Advance

インテリアコーディネーターのブログ。
住まいのこと。インテリアのこと。仕事のこと。子どものこと。。。

9月27日 Mrs-iclub 4(最終回) 「おくゆき」

2005-09-27 | イベントレポート
WOOD ONE主催 Mrs-iclubのセミナーに参加して早1ヶ月が経ちました。セミナーは、①「霞中庵見学」②「しょうざん見学」③「建築家 竹原義二先生講演会」の3本柱で構成されていました。①と②についてはUP済みですので、今日は③についてのお話をしたいと思います。

「数奇屋造りの建築物から学ぶ『和』の空間、『住まい』の原点 (竹原義二が提案する日本的空間のあり方)」と題された講義で、「霞中庵」や「しょうざん 峰玉亭」を見学した内容に基づくものでした。

建築は、正解が一つではないのでこのような講義を聴いた後、レポートを書いたり人に伝えたりすることが、非常に難しいと思います。なんとなくぼんやり感じ取ることが多い。その全てを一旦吸収して、そこから実現できそうなものや、感銘を受けたものをかたちに表していく・・・。顧客が選ぶものも様々ですが、私たちが提供するものも様々なのは、恐らくこういったところからだと思います。

セミナー後、会社に対して提出したレポートを読みながら、その内容を思い出します。もう一度、頂いたテキストや資料を読み比べると、当時とはまた違ったことを感じます。たった1ヶ月の間にも私自身の物事の捉え方が変化しているのかも知れません。

全体的な構成は、「キレイ」ではない「美しさ」の追求でまとめられていたように思います。英語に訳すとどちらも「Beautiful」ですが、この曖昧な感覚の違いを表現できるのが日本語であり、日本建築なのかもしれません。

竹原先生の講義は、最近のインテリアや建築空間を語るときの表現である「和」「洋」又は「モダン」という言葉があまりに表面的なかたちやデザインで語られ過ぎてはいないか。という問いかけから始まります。

従来の日本建築の美しさを、引き算を重ねて純化された「用の美」、「不完全の美」として表現されました。
そして、「最近の住宅は足し算を繰り返されている」という表現されましたが、確かにここ数年の建物を客観的に捉えたところだと思います。思い当たる節が多々あります。

そして、そんなことを踏まえて1ヶ月経った今感じたことがあります。
何かにつけて耳にする「モダン」という言葉。外観のデザインでもインテリアでもファブリックでも、その分野を問わず、語られています。その中でも数年前から人気の中心にある「シンプルモダン」というスタイル。それは、もしかすると「足し算されたデザイン」に対し、感覚的に飽き始めた私たちが求めた新たなスタイルなのかも知れません。

ウッドワンスタイルという冊子の竹原先生のインタビュー記事の中に、「建築家 ブルーノ・タウトが桂離宮を見て日本の数奇屋建築の中にモダンデザインを見出した」という内容があります。
「桂離宮」から「モダン」という感覚は、私にはありませんでした。

しかし、私はそれらを通して「キレイ」と「美しさ」の間に「奥行き」を見出しました。
私たちは、なんとなく表面的なものにとらわれ、あたかもデザインをした錯覚に陥りがちです。「美しさ」の中に存在する「奥行き感」は、光や影、色彩とテクスチュア、さらにはそこを取り巻く人の関係性に至るまで計算。強いてはその建物が持つ「深み」なのかも知れません。
そういった、意味では建物も人間も似ているように思います。奥行きのある人に魅力を感じるのと同じように、建物にも内から滲み出るものがなければ・・・。

その為には、見なければならないもの。知らなければならないこと。学ばなければならないことが、まだまだたくさんあります。
やはり、もう少し時間が欲しい。と思うのは私だけでしょうか。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。