旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

寛永寺

2022年05月06日 | 旅 歴史

 東京都台東区上野桜木に寛永寺(かんえいじ) があります。
 寛永寺は天台宗の別格大本山です。寛永2年(1625)に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、天海大僧正によって建立されました。秀忠の隠居後、寛永2年(1625)、3代将軍家光の時に今の東京国立博物館の敷地に本坊が建立されました。
 寛永寺の伽藍は延暦寺の様式のように造営されました。寛永4年(1627)には法華堂、
常行堂、多宝塔、輪蔵、東照宮などが、寛永8年(1631)には清水観音堂、五重塔などが建立されました。寺の中心となる根本中堂が落慶したのは元禄11年(1698)、5代将軍徳川綱吉の時でした。
 後には第4代将軍・德川家綱の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となりました。貫主は輪王寺宮と尊称され、水戸、尾張、紀州の徳川御三家と並ぶ格式と絶大な宗教的権威をもちました。
 江戸時代、現在の上野公園一帯に寛永寺の堂塔伽藍が整然と配置されていました。現在の噴水池周辺に、本尊薬師如来を泰安する根本中堂があり、その後方に本坊がありました。しかし、幕末の慶応4年(1868)、彰義隊の戦(上野戦争)の戦場となりました。
 五重塔、清水堂、徳川家霊廟は残りましたが、根本中堂などほとんどの堂宇が焼失しました。明治維新後、境内地は没収され、輪王寺宮は還俗、明治6年(1873)には旧境内地が公園用地に指定され、寺は廃止状態に追い込まれました。
 復興後、第二次世界大戦でも被害を受けましたが、上野公園内の各所に残されています。旧本坊表門、清水観音堂、五重塔、常憲院霊廟勅額門、厳有院霊廟勅額門などは国の重要文化財に指定されています。

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