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インテリアコーディネーターのブログ。
住まいのこと。インテリアのこと。仕事のこと。子どものこと。。。

8月30日 デザインの価値

2005-08-30 | インテリア/建築
人によって価値観は様々なので、ある人にとっては「高い」と感じるものもまた別の人にとっては「安い」と感じる場合もあります。
それは、単純に価値観の違いだから、どちらがどうとは言えません。
ただ、自分の本当に気にいったものにかけるお金なら、私はあまり惜しいと思いません。むしろそれが、自分の心を豊かにし、ほんの少し幸せになれる瞬間だと思います。

先日の KMEW HOUSING SEMINARは、ホテル日航大阪の5Fの1室で開催されました。14:00~16:00までの2時間の講習を終え、会社へと急ごうとエレベーターへ・・・。

330人の参加者でいっぱいになったエレベーターホールをしばらく眺めた後、エスカレーターで降りることにしました。

ロビーへ近づくにつれてコーヒーの豊かな香りに包まれ、良い感じに疲れた脳が余計にその香る方向へと流されます。
「たぶん、あのコーヒー、高いんやろうなぁ」「一杯1,000円ってとこやなぁ」「飲みたいよなぁ」「ちょっと休憩したいよなぁ」なんて言葉を交わしながら、後ろ髪を思いっきり引かれながらも、帰路に赴いたのでした。
 
 その日、会社に帰った私が一番にしたことは、お客様用の一番エレガントなカップでコーヒーを飲むことでした。

「一杯1,000円」だから余計と美味しく感じるというか、これが200円だったらきっとその満足感は得られなくて。日常でなくて「特別」な感じがよりその価値を高めているような気がしてなりません。

 先日、ユニオンさんから総合カタログが届きました。
実は、6月2日に訪れた「建材フェア」でユニオンさんの商品を目にし、そこで初めて知り、カタログ請求をしていたものです。

ドアハンドルを中心とした商品展開は個性的で美しいデザインです。カタログを見ているだけでも十分幸せな気持ちになれます。
ただ、値段を見るとちょっと驚きます。ハチセ的な感覚で商品を眺めると「0」が1つ多いというようなところでしょうか。

カタログをパラパラ~っとめくって、「おっ!!!」とそのデザインの美しさに目を留めると「250,000円」という表示。上がったテンションが急激に冷やされるというUP-DOWNの感情に少々疲れながらも、カタログのページをめくることは楽しい作業です。

一般的な住宅として捉えているからこんな風にその価格に打ちのめされてしまいますが、店舗や施設向けの商品ですから、頭の中のスケールを少し大きくしてやれば、それほど驚くところではないのかも知れません。ホームページから施工例を見ると、高島屋京都店や有名ホテルの他、私の母校である関西外大もありました。みなさんも普段の生活の中で目にされていることと思います。

    
施工例1:高島屋京都店         
施工例2:関西外大            
施工例3:ハービスエント

次に目を惹くのがCLOSETです。

収納を見せるインテリアに変える、機能美と洗練のフォルム。

“隠す”という概念は過去のものとなり、いかに空間を有効利用し、そして美しいインテリアとしての存在感を持つか。現代に与えられた収納の課題をクリアするユニオン<クロセット>。壁面との一体化、あるいは間仕切りやドアの機能を果たしながら、フレキシブルにスペースに対応するデザインは、暮らしの中で人、空間、モノを心地よく共存させるメディア。室内美と機能的空間を追及する時代の、新しい定番とも言えるアイテム。(カタログより抜粋)



まさに、上の内容に集約されているデザインの数々です。
私も使ってみたい商品がたくさんあります。(また、大工さんたちに嫌がられるだろうなぁ。)と考えながらも、なんとか利用する方法を密かに企んでいます。

文章や数点の写真だけでは、商品の良さがなかなか表現できません。ご興味のある方はぜひ、カタログをご覧下さい。

8月29日 MARC CHAGALL

2005-08-29 | 美術館・展覧会
    
(パリ オペラ座の天井画 2004年12月撮影)

昨日は「愛のシャガール展」(美術館「えき」KYOTO  京都駅ビル内  10月2日まで開催中)に行ってきました。
展示は、油彩、水彩など約15点、版画、ポスターなどを合わせた約140点で構成されています。
専門的なことはわかりませんが、シャガールの絵が大好きで、近くで開催される時は必ず観に出掛けています。絵をみている。というより、色をみている。という方が私にとっては正しい表現かもしれません。

青、緑、赤、黄の使い方の鮮やかさに何度みても飽きないものです。
美術館は、特に惹かれる絵に出会わない限り、さら~っとスルーしてしまうのが私の日常です。「目を惹く」といっても、どういうところがどう素晴らしいのかを説明できるだけの絵心はありません。ただなんとなく…なんとなく好きになります。

今回の展示の中で私が一番好きな絵が「アネモネ」という作品。赤と青と黄の独特のバランスが何とも美しい作品でした。
また、今回の展示にはありませんでしたが、これまでに知っている中で一番好きな絵が「窓から見たパリ(ここでは、「開かれた窓」というタイトルになっていました)」という作品です。


窓から見たパリ

たまたま、美術館を出た通路でその複製画の予約販売会が行なわれていたので購入することにしました。受注生産ということで、私の手元に届くのは約1ヵ月後になるそうですが、どう考えても部屋の広さに不釣り合いな大きな絵をどこに飾ろうか。と今から楽しみで仕方ありません。


マルク・シャガールは、1887年ロシア系ユダヤ人として生まれ、長い間放浪生活を強いられてきました。

19歳で地元の画家のアトリエに通い始め、翌年にはわずかな所持金を手に、サンクトペテルブルクに上京。王立美術館に入学します。しかし、古典に終始する教育はシャガールを幻滅させ、翌年には、パリ画壇に精通した舞台美術家バクストの学校に移ります。
そこで初めて、モネやゴッホなどパリの近代画家の作品に触れ、次第にパリへの憧れを強めます。

パリに旅立ってから、4年後に帰国し、1915年28歳でベラと結婚。あふれる幸福感を「誕生日」という作品で表現しました。
二人でパリへ行こう---。
しかし第一次世界大戦が勃発。出国は許されませんでした。
さらに、戦争の混乱の中で起こった1917年のロシア革命が彼を苦しめました。

