旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

高照神社

2012年09月30日 | 旅 歴史
 青森県弘前市高岡神馬野にある高照神社です。
 高照神社は津軽を統一した藩祖津軽為信と4代藩主信政を祀っています。信政を神式で埋葬するために、遺言により5代藩主津軽信寿が、正徳元年(1711)から正徳2年にかけて建立しました。
 古くから小祠があり、津軽氏の入封以来それに対する尊崇は厚いものでした。4代藩主津軽信政は吉川神道の創始者である吉川惟足に師事して神道に造詣が深く、万治2年(1659)社殿を再建しました。
 信政は宝永7年(1710)に弘前城で亡くなり、5代藩主信寿が信政の遺言に従い廟を社殿の背後と定め吉川惟足から授けられた神号「高照霊社」をしました。その後、享保15年(1729)に高照神社と改称しました。
 高照神社には現在でも多くの建物が残されております。本殿、西軒廊、中門、東軒廊、拝殿、幣殿、随神門、廟所拝殿、廟所門、津軽信政公墓、太刀(銘友成作・平安末~鎌倉初期)、太刀(銘真守・鎌倉時代)が国の重要文化財に指定されています。

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岩木山神社中門

2012年09月29日 | 旅 歴史
 青森県弘前市大字百沢字寺沢にある岩木山神社中門です。
 中門は本殿とともに4代藩主津軽信政の時、貞享3年(1686)から元禄7年(1694)までの間に建立されました。美しい四脚門で、切妻造り、とち葺形銅板葺きです。

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岩木山神社本殿

2012年09月28日 | 旅 歴史
 青森県弘前市大字百沢字寺沢にある岩木山神社本殿です。
 4代藩主津軽信政の時、元禄7年(1694)に岩木山神社として造営された本殿が造営されました。三間社流造り、正面千鳥破風、軒唐破風付、銅瓦葺きです。
 本殿は全面黒漆塗りで、随所に金箔押しを施しています。彫刻類はすべて極彩色を用いていて、飾金具を多く使っています。正面庇柱(ひさしばしら)には昇り龍降り龍を取り付けるなど正面の景観を重視した、豪華絢爛な建物です。

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岩木山神社拝殿

2012年09月27日 | 旅 歴史
 青森県弘前市大字百沢字寺沢にある岩木山神社の拝殿です。
岩木山神社拝殿は百沢寺の本堂として造営されました。その起工はさらに古く、慶長8年(1602)、津軽藩祖為信によって始まり、寛永17年(1640)、3代藩主津軽信義の時に完成しています。
 拝殿は壮大な五間堂で、入母屋造り、とち葺型銅板葺の屋根の正面に干鳥破風が付いています。1間の向拝が付いていて、内部は密教系寺院本堂の構成が残されています。

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岩木山神社楼門

2012年09月26日 | 旅 歴史
 青森県弘前市大字百沢字寺沢にある岩木山神社の楼門です。
 楼門は、2代藩主津軽信枚の時、寛永5年(1628)下居宮の別当寺であった百沢寺の楼門として建てられたものです。5間3戸の形式、総高は17.85mという壮大なもので、弘前市の長勝寺三門と造営時期、手法が酷似しています。
 百沢寺の山門の時は、十一面観音や五百羅漢像など仏像を安置していましたが、現在の楼門は岩木山神社の随神門として随神像が安置されています。

