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インテリアコーディネーターのブログ。
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9月12日 Mrs-iclub 3 「峰玉亭見学」

2005-09-12 | イベントレポート
(北区衣笠鏡石町 金閣寺北800m)

戦後いち早くウール地の着物を製造、販売、開発し注目を集めた「しょうざん」という会社の創業者松山政雄が作った光と緑の観光工場。近世の日本美術に偉大な足跡を残した本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)が、かつて芸術村を営んだとされた京都洛北・鷹ヶ峰。その美しい山容を借景に広がるのが「しょうざん光悦芸術村です。北には光悦ゆかりの光悦寺、川を下れば金閣寺にいたります。北庭は樹齢450年という古木を混えた北山台杉と紀州石を贅沢に使い、楓と梅林を巧みに配しています。その源に流れるのは、伝統を重んじ、“芸術を愛する心は、美しい環境から生まれる”という松山政雄の人間哲学がこめられています。(WOOD ONE配布資料引用)

こちらも普段は一般非公開の建造物ですが、WOOD ONEさんの企画で見学することができました。

こちらの建物は、しょうざんさんのお取り計らいにより、写真撮影は可能でしたが、個人的な利用に限るというお約束でしたので、掲載は控えさせて頂きます。
こちらもまた、霞中庵とはまた少し趣の違う美しさでした。

現在は、皇族や外国人要人の休憩所として使用されており、年に一度の春の大茶会に限定で200名だけを招待されているそうです。かつて、しょうざんが着物の直販をしていたころは、お客様を1日1組限定で招いて、宿泊してもらっていたそうです。

宮大工によって建てられた釘を使わない工法と、随所に伐採後30年くらい経過した乾燥竹をふんだんに使用した天井、金閣寺の夕佳亭(せっかてい)のものより太いとされている南天の床柱、けやきの一枚板(畳一枚ほどの大きさでした)など、全国から選りすぐりの材料を用いて3年を費やして完成させた迎賓館は、現在、全く同じものを建てようとしても絶対に不可能だということです。

とにかく、その重厚感に圧倒された。という感じの印象を受けました。
と同時に、技術・文明の進歩している現代に同じものをつくることの出来ないことに憤りを感じました。

不動産業界では、数年前から「町家ブーム」の傾向が強く、特に外国人の方や若い人たちに人気です。ハチセでも「リ・ストック住宅町家」というかたちで販売に力を入れていますが、昔の時代につくられたものの良さを再認識できる時代になってきたのかも知れません。

この企画を通して、2つの建造物を見学することができました。また、ハチセが購入する物件の中にも、老朽化による腐食は免れないながらも、立派な建物に出会うことがあります。
時には、どうしようもないひどく朽ち果てた建物でさえも、その土壁や下地の手の込んだ仕上げに心を奪われることもあります。

「時間と手間」が一番のコストアップに繋がり、それを最小限にすることに成功したからこそ、大量生産を可能にし、高度成長期を迎えました。しかし、このことが原因で日本の建物が短命に潰されてしまう。スクラップ&ビルドの時代を迎えることになったのではないでしょうか。

ハチセでは、時代と環境に訴えかけていこうとする一つの具体的な試みとして、「リ・ストック住宅」という住宅を提案しています。「リ・ストック住宅」とは何たるか?という6つの基準(※1)はあるものの、その具体的な内容は流動的で、みなさんの意見を頂きながら、日々進化させていきたいと考えています。
新築・改装問わず、私たちがこれからのテーマとして掲げているのが「経年美」という未来に向かう美しさの追求で、これは、バブルの時代には忘れられていた考え方ではないでしょうか。

さて、話をしょうざん光悦芸術村に戻しますと、その敷地は果てしなく、今も歴史的な伝統の背景と自然美にかこまれ、四季折々の彩りを楽しめます。
峰玉亭の他に玉庵(ぎょくあん ※2)、酒樽茶室(さかだるちゃしつ ※3)、茶花園を見学させて頂きました。茶花園内に据えられていた自動販売機の450円という価格表示に驚きましたが、伊賀焼のカップで頂き、カップは持ち帰ることのできるシステムになっていました。あらゆるサービスの集合体としての位置づけを持つこの地ならではの、一工夫だと、楽しく拝見させて頂きました。
   
※ 1.6つの基準:①物件調査をしっかりした住宅②ハチセ施工による改装を施した住宅③風呂・トイレ・キッチン・洗面の内、少なくとも2ヶ所以上の改装を施した住宅④ライフスタイルに合わせ、間取りを変更した快適・安全・安心住宅
※ 2.玉庵:京都紫野大徳寺10代管長・清涼室歡渓紹忻老師の命名の茶室で、昭和39年に当地へ移築。そで壁をくり抜き、とも待ちをつくり、濡れ縁に肩もたれの瓦を貼るなど、意匠に手を加える。この茶室は現在も使われています。(しょうざん パンフレット引用)
※ 3.酒樽茶室:京都西陣の豪商の山荘にあったものを昭和37年に当地へ移す。かつては実際に酒樽として使用されていたものであり、茶室になってからも粋人は霧吹きで樽に酒をしみこませて香りを楽しみつつ茶事を催しました。北庭園内にふたつ据えられております。(しょうざん パンフレット引用)

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