1918年に大戦は終結しますが、混乱を極めるロシア国内の社会状況と、芸術への無理解から、4年後の1923年妻ベラと娘イダと共にフランス亡命を決意します。

1930年代には、シャガールの評価はピカソやマティスと並ぶほどになっていました。しかし、1933年、ナチス・ドイツがユダヤ人の絵であるという理由で、マンハイム美術館所蔵のシャガールの作品を全て燃やしてしまったのです。

1939年には第二次世界大戦が勃発。ナチス軍の侵攻とユダヤ人への迫害は、周辺国に広がっていきました。シャガールは南仏のゴルドへ逃れ、パリ陥落後にはアメリカへの亡命を決意します。(54歳)彼は大西洋を渡って再び放浪の旅に出なければなりませんでした。

1944年8月、ニューヨーク近郊の別荘に滞在していたシャガールとベラはラジオから流れるパリ開放のパリ開放のニュースに歓喜の声をあげました。しかし、ベラが伝染病にかかり、わずが数日後、49歳で他界。その後9ヶ月間、彼は絵筆を握ることはありませんでした。

翌年、58歳のシャガールは、亡き妻に捧げる大作「華燭」「彼女をめぐって」を完成。

1948年61歳でついにフランスに帰国したシャガールは、パリ近郊のオルジュヴァルを経て1950年には南仏の町ヴァンスへ。そして最晩年は、ヴァンスの隣村サンポール・ド・ヴァンスに居を構えます。
南仏の自然に魅了されたシャガールは、この地でリトグラフや陶芸など新しい分野に果敢に挑戦していきます。

1952年65歳でロシア人女性ヴァヴァと再婚。
安らぎを取り戻した彼は3年後、「聖書のメッセージ」の連作に着手。欧米各国の教会のステンドグラスの製作にも心血を注ぎました。

1973年、ニースに誕生したシャガール美術館は、南仏で輝きを増した彼の芸術の集大成とも言えるものでした。

1985年、シャガールは、33年間連れ添ったヴァヴァに看取られ、サンポール・ド・ヴァンスの自宅で97歳の生涯を閉じました。2度の大戦、革命、迫害などを経験しながらも、二人の妻と愛を紡いだシャガール。
「色彩の魔術師」とも評されるシャガールが生涯を通じて絵画制作の拠り所としたのは、「愛」「故郷」「聖書」の3つのテーマでした。
(参考文献:講談社 週間世界の美術館  シャガール美術館 2000年9月12日発行)

8月26日 住宅外観コーディネート

2005-08-26 | イベントレポート
KMEW HOUSING SEMINAR に行ってきました。
今回は、「ポストシンプルモダンとは」というテーマで外観デザインの動向についてのお話でした。

講師は、株式会社アレス建築設計事務所の井上要先生で、クボタ松下外装さんからセミナーのご案内を頂いた折には、先入観から男性の設計士さんだと思っていましたが、壇上に上がられたのが女性で少し驚きました。

そういえば、ここ最近のセミナーで講師として登場される方が女性だというケースが多くなったように思います。

先生は、すごく個性的なファッションでそれだけでもすごい存在感でしたが、恐らく私とはだいぶ歳が離れているハズなのですが、感覚がすごく新しくて、あつかましいですが、おそらく良く似た部分でインテリアやデザインに感銘を受けられるのではないか。と嬉しくなりました。そういう人を見ると今は、私自身が素直な感性でものを見れば、若い感覚として捉えられて当然ですが、これから歳を重ねるにつれて、感覚の巾を拡げていきたい。という気持ちを強めます。

さて、本題のデザインについてですが、その内容は以前に投稿した「私の流行論」と少し重なるところがあります。

流行の出所は、海外であったり、雑誌であったり、誰かが意図的に発信します。その動きに気づき、良いと思った人がそれを真似て流行を拡げます。
大体10%の人たちが認め始めた頃に流行の種から芽が出、80%の人たちが注目し始めた頃が流行のピークになります。ピークを迎えた流行は、やがて廃れまた10%の時期を迎えるようです。

現在の流行の中心にあるのは「シンプルモダン」です。
箱型のシンプルなすっきりしたかたちの外観・片流れのシャープな屋根の形状やパラペット状に立ち上げた壁、金属サイディングを利用した外壁・・・などなど。確かに最近良く見かけます。

現在は、この流れを中心に「スタイリッシュモダン」「南欧モダン」「グリークモダン(スパニッシュ風)」「和モダン」という風に「モダン」を基盤にしながら「和風」であったり「南欧風」であったり住まい手や施工者のコンセプトに合わせてデザインのイメージに変化をつけているような感じです。

次の流れは、「ほっとするどこか懐かしいモダニズム」というのが井上先生の見解でした。イメージを言葉にすると「ナチュラルモダン」に始まり「アジアモダン」→「北欧モダン」と続き「ドラマチックモダン」へと流れていくのでは?というものでした。

確かに、「アジア」や「北欧」は、私も注目したいデザインイメージです。「食」では「アジアンフード」が大流行していますし、エステやホテルのイメージに「バリ」に代表されるようなリゾート感覚のインテリアが取り入れられています。
「北欧」の流れは、インテリア雑誌からも良く見受けられます。京都にも「アクタス」が登場しましたが、アクタスの家具に注目が集まるのも「ヤコブセン」や「イームズ」などの20世紀モダンであるデザイナーズ家具の影響のようです。

そして「ドラマチックモダン」・・・。
ここへの挑戦は、少し勇気がいるところのように感じました。
私は、今現在の段階で、ここを提案して受け入れてもらえるかどうかと考えると少し不安を感じます。
「ドラマチックモダン」とは一言で言うと「ミスマッチの組み合わせ」です。
具体的にはトーヨーキッチンのヘアステンレスのスーパーモダンのキッチンとジョージ・アンやロココ調の家具やシャンデリアといったクラシカルなインテリアとのコラボレーション。
確かに、その空間をイメージするとそれはそれで美しい空間だと感じました。

この現象。実はファッション業界ではスデに一般的になっていて、私もそういえばそれに近いファッションえおすることもあります。
「ユーズド系」のジーパンと「シルクやシフォン系」などの上質なトップスの組み合わせ。なんとなく当たり前に良いと思ってしているファッションが、その構成について紐解くと「ミスマッチ」の美であることに気づきます。

更に先生は、これからの時代は「万人受けする住宅は売れ残る」と言われていました。
きっと、何にとってもそうなのでしょう。「流行」は絶えず存在し続けますが、最近の世の中は個性が強く出る時代になってきたように思います。