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岩木山神社

2012年09月25日 | 旅 歴史
 青森県弘前市大字百沢字寺沢にある岩木山神社です。
 岩木山神社は岩木山の南東麓にある神社で「お岩木さま」「お山」などと呼ばれ、津軽国一宮です。鎌倉時代の密教道場の構造をもつ社殿には、桃山時代の精巧な彫刻が施され、「奥の日光」ともいわれています。
 現存する社殿や楼門は江戸時代初期から元禄時代にかけ、代々の津軽藩主の厚い信仰をうけ、造営、寄進されたものです。本殿、拝殿、奥門、楼門、中門が国の重要文化財に指定されています。
 岩木山神社は宝亀11年(780)に岩木山頂に祠が建てられたという古社です。平安時代になり山麓の地に社殿が建立されました。延暦19年(800)、坂上田村麻呂が東夷東征の念願成就すると社殿を再建、十腰内に里宮にあたる下居宮を建立したそうです。
 その後、十腰内から岩木山東南麓の百沢地区に遷座し、百沢寺(ひゃくたくじ)と名乗ったのが現在の岩木山神社となっています。天正17年(1589)の岩木山噴火により岩木山神社(百沢寺)の多くの社殿や社宝、記録などが焼失してしまいました。

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旧平山家住宅

2012年09月24日 | 旅 歴史
 青森県五所川原市大字湊字千鳥にある旧平山家住宅です。
 旧平山家住宅は、代々津軽藩広田組代官所の手代を務めた平山家の住居として造られた建物です。津軽地方の上層農民の貴重な建物として、主屋と表門は国の重要文化財に指定されています。
 平山家は古くからの豪農で代々庄屋を勤めました。江戸時代後期には大庄屋となり代官所の手代や堰奉行を歴任しました。
 現在の建物は明和6年(1769)に再建されたものです。木造平屋建て、寄棟造り、茅葺き、正面左側を前に張り出しその部分の屋根は切妻になっています。間口33m、奥行き13mという大きな家です。
 東より7間まで「にら」や「とろち」などの作業部、中ほどの7間が台所や寝室などの居住部、西より3間が表座敷や奥座敷などの接客部にわかれています。
 旧平山家住宅の表門は国の重要文化財に指定されています。当時、門は法度により許されていませんでした。この門は、「平山家文書」により天保元年(1830)六代平山半左衛門の時、津軽十代藩主信順公からとくに許されて、建てられたそうです。

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立佞武多の館

2012年09月23日 | 旅 歴史
 青森県五所川原市大町にある立佞武多の館です。
 五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)は、五所川原市で8月4日から8日に開催される祭りです。名のごとく、高さが最大で20mにも達する巨大な山車が出されます。立佞武多の館に入ると祭りの雰囲気を味わえます。
 館内には立佞武多祭りに出陣する大型立佞武多3台を常時格納していて観覧することができます。新作立佞武多の製作体験、津軽の民工芸の製作体験、五所川原ネプタのお囃子の練習など様々なイベントが行われています。

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長円寺

2012年09月22日 | 旅 歴史
 青森県五所川原市飯詰字福泉にある長円寺です。
 太伊山長円寺は、弘前の津軽藩主菩提寺長勝寺14世、聖眼雲祝大和尚を勧請して寛文7年(1667)に開山したそうです。
 長円寺にある梵鐘は正徳6年(1716)に京都三条釜座の名工・近藤丹波藤久鋳造のものです。梵鐘は高さ127Cm、口径77Cm、厚さ8Cm青銅造りです。彫刻や鐘の響きが良いことなどから昭和37年(1962)に青森県重宝に指定されています。
 長円寺と長勝寺が梵鐘を依頼し、名工は雄鐘と雌鐘の対で鋳造しました。ところが十三湖で船が沈没し、長円寺の梵鐘だけ引き上げることが出来たそうです。
 そのため、「沈鐘伝説」で有名になりました。長円寺の梵鐘を突くと「十三恋し、十三恋し」と響き、十三湖の湖底からは「長円寺恋し、長円寺恋し」と鐘の音が響くといわれています。

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津軽三味線会館

2012年09月21日 | 旅 歴史
 青森県五所川原市金木町朝日山にある津軽三味線会館です。
 津軽三味線の元祖、神原の仁太坊(にたぼう)(本名秋元仁太郎)は青森県金木町の出身です。門下の「嘉瀬の桃」「白川軍八郎」らにより、津軽三味線の基礎が築かれました。
 平成12年(2000)にオープンした津軽三味線会館は仁太坊が始めた津軽三味線の歴史や弦楽器、郷土芸能などを紹介しています。舞台演奏ができる多目的ホールでは1日4回(冬期間は3回)、生演奏があり、津軽三味線の音を聞くことができます。

