22日 午後の診療は、歯科医になってこれほどの感動を覚えた日はなかった。目頭が熱くなるのを堪えるのが精一杯だった。
彼女は、重度の歯周病で、初めて逢った時もマスクをしていた。一つの歯も救えない。そこまで状況を追い詰めた原因や医療を思う時、私の中で、私から「私に治させて欲しい」と思った。‘彼女を治す為に今までの私があったのだ’などという傲慢な思いではなく、「私が必ず直す」という決意のような思いだった。
歯科医が怖いから、医療に思いやりがないから、、、、「何処へ行っても、痛くされたり、頬を削られた事も、、、、。」と語った彼女を追い詰めたのも歯科医療。
上の7本の歯、下の8本の歯を、2度に別けて、抜歯させていただいた。その日、同時に上に9本。別の日、下に8本のインプラントを同時埋入。きっと辛かったでしょう。手術は一日がかり。麻酔医による静脈内沈静下のものと本当に頑張って協力して頂きました。(2日間一人の患者さんだけ。)しかし、彼女は、反対に私達を気遣うようにお礼を告げてくれていた。型を取る時、苦しくて苦しくて、涙も零れていた。無意識に拒否反応をおこし嘔吐してしまった事も。何度も「もうチョッとですから! ホントにあと、ちょっとですから!」と耐えて頂いた。
カメラを向けた時、そっと目を閉じた心に詫びるように「クリスマスまでには必ず、綺麗な仮歯を入れてみせますから」とシャッターを切った。
それから2ヶ月。
技工士の浅見は昨晩は、ほとんど寝てない様子。これで、合わなければ彼女の思いも、浅見の苦労も無になる。「後ろの印象パーツは不安だから、そこは作らないで。バイト(噛み合せの高さ)は、ちょっと、これくらい高くして、この位置。責任は僕」と2週間前に言った。
ITIのようなインターナルヘックスのプロビジョナル(仮歯)では、多数歯を連結するのは不可能にちかいが、内面に調整に加えなんとか20歯分の仮歯を完成させた。
歯肉の中に隠れたパーツの適合性は、一つずつレントゲンで確認しながら合わせていく。ヒーリング(インプラントの蓋)を外すと歯肉は内方に変形する為、時間を空けると(2分前後でも)、結果として痛みや出血を強いることになる。彼女から痛みを告げられると、螺子を締める指が迷う。「合っているのか? 印象がずれているのか?」何度もインプラントとプロビジョナル(仮歯)のパーツを一つ一つ合わせていく。
1時間後、ようやく上下の仮歯がインプラントと一体に。しかし、これから、噛み合せを合わせていくのである。一般的(治療の本来の流れ)には、全顎に及ぶインプラント治療の場合、高さやその位置決めに数回の治療回数が必要になる。が、しかし、彼女の仕事や通院の関係から、たった一度で、その高さや位置を模索した為、そのズレは起こりうるものである。そのズレを直接、口腔内で合わせることになる。が、想定内とはいえ、時間のかかる細かい治療となる。特にその審美性は、口唇の位置や、笑顔とのバランスに大きく影響を与える為、とても大切な治療でもある。
2時間以上時が経っていたと思う。彼女に、手鏡を渡し「マスクは捨てて帰れるよ」と声をかけた。手鏡の中に写った美しい笑顔を見たとき、言葉は要らなかった。本当に美しい可愛い笑顔だった。
帰りがけに、技工士や歯科衛生士も含めみんなで写真を撮った。テーブルにはアップルパイ、チョコレートケーキ、ホットドック、リンゴやパイナップルの果物、食べきれない量があった。一口ずつで良いので食べて欲しいとスタッフが揃えたものだった。アップルパイをかじった笑顔は、なんどでも言うが本当に美しい可愛い笑顔だった。そして、歯科医療の素晴らしさも彼女から教えれた時だった。
治療をさせて頂き、医師として幸せな時でもあった。
PS
1192年、今から800年以上前、京の都のように鎌倉にも素晴らしい四季があったという。春にはサクラ、秋には紅葉、しかし、京にあって鎌倉に無かったのも。雪景色は鎌倉には無かった。頼朝は雪が見たかった。家来達は、やまに白い布を沢山張って、雪に見立てた。その景色に頼朝は大いに喜んだと伝えられている。その山のふもとが雪ノ下と呼ばれる。(頼朝のために雪を閉まっておいた雪小屋があったからとも言われる)
23日は数ヶ月ぶりの休日、透き通るような冬の晴天の中、こんな話を聴きながら人力車に乗って鎌倉の散歩に出かけてみた。
そんな雪ノ下から程近いところに竹寺(報国寺)はあった。報告寺には孟宗竹の‘竹の庭’が。思わず声を上げそうになるほどの竹林から零れる冬の光と凛とした風には身も心も洗われる。この空気の中、抹茶を戴きながらの和三盆が何ともいえない絶妙の美味しさだった。
夕方には、江ノ島の‘エノスパ’へ、露天の温泉から見るピンクの夕焼けの中のグレーの富士山は絶景だった。暗くなるにつれて今度はうっすらと光る星が見えて来る。グレーの富士山が真っ黒に変わる景色を洞窟の中からいつまでも眺めていた。