では、ハチセの住宅がどこを追いかけているのか?
そのことについて考えてみました。

流行の芽・種を捜していた時代



流行しているものを追う時代
もまれて定着しているものを拾う時代

恐らく今現在は、今の流行に従って進んでいるような気がします。

実は、2001年頃から急激な勢いで流行の芽を捜した時代がありました。現在流行のピークに存在する「スタイリッシュモダン系」の建物「和モダン系」の建物をたくさん提案した時代です。
その頃は、少し前を走り過ぎてしまい、プロ受けはするものの万人受けせず、思うように販売に繋がらなかったような印象が残ります。その反省を生かし、少しデザインの提案の歩みをスローダウンさせたのですが・・・。

2005年を迎え、年数にして、たった4年かも知れませんが、住宅をとりまく背景は大きく変化しているように感じます。スタイルの取り入れ方についてどの部分を提案していくのか。じっくり考える必要がありそうです。

8月24日 高校野球

2005-08-24 | ひとりごと
人生の大半を野球と共に過ごしている父と甲子園球場にほど近い場所で育ち、阪神タイガースの応援団長をしていた父を持つ母との間に生まれた私は、当然、幼い頃から野球好きだ。
女の子として生まれ、弟のいる私に、両親が野球をさせようという思いは全くなかったようで、私自身も、男の子に混ざってプレイヤーとして野球をしようとは思わなかった。というわけで、もっぱら見るのが専門である。

特に夏の甲子園が大好きで、どのチームを応援するというわけでなく、全ての選手に対して、親のような気持ちで見てしまう。だから、目頭が熱くなったり、選手と一緒にテレビの前で泣いてたり、客観的に見たら、かなり気持ち悪いことになっていると思う。

今年は、57年振りの2連覇で駒沢苫小牧が優勝したが、本当に良いチームだと思った。決勝戦まで一度もエラーがなかった精神力とか、それでも決勝戦の独特の雰囲気にエラーが出てしまったこととか。決勝戦は録画していたので、帰宅後に全てを見ることができたが、1回ごとにすごいドラマがあって、ここでこうして戦えるまでにどれほどの練習を積んできたのかという背景までも勝手に想像して感動していた。

ところが、暴力事件?とか何とかで優勝旗の返還だとか、センバツ大会出場辞退だとか、大人の勝手な都合で意味のわからないことで騒がれているのがかわいそうで仕方がない。
部長が選手に暴力を振るった???
そんなことは、大人の間で解決してもらいたいと思うのは私だけだろうか?
被害者であるハズの生徒が、大人の不祥事の責任を負わなければいけないのはおかしいと思う。

大体、教師が生徒に暴力を振るうこと。体育会系のクラブに属した人なら大抵が経験してるのではないだろうか。
私も、中学時代はバスケットボール部、高校時代はハンドボール部に所属していた。
高校時代の顧問は、今でも深く尊敬している恩師だが、中学時代の顧問にはキツイ「しごき」を受けてきた。平手でたたかれることなんて日常だったし、どこから用意してきたのか、バットを持って現れることだってあった。
シュートを打った瞬間、落ちてきた前髪をかきあげた姿が気に入らなかったらしく、しばらく練習に参加させてもらえないこともあった。
私だけじゃなく、部員の大半が経験していたことだし、部員全員並べられてたたかれたこともあった。他の学校に合同練習やら練習試合やらで訪れることもあったが、どこの顧問も似たようなものだった。

最近は、何でもがクリアにされて、何でもが大事件になって取り上げられる。傷付いているのは子どもの方なのに、大人の体裁のために解決しようとしているように見えて仕方がない。

暴力を肯定する訳ではないし、私自身、親から一度も手を上げられずに育ってきたから、私もいつか親になれば、そういう育て方をしたいと思っている。でも、手を上げることが必ずしも「悪」だとは思わない。
要は、その裏にある部分に相手に対する愛情があるかどうかということではないだろうか?

指導者という立場ならば、「愛」を持てなければ絶対に手を上げてはいけないと思う。生徒との間に強い信頼関係が築かれていないときは、そこに「愛」があったとしてもそれは「暴力」でしかない。そのことをしっかり認識して頂きたい。

高野連にもたくさんの抗議が寄せられているようだが、生徒のことを一番に考えた、生徒のことだけを考えた対応を願いたい。
一野球ファンとしてこれ以上、選手を傷付けることはやめてもらいたい。身体が受けた以上に心が受けた傷は、そう簡単に癒えるものではないと思うから。

8月23日 ひとりごと

2005-08-23 | ひとりごと
先日の京都新聞に、「ブログ」に関する作家さんの手記があった。
その内容は、「書き手の存在が良くわからないブログは、言葉に責任を持てない。書き直すこともできるし、簡単に消去もできてしまう」。というようなものだった。

確かにそうなのかもしれない。「ブログ」と「公開日記」は=(イコール)で結べるようなものだと理解している。
コンピューターは嫌いだが、文章を書くのはどちらかというと好きな方だと思う。ブログを通して、思っていることや考えていることをわかりやすく表現する訓練にもなるだろうし、日に日にスピードアップしていけると考えていた。
仕事の内容は、ありがたいことに毎日違う。日報をつける気分で書くのも、自分の仕事の取り組み方の無駄が見えて効率も上がると考えた。

ところが、だんだんだんだん苦しくなってきた。
ここを訪れてくれている大半の人が私のことを知っていて、私と何らかの関わりのあるひとたちだ。中には、会社や仕事を通じてお付き合いさせて頂いているひとたちもいる。
内容を公開する反対側の画面に、私の一面を知る人がいるかと思うと、ついつい格好をつけてしまったり、優等生的な文章になってしまう。これでは、なかなか続けていけない。

というわけで、これからは「インテリア」とは全く関係のないことも含めて、日々の生活の中で気付いたことを、私の感覚のまま、きままに書いていくことにしようと思う。

「ブログ」を始めるきっかけは、「リ・ストックレディース」の企画書を提出した時のことだったと思う。市場調査のために行ったアンケート調査で苦労したため、「ネットを通じて、気軽に意見交換できる場を作ればどうか?」という社長の提案に素直(?)に従った。
だから、「インテリア」を中心とした内容をお届けしたい。という気持ちに変わりはない。
そこで、カテゴリー分けして「ひとりごと」とすることにした。
区別を付ける意味でも文章構成を「です。ます。調」をやめようと思う。(その方が書きやすいから。という噂もあるけれど・・・笑 )

