青森県弘前市高岡神馬野にある高照神社です。
高照神社は津軽を統一した藩祖津軽為信と4代藩主信政を祀っています。信政を神式で埋葬するために、遺言により5代藩主津軽信寿が、正徳元年(1711)から正徳2年にかけて建立しました。
古くから小祠があり、津軽氏の入封以来それに対する尊崇は厚いものでした。4代藩主津軽信政は吉川神道の創始者である吉川惟足に師事して神道に造詣が深く、万治2年(1659)社殿を再建しました。
信政は宝永7年(1710)に弘前城で亡くなり、5代藩主信寿が信政の遺言に従い廟を社殿の背後と定め吉川惟足から授けられた神号「高照霊社」をしました。その後、享保15年(1729)に高照神社と改称しました。
高照神社には現在でも多くの建物が残されております。本殿、西軒廊、中門、東軒廊、拝殿、幣殿、随神門、廟所拝殿、廟所門、津軽信政公墓、太刀(銘友成作・平安末~鎌倉初期)、太刀(銘真守・鎌倉時代)が国の重要文化財に指定されています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
高照神社は津軽を統一した藩祖津軽為信と4代藩主信政を祀っています。信政を神式で埋葬するために、遺言により5代藩主津軽信寿が、正徳元年(1711)から正徳2年にかけて建立しました。
古くから小祠があり、津軽氏の入封以来それに対する尊崇は厚いものでした。4代藩主津軽信政は吉川神道の創始者である吉川惟足に師事して神道に造詣が深く、万治2年(1659)社殿を再建しました。
信政は宝永7年(1710)に弘前城で亡くなり、5代藩主信寿が信政の遺言に従い廟を社殿の背後と定め吉川惟足から授けられた神号「高照霊社」をしました。その後、享保15年(1729)に高照神社と改称しました。
高照神社には現在でも多くの建物が残されております。本殿、西軒廊、中門、東軒廊、拝殿、幣殿、随神門、廟所拝殿、廟所門、津軽信政公墓、太刀(銘友成作・平安末~鎌倉初期)、太刀(銘真守・鎌倉時代)が国の重要文化財に指定されています。
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