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新座敷

2012年09月20日 | 旅 歴史
 青森県五所川原市金木町朝日山にある新座敷です。
 新座敷とは、大正11年(1922)、斜陽館に隣接して建てられた離れのことです。太宰治の兄の文治氏の結婚を機に建設されました。疎開時に太宰一家が暮らした家でもあります。
 この地では「春の枯葉」、「冬の花火」、「パンドラの匣」、「親友交歓」、「トカトントン」、「十五年間」、「苦悩の年鑑」など世情を諷刺した作品を書いています。

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太宰治記念館 斜陽館

2012年09月19日 | 旅 歴史
 青森県五所川原市金木町朝日山にある太宰治記念館 斜陽館です。
 斜陽館は作家・太宰治(本名津島修治)の生家です。太宰が青森中学へ進学するまで大家族と共にここに住んでいました。大地主だった父の津島源右衛門が明治40年(1907)に建てた入母屋造りの豪邸です。
 戦後、建物は津島家が手放した後、近年まで旅館として使われていました。平成10年(1998)に太宰治記念館「斜陽館」となりました。
 また斜陽館は旧津島家住宅として登録され、国の重要文化財に指定されています。堀江佐吉の設計で堀江の四男斉藤伊三郎が大工棟梁で建築しました。総ヒバ造りで銅板ぶき屋根の大きな建物で、周りは赤レンガの厚い塀で囲まれています。
 館内は、太宰の誕生当時のままに復元し、調度なども当時の様子を再現しています。また執筆の際の膨大な資料や遺品も展示されています。

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棟方志功記念館

2012年09月18日 | 旅 歴史
 青森県青森市松原にある棟方志功記念館です。
 棟方志功記念館は青森市に生まれた世界的板画家・棟方志功の文化勲章受章を記念して昭和50年(1975)にオープンしました。
 校倉造を模した鉄筋コンクリート2階建ての建物は、池泉回遊式の閑静な日本庭園と調和が取れています。
 館内には棟方が世に出るきっかけとなった「大和し美し」、代表作「釈迦十大弟子」などが収められていて、独自の境地を切り開いた棟方志功の世界に触れることができます。
 板画、倭画、油絵、書など多岐にわたる棟方作品を年4回展示替えしながら順次紹介しているそうです。板木や彫刻刀・筆などの愛用品、写真の展示、ビデオ上映なども行っています。

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青龍寺

2012年09月17日 | 旅 歴史
 青森県青森市大字桑原字山崎にある青龍寺です。
 青龍寺は青森市にある高野山の青森別院で、昭和57年(1982)に創建された新しいお寺です。
 金堂は平成4年(1992)に、五重塔は平成8年(1996)に完成したものです。39mの高さがあり、心柱は建物によってぶら下げられる形式になっています。青森の天然ヒバ材を使用しています。
 昭和59年(1984)に造立された日本一の青銅座像の大日如来像は昭和大仏とも呼ばれています。高さは奈良や鎌倉の大仏をはるかにしのぐ21.35mです。

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海の記念日発祥の地碑

2012年09月16日 | 旅 歴史
 青森県青森市安方の聖徳公園にある海の記念日発祥の地碑です。
 明治9年(1876)、初の東北巡幸を終えた明治天皇は青森の浜町桟橋からわが国初の鉄製蒸気船「明治丸」に乗り込み、函館を経由して横浜に帰還されました。その日を記念し、「海の記念日」が昭和16年(1941)に制定されました。平成8年(1996)、この記念日は国民の祝日「海の日」になりました。天皇の訪れを記念した石碑や「海の記念日発祥の地」碑が、青い海公園の隣にある聖徳公園に建てられています。

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