できれば、「ひとりごと」のときは、さらっと読み流してください。そして、お仕事をさせて頂いている時のイメージと随分違うような気がしたとしても、これまで通り仲良くしてやってください。どうかどうかよろしくお願い致します。

8月22日 浴室用塗料

2005-08-22 | インテリア/建築
8月の初め頃だったでしょうか。ある改装現場を訪問したときのことでした。
その現場はとにかく、ペンキが多用されていました。壁・天井、階段手すり、枠回り、敷居に至るまで全て真っ白でした。

確かにキレイになっているけれど、そのあまりの白さに少し目がチカチカする感覚と、敷居まで塗られたペンキのせいで、開け辛くなった引戸に唖然としました。
「ちょっと、やり過ぎましたね」。なんて会話を交わしながら、お風呂を覗くと・・・。これまた、真っ白なんです。
床も壁も天井も。
(え・・・。まさか、こんなところまでペンキで仕上げちゃった?
これでこの浴室は、大丈夫なのだろうか。と心配しつつも他人事で無責任な感情でそれ程深く気に留めず、その場を後にしました。

それからしばらくして、新しい物件の打合せに現場へ赴いたときことでした。

「じゃあ、浴室は例の塗装で!」と指示する営業の要求に、一瞬言葉を失いました。
それはあまりにタイムリーな出来事で、予期していないタイミングでの嬉しいハプニングというか、とてもテンションが上がった一幕でした。
例えるなら、ふと足元を見たら、そこに四葉のクローバーが生えていた。というような、感じでしょうか。
いえ、もっというなら、拾った馬券が当たり馬券だった。というくらい私にとっては嬉しいものでした。

どうやら、浴室専用の塗料が現在ではあるようです。恥ずかしながら、その時まで全く知りませんでした。

ハチセが改装する築20年以上経過した物件の浴室は、大抵、在来式のタイルの床と壁に、ホーロー又はステンレスの浴槽が設置されています。
予算のある時、又は大改装を施す時は、ユニットバスに入れ替えます。
予算の無い時、施工上不可能な時などは、タイルを張替え、浴槽を入れ替えて対応してきました。

ですから、私の改装の選択肢の中に全く存在していなかった「浴室塗装」という方法があるということを知ることは、本当に嬉しい出来事でした。

私が資料を頂いたのは、熱研化学工業株式会社の「バストップ」という商品で、浴室のリメイクに適した二液性の特殊塗料です。
①洗浄 → ②水洗い → ③乾燥 → ④マスキング →⑤シンナー拭き →⑥研磨・目粗し ⑦シンナー拭き
の塗布前処理をした上で、低圧スプレーガンを使用して塗料を塗布します。
その耐久性は、10年程度問題ないというのですから、優れものです。



何をするにしても、結局は、「知っている」か「知らないか」なんですよね。
世の中の全てのことを知ることなんて絶対不可能だけれど、家をつくる過程の中で必要な情報をひとつひとつ集めていくことは、本当に楽しくて。
これが、これから自分の家を持とう。とする人の役に立つことができれば、何よりも幸せなことです。

8月19日 栗東の住宅

2005-08-19 | インテリア/建築
14日(日)から18日(木)までの5日間お休みを頂いておりました。

今日は、久しぶりの仕事です。
そして久しぶりのブログです。

お盆明けの第1日目が金曜日ということもあって、明日、明後日のオープンハウスのため、会社内もその準備に追われています。
私も、明日のオープンハウスに備えて、栗東の現場の仕上げをしに行って来ました。
  

この現場を初めて見たとき、ぼんやりしたイメージが出来上がりました。
ちょっとした坪庭風の空間です。休みの間に買って来た素焼きのフロアライトと白玉石・ハチセのトイレの床に使用したタイルの余りを利用しました。200角タイルを4枚並べた部分には、お花を飾ってもらうことを想定しています。
タイルは、固定していないので、お好みに合わせて移動することも可能ですし、景石や、灯篭、小型版のつくばい等を置いてみるのも良いかもしれません。

予算があるので、私の方では最低限度のことしかできませんが、生活上、支障のあるスペースではありませんし、玄関の扉を開けたときに、一番に目に入る場所なので、ご購入頂いたお客様は楽しんで頂けると思います。

本物件は、明日8月20日(土)・21日(日)の2日間、福屋工務店南草津店さんにオープンハウスをして頂きます。詳しくはそちらへお問い合わせ下さい。

また、壬生御所ノ内町のリ・ストックモデルハウスのプレ・オープンが開催されます。
明日・明後日は、完全予約制となりますので、事前予約が必要ですが、来週のグランドオープンには、予約なしでご覧頂けます。ぜひ、一度お立ち寄りください。

8月12日 インテリアの値段

2005-08-12 | インテリア/建築
忘れられがちですが、家を購入してからのインテリアにも費用がかかります。

あまり積極的に提案できてはいませんが、お施主様のご要望によっては、ウィンドートリートメント(カーテン)の提案をさせて頂いています。
ある程度のイメージをお聞きした上で、イメージボードなどを作成しておりますが、とても喜んで頂ける提案の一つです。
私もそうですが、女性にとって、ファブリックを見たり触ったりして、自分がこれから住む家の最終的な仕上げ。ヒトでいうところのお化粧でしょうか。これが一番といってもいいくらい楽しい部分です。

それまで、あくまでハードな部分であった「家」という箱も、窓まわりをコーディネートしてやることで、一味も二味もステキな空間になります。

けれど、お見積書をお見せしたあたりから、だんだんとテンションが下がっていかれるのを感じ・・・。結局諦められる。といったことが多々あります。

もちろん、価値観の違いですから(カーテンにそんなにお金はかけられないわ)というお考えがあるのも当然です。
今は、インターネットを通じて何でも安く購入できる時代になりました。ニ○リさんに代表されるような家具屋さんなど少し車を走らせれば、比較的安価で購入することもできます。その商品が悪い。というわけでは決してありません。
しかし、単なる価格の違いだけではない。ということをぜひ、知って頂きたいのです。

全てをオーダーにしなくても良いと思います。「ここぞ」という場所に少しお金を掛けてみてください。窓に合わせてしっかり縫製されたものは、やっぱり違います。ドレープの雰囲気・生地の継ぎ目の取り方など、とてもキレイで、私はそれを毎日眺めるだけでも、ほんの少し幸せな気分になれたりします。
よく、「外食を月に1度我慢してみてください」。という話をしますが、大体家族で食事に出掛けると1万円位の出費があるでしょう。1年で12万円です。3年経てば、元は取れます。

ちなみに我が家のカーテンは15年経った今も、色褪せることなくキレイなドレープを表現してるんですよ。

ところで、実際にかかる費用ですが、どれくらいの予算を事前にご用意して頂ければ良いのでしょうか。

カーテンと一口に言っても、生地やスタイルによって価格も随分違います。レースとドレープの二重掛けの他に、ロールスクリーンやブラインドといった「メカもの」と呼ばれる商品もたくさんの種類があります。
最近では木製のブラインドや和紙などを用いたプリーツスクリーンと呼ばれるもの。竹などを利用した経木すだれなど、窓のかたちや部屋の用途に合わせてたくさんのコーディネートが楽しめます。

カーテンが30万円程度。メカもので10万円程度が平均の購入額です。

その他の平均購入額は以下の通りです。
ソファ=17.3万円
ダイニングセット=17.2万円
カーペット・アクセントラグ・絨毯など=15万円
ベッド=18.9万円
冷蔵庫=14.7万円
洗濯機=10.2万円
園芸用品=5.7万円

ここまでの合計が、139万円(All About 住宅設備情報参照)

さらにここからは、私の概算によるものですが参考までに。

エアコン=32万円(リビング用10万円 6帖用5.5万円×4部屋)
大型テレビやワイドテレビ=30.5万円
FAX機能付き電話=2.5万円
表札=1.5万円~3万円
ポスト=1.5万円~5万円
スリッパ10足=1万円
ゴミ箱・時計他

おおよその合計80万円

つまり、家を購入してからインテリア(一部エクステリア)にかかる費用として200万円程度の予算が必要だということになります。
家を購入する際には、どうしても建物本体の費用ばかりを考えがちだと思います。しかし、生活をしていくにはその他の部分にもこれだけの費用がかかることがわかります。

我が家の場合は何を購入するのか。どのくらいの予算が必要なのか。できれば事前にチェックして本体以外にかかる費用を計画しておかれると、後から決めるもの、購入するものにしわ寄せがくることはなく、住まい全体として自分にあった空間をつくることができるハズです。

8月11日 可視光線

2005-08-11 | インテリア/建築
ご存知ですか?
人間の可視光線とムシの可視光線の範囲の違い。

光とは、電磁波(粒子)のことを言います。その電磁波のうち、人間の目で見える波長のものを特に可視光線と言い、JISZ8120の定義によると、可視光線に相当する電磁波の波長は380~780nm(ナノメートル)です。

太陽光をプリズムを通して見える虹の7色の連続的な移り変わりをスペクトルと呼び、波長の長い側から順に、

 →  →  →  →  →  →  

と並びます。
また、555nmに位置する黄緑が一番明るく感じるといわれています。

このことから応用して考えてみると、普段色味を感じていない太陽光は、実はこれら7色の波長を持っていることがわかります。

たとえば、海がなぜ青く見えるのか?
それは、太陽光の7色の波長の内、青の波長を反射し、その他の波長を吸収します。ですから、私たちの目には、海が青く映るのです。

この可視光線の外にある波長域の短いものが紫外線。長いものが赤外線です。

さて、前置きが長くなりましたが、この可視光線の範囲の違いに着目して開発された

松下電工 低誘虫照明器具 ムシベールを紹介します。

照明器具のカバーの中に虫がたくさん落ちている。そんな経験ありませんか?
私は、その被害者の一人なのですが、ベットから照明を見上げると、照明のアクリルカバーから透けて見える不愉快な黒い点々・・・。

照明器具の掃除をしようと、椅子の上に乗って背伸びをしてカバーをはずすと、うっかりムシたちの屍骸が降ってきます。(思い出しただけでも気持ちが悪い・・・

ムシは、人間が青みを感じる波長域から人間の目には見えない紫外線を感じて寄ってきます。単純に光のあるところに寄ってきているわけではないんですね。
ムシベールは、人の目には自然に感じ、ムシを寄せ付けない波長を研究し、410nmまでの波長域をカットされたそうです。
一般蛍光灯の380nm以下の波長をカットした蛍光灯も開発されているようですが、この照明器具は更に30nm長い波長域まで拡げ、その方法はアクリルカバーで行っています。

特殊な紫外線吸収剤を、アクリル樹脂に練り込まれているので、ランプ交換時に専用ランプを購入するというわずらわしさがありません。
さらに、カバーの隙間をできるだけ少なくする密閉パッキン構造を採用。ムシの進入をほとんど防止してくれます。

生活する中で、(こうなったらいいのになぁ)とか(こんなことで困ってるんだけれどなぁ)って感じること。(こんなものかなぁ?)なんて諦めてませんか?

些細な疑問や意見が意外と商品に反映しています。
どのメーカーさんも、そういった意見に対する反応がとっても早い!!!
暮らしの中でお気付きになられることがあれば、どんどんコメントお寄せ下さい。メーカーの方々へ消費者の意見として伝えさせて頂きます。
私も、ほんとうに細かいことまで、要望を伝えたりしてます。もちろん、私が口に出す頃には、他の方からも意見が出ていたり、とっくに開発が進んでいることがほとんどですが

8月8日 モデルハウスを見てきました。

2005-08-08 | インテリア/建築
ハチセ50周年特別企画 リ・ストック住宅京町家 モデルハウスが先週8月6日(土)完成しました。



そもそも「リ・ストック住宅京町家」というのは、京都の昔ながらの「京町家」とは少し違います。
リ・ストック住宅京町家は、京町家に代表されるディテールなどを残しつつ、内部では現代のライフスタイルを考慮した仕様とし、町家の生活を快適に楽しめる空間にしたものです。

いま、ハチセが目指しているのは、単なる住宅としてのハードの提案だけに留まらず「住まい方」「暮らし方」というソフト面からも提案です。

たとえば・・・
自分サイズの家に仕上げて行く。
 →家の小修理や障子の貼替えなど自分でできる手入れを行ってみる。
  季節に合わせた建具の交換(障子・襖 ⇔ 簾・簾戸)

自然と仲良く暮らす。
 →できるだけエアコンに頼らない暮らし。

SLOW LIFE
 →炭火を囲んだ家族団欒の時間。
 
今朝、このモデルハウスを見学してきました。
解体直後くらいに、一度覗いたきりで、図面や仕様書にもほとんど目を通さないまま、今日を迎えました。

ハチセが取り組んだ事業とはいえ、私とは全く関わりのないところで完成した家。

色彩感覚やインテリアの使い方など、私には全くない感覚で仕上げられており、勉強になりました。物件に合わせながら、提案の仕方や色の使い方、インテリアの選び方は、変えているつもりですが、知らず知らずの内に「私の色」が出てしまっているようです。

「リ・ストック住宅京町家」
ある意味、未完成の家です。

私は、新築にしても商品として販売する「リ・ストック住宅」にしても、完成形をつくるべきではないと考えていますし、完成形をつくることは不可能だと思っています。
家は、住む人が少しずつ手を加えて、自分なりのものにつくり上げていくものだと思います。
例えるなら、完成して販売される家は、生まれたばかりの赤ちゃんのようなものです。確かにまっさらで美しいけれど、不完全で、未完成なものです。人が歳月を経て成長するように、家も人とともに、そこで暮らす人に合わせてかたちを変えていって欲しいと思います。

8月6日 peace

2005-08-06 | ひとりごと
1945年8月6日午前8時15分、そう。ちょうど60年前の今日、広島に原爆が投下されました。

インテリアとも住宅とも、直接関係のないことのようですが、忘れてはいけないことだと思うので、今日のテーマに選びました。

私が小学生の頃は、毎年、8月6日(8月9日 長崎に原爆が投下された日 だったかも知れませんが)が夏休みの間の登校日でした。
久しぶりに登校し、戦争をテーマにした映画を見たり、担任の先生に絵本を読んでもらったりしたものです。
しかし、私の4つ下の弟が小学校に通う頃には、登校日も自然となくなりました。

そんな私も戦争について、あまり深くは知りません。
ただ、昨日の晩、3歳になる姪と遊んでいる後ろで父が見ていたスペシャル番組のある場面に目がとまりました。

それは、原爆の開発に携わったアメリカの研究者と、被爆者である日本人との対談の中の一コマで、
「原爆により亡くなった人に対する謝罪の言葉が欲しい」。という訴えに対する研究者の答えでした。

真珠湾攻撃(※1)をした日本が悪い。私は謝らない」。

これまで、原爆や核兵器の恐ろしさや戦争の悲惨さは目にしたり、聞いたりしてきました。どちらかというとどれも被害者的なもので、真珠湾攻撃により太平洋戦争が勃発したこととが私の中では繋がってなかったことに気付きました。


1945年8月5日 12:00
 日本がポツダム宣言(※2)を拒否したことによりアメリカが原爆投下準備。

1945年8月5日 18:00
 原子爆弾「リトルボーイ」はB-29「エノラゲイ号」に搭載発進準備完了。

1945年8月6日 6:00
 気象条件等に投下場所を広島に確定。

1945年8月6日 8:15
 約1.4秒の閃光時間に地表温度は鉄の溶解温度を遥かに越える4000℃に達した。

原子爆弾による死者数は,約114,000人(1945年12月まで)と推測されます。95%の死亡者は,爆心地より2キロ以内で被爆した人々です。(軍人及び朝鮮半島から強制的に連行され広島で作業していた人々が4万人以上いたとされ,そのうち約2万人が死亡されたと推定されていますが,これらの死亡者数はいずれも記録が乏しく,実態が不明なので,約11.4万人の死亡者数の中には含まれていません。 )

原爆放射線による早期死亡は,被爆4か月以内に発生しましたが,白血病は被爆2年後より増加がはじまり,6~7年後にピークに達してから,25年後以降は平常値に戻ったようにみえます。固型がんは5~10年後より増加がはじまり,なおそれが続いています。最近,がん以外の疾患の増加が比較的高線量の被爆者群に認められています。

原爆投下直後の健康問題は,火傷でありました。命を取り止めた人々もながらくケロイドに苦しむことになりました。
また,造血機能の破壊による出血や感染も被爆者の命を奪っていきました。

その研究者は、こんなことも言っていました。
「戦争は二度と起こしてはいけない。核兵器は使ってはいけない。しかし、この恐ろしい核兵器の投下によって終戦を迎えることができたのだ(個人的な解釈によるため、少し違うかも知れません)。」

このことばを聞いたとき、妙に納得してしまいました。
加害者と被害者が存在するのではなく、「戦争」というもの自体が悪であり、それに関わらなければならなかった全ての人たちが被害者である。というように私は考えます。
今、私も含めてほとんどの人が、近い将来、日本が戦争に巻き込まれることはない。と思っているでしょう。それは、全く他人事として捉えている方もいれば、希望的推測かも知れません。

ただ、平和だからこそ、「住まい」に対してこだわりを持てたり、インテリアを考えたり、デザインしたり、色を選んだり・・・。ということに力を注げるのだと思います。
昨日に少し取り上げた「マズローの欲求段階説」にも通ずるところがありますよね。

この先、二度と同じ過ちが繰り返されないことを祈るばかりです。

(※1)真珠湾攻撃(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき)とは、日本時間1941年12月8日(ハワイ現地時間12月7日)に日本軍がアメリカ合衆国ハワイの真珠湾のアメリカ太平洋艦隊と航空基地に対して行った奇襲攻撃のこと。
この呼称は、アメリカ側の呼称 (Attack on Pearl Harbor) で、当時の日本側呼称は、ハワイ海戦(布哇海戦)。
日本の攻撃は真珠湾よりも先にされたものがあるが、この攻撃により日本と米英間の戦争である太平洋戦争(大東亜戦争)が始まったといってよい。 また第二次世界大戦は、ヨーロッパ・北アフリカのみならずアジア・太平洋を含む地球規模の戦争へと拡大した。

(※2)ポツダム宣言(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
ポツダム宣言(ポツダムせんげん)は、1945年7月26日の「ポツダム会談」において、日本に対して発した十三条から成る降伏勧告の宣言である。宣言を発した各国の名をとって「米、英、華三国宣言」ともいう。1945年8月10日、日本はこの宣言の受け入れを連合国側へ伝達。9月2日、東京湾内に停泊する米戦艦ミズーリの甲板で連合国への降伏文書に調印した。

<参考サイト>
原爆投下の歴史的時間 http://www.urban.ne.jp/home/kibochan/miyakou/cg.htm

原爆ドーム http://www.pref.hiroshima.jp/hiroshima/bunka/html/legacy3.htm

8月5日 眠り

2005-08-05 | ひとりごと
「眠れない」・・・という悩み、よく耳にしますが、私とは全く無縁な話です。どちらかと言うと、睡眠に対する欲求が高すぎて、困るといった方が早いでしょうか。

昨日も、ドラマ「電車男」を見ようとベッドの上に座っていたのですが、どうも身体が言うことをきかず、(ちょっと横になってみようかな~。)(照明を落してみようかな~。)なんてしている内に、来週の予告が流れていて・・・。
1時間のなんて、早いこと。もちろんその予告も、私の耳には全く聞こえず、諦めてTVの電源を落しました。
それから、一度も目覚めることなく、携帯のアラームで朝を迎えます。

最近(というか数年前からほぼ毎日)こんな感じで眠りにつきます。人により必要な睡眠時間は違うようですが、私は最低でも7時間は欲しいですね。

さて、この睡眠に対する欲求。
アメリカの心理学者 アブラハム・マズローによると、人間の欲求は5段階のピラミッドのようになっていて、底辺から始まって、ある段階の欲求が満たされると、次の欲求を求めるようになるという「欲求段階説」と唱えています。

①生理的欲求
 食欲・睡眠欲など生きるうえで必要不可欠な、人間の根源的な欲求。

②安全の欲求
 危機回避や健康維持など自分の身を守りたいという欲求。
 将来的なリスクを考えるのもこの欲求に当てはまります。

③親和の欲求(≒愛情の欲求)
 人から良く思われたい、嫌われたくないなどの集団帰属の欲求。

④自我の欲求
 社会的地位を築きたい、人から認められたいという認知欲求。
 良い車に乗って、ブランド品を身につけたい。などがこれに該当。

⑤自己実現の欲求
 自分の能力、可能性を発揮し、創造的活動や自己の成長を図りたいという自らを為すことへの欲求。

複数の文献から調べたところによると、優秀な人ほど、この欲求の段階を駆け上がるのは早いが、自己実現を果たし自己超越の域に達する人は極めて少ないのだそうです。だいたいの人間は④の自我の欲求止まりらしいです。

果たしてこれが、正しいのか?マズロ-がこの段階説を唱えた当時と、現在では社会背景が違うため、全てが当てはまるかどうかは、疑問が残ります。今日、こうして改めて並べてみると、必ずしもその段階をひとつひとつ上っているとも思えないません。また、私のまわりには、⑤に向かって努力しているひともたくさんおりますし・・・。
ただ、この段階説がおおよその基準になることは確かです。

そこで、話を「眠り」に戻しますと、「ねむたい」という現象。これは欲求の一番底辺にあたる部分なのです。
その欲求が欠如してしまう「眠れない」という現象・・・。
どうやらそれは、「光」と密接な関係があるようです。

“眠気をもよおす働きをするメラトニンのちから”
日中に十分な太陽光を浴びることで脳内のメラトニン量が増加します。そのメラトニンは、夜になって暗くなるころに分泌をはじめ、それにより眠気を感じるようになります。ところが、就寝前にリビングの明るい光の中で過ごすと、メラトニンの分泌が抑えられてしまいます。

眠気に関するメラトニンの分泌を阻害することなく、就寝前に活発にしてやることが快適な睡眠へと繋がります。
つまり、意図的に照明環境を調整してやることが必要です。
眠る2時間くらい前から間接照明やダウンライトなど抑えたあかりにすることが、心地よい眠りへと導いてくれます。

「眠れない」というお悩みのみなさん、ぜひ、一度お試しください。

ところで、眠れてしまい過ぎる私はといいますと・・・。
どうやら、知らず知らずの内にこの作業をしていたようです。

帰宅後、食事や入浴、明日の準備などを終わらせてしまうと、照明を落してしまいます。お客様に提案するときには、間接照明やらダウンライトやら、光のまわりこみを調節しているものの、実際自分が暮らす部屋には、そんな設備一切ありません。
ほっとくつろげる時間。ぴか~!!!っと光る蛍光灯ではかえって疲れてしまいますので、豆球まで照度を落してやることにしています。
これが、私の中のメラトニンを大量に分泌させていたんですね。

ちなみに、数年前までは入浴後、毎晩ハーブティーを飲んでいました。
これをしてしまうと、ほんとに眠たくて、眠る前にしなければならないことが全く手につかなくなって、困ってしまうのでやめましたが・・・。
ハーブティーの種類にもよりますが、リラックス効果の高い飲み物ですのでおすすめです。

参考:松下電工すむすむ通信 http://www.sumu2.com/top/setsubi/2005_8/index.html

8月4日 パークテラス御池

2005-08-04 | インテリア/建築
今日は、現在工事中のパークテラス御池についてお話します。
7月25日より着工している当物件は、昭和61年2月末日に竣工したRC造5階建 総個数83戸のマンションです。

ハチセが購入した物件は、その4Fに位置し、住居専用面積62.84㎡ バルコニー面積10.70㎡ ポーチ面積1.68㎡ 合計75.22㎡の部屋です。(下図間取り反転タイプ)



古いマンションの一般的な間取りで、洗面室や浴室の配管の勾配を確保するため、その空間が一段高くなっており、部屋のあらゆるところに段差がありました。

比較的小さな居室が3室とLDK。
今回は、ZENをコンセプトに、落ち着いたカラースキームと「和」の趣を大切にしながら改装をすすめています。

マンションですので、梁型・排気の方向・給排水の配管・天井高の制限など、解体してからも調整のいるところがあることは珍しくなく、この物件も例に漏れず、計画変更の必要がありました。

①天井に懐がなかったので、ダウンライトが設置できない。
  対処法: 天井を低くする or 直付照明をつかう
  →今回は、直付で対応。

②和室と居間の間をフラットにしようと解体したところ、畳の下に配管が転がっていた。
  →居間の方の床を上げることで対応。

③床を上げることにより、当初使う予定だった防音フロアー(直張り工法)が使えない。
  →防音マットを間に施工することで対応。

④システムキッチンの既製寸法の対応がない。
  →特注サイズ 1500×1800mmで対応。

⑤浴室をゆったりした空間にするため、1616サイズに拡大 → 玄関の間口から商品が入らない
  →マンションリフォーム用ユニットバス 1418サイズに変更。

このような変更は、良くある話で、それほど大した問題ではなく、状況に応じて変更しながら、時にはコンセプトごと変更したりして、完成を迎えます。
やはり、工事をする上でご近所からのクレームに一番気を使います。
今回は、浴室の解体など、解体箇所が多数に及ぶとクレームの数もそれに比例します。この現場は、今のところご近所とのトラブルもなく、解体を終えることができ、一安心です。

そういえば、マンションの改装を担当して、解体の際にクレームのつかなかった物件は、少ないですね。もちろん、できる限りの配慮は考えていますが、自分ひとりで解決できることではなく、相手のあることですから、思い通りには進まないものです。



8月3日 北山杉本仕込

2005-08-03 | イベントレポート
北山杉の磨丸太の製造過程の第一歩である「本仕込法」を見学してきました。


まず、私が運転すれば、早速谷底へ落ちて行きそうな細い山道をマイクロバスでぐんぐん上っていくと、マイナスイオンたっぷりの森林が見えてきました。
8月3日、快晴。照りつける太陽。
虫ギライな私は暑さにも負けず、長袖のパーカーをはおり、いざ!山道へ!!!

登りながらも帰りのことが心配になる急な道のりは、自然とか運動とかからすっかり遠ざかっている私には、新鮮で、アスファルトからの照り返しに比べると、全く心地よい時間でした。

山を登る道中、及び山に登りきり作業を見学している最中、約2時間にわたり説明を聞きましたが、その時間はあっという間で、見るもの、聞くもの全てが自分の中に浸透していくのを感じました。
何しろ、予備知識も何もない状態で聞いた「本仕込」。(???なんか良くわからんけど、早々見れるものじゃなさそうだから、見ておきたい。)いい加減とも取られかねない気持ちで参加したのが、かえってよかったのか、まるでカラカラに乾いたスポンジが水を吸収するように、説明のことばひとつひとつに心がキラキラと潤いました。



北山杉はまず、「枝締法」という工程を冬の内に行います。これは、木の適当と思う枝を残して過剰の枝を払い落し、木の樹液の流動を抑制することを言います。これをすることにより、製品が緻密で光沢や品質も向上するそうです。

この前準備をされた北山杉は、「本仕込法」という工程に移ります。本仕込法とは、磨丸太の製造過程の第一歩で、まず丸太を根元より伐倒し、それに枝葉を着けたまま山で剥皮し、立木に立て掛けて乾燥を行う方法(中源株式会社様より頂いた資料から抜粋)です。
上の写真は、その本仕込の様子を撮影したものですが、(まるでスパイダーマンのよう)な動きの軽やかさで、作業されていました。命綱のない作業は、危険との背中合わせで、これまで何人もの方が命を落されているそうです。

傍から見ていると、いとも簡単に剥皮されていくのですが、実はすごく力のいる作業で、また、非常に表面のやわらかい木を傷付けることなく、木や竹、プラスティックのヘラを使ってめくります。
すると、実に見事な美しい木肌が現れました。

これを7日から10日の間、この山の中で自然乾燥させるそうです。
ですから、その間の天候を見極めて作業を行わなければなりません。これは、職人さんの長年のカンと経験だそうです。

また、この木を山から運び降ろすことが、ご想像のように大変な作業で、職人の皆さんは、自分の身を挺して木に傷がつかないようにされるのだそうです。
親方曰く「人間の身体は、医者に行けば治るが、木に付いた傷は治らない」。のだとか・・・。
この言葉からも、木にかける熱い思いがストレートに伝わってきて、「かっこいい~!!!」と半ばミーハーなテンションで、参加されていた錚錚たる皆さんの中、ひっそりと心の中ではしゃいでおりました。

さて、この北山杉。全てがこの方法で出荷されているわけではなく、ほとんどは、皮がついた状態のまま、山で定尺にカットし、水の圧力を利用して皮を剥ぎ、機械による乾燥を施して出荷されるそうです。
年間出荷数にして、約4000本。本仕込をした北山杉の出荷数は、せいぜい200本だそうです。

製品化された北山杉は、それが本仕込作業によるものか、そうでないものかの見分けをつけることが難しいそうです。
その違いが現れるのは、10年以上が経過した頃だと言われてました。本物は時間が経つと深みを増してくるんですね。

私も北山杉のように、歳を重ねるごとに人間としての深みを増していけるようになりたいものです。

そういえば、床柱に利用するのに適した杉の伐採時期は、30年位までだそうです。
30年を過ぎると、その木肌にシミなどが出てしまうからです。
人のお肌と同じですね。

ということは・・・
私が北山杉なら、今すぐ皮を剥いでもらわないと!!!

-つい先日のお昼休みのひととき-
いつの頃からか、明らかに鏡に映る自分の顔の様子に変化が・・・。
そろそろ「SK-Ⅱ」でも使ってみる? え?! もしかして「ドモホルンリンクル」?

私たち人間は、高いお金をかけて、時にはエステで全身を磨き、あらゆる化粧品を試し化学の力に頼り。なんとか年齢に逆らってみては、日々のストレスに負けて、ふりだしに戻され・・・。

自然界の大きさにくらべて、こんなに些細なことに一喜一憂している自分がなんだか愛おしく思えてしまう今日このごろでした。

8月2日 スポットライトのある空間

2005-08-02 | イベントレポート
少し前の話になりますが、照明器具メーカー、ODELICさんの展示会で、こんな商品に出会いました。

ライティングレール用マルチコントロールシステム
   

この商品に出会ったとき、全ての問題が解決できたようで、とても嬉しくなりました。私は展示会へ参加して、新しい良い商品に出会う度に感動しています。逆に、新商品に対して興味が持てなかったり、感動ができなくなった時が来るとしたら、その時は、この仕事を辞める時だという風にも考えています。

さて、このライティングレール用マルチコントロールシステムですが、これは、私がライティングレールを利用したプランを提案する際に、立ち止まらなければならなかった点をクリアしてくれました。

ライティングレールとは、下図のようにスポットライトの配当レイアウトを自由に選択できるレールのことをいいます。様々なジョインタが揃っており、L形・T形などレールのレイアウトは自由です。スポットライトをレールに取り付ける作業も簡単なため、模様替えにも容易に対応してくれます。



私は、勾配天井の時の補助照明的な使い方として、リビングに配当する提案をすることが主流でした。
というのも、そのレール内に取り付けた全ての照明器具が同じ回路にある為、スイッチ操作で同時点灯・消灯してしまうのです。
 しかし、このマルチライトコントロールシステムを利