・神保長識(ながもと)によって再興され、天正9年(1581)には放生津八幡領町として、この八幡宮と周辺が放生津の中心になりました。
江戸時代には歴代加賀藩主に崇敬され、明暦年間(1655-1658)には2代藩主前田利常が参拝しています。嘉永3年(1850)には12代藩主前田斉泰(なりやす)が参拝に訪れた際、裏手に砲台場を設けるため視察もしています。
明治時代の神仏分離令発令後、明治5年(1872)に郷社、明治32年(1899)に県社に列し、明治44年(1911)に現在の社号である放生津八幡宮に改めています。毎年10月1日には豪華な曳山神事が行われます。令和3年(2021)に、国の重要無形民俗文化財の指定を受けています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
日本一周 ブログランキングへ
にほんブログ村

http://blog.fc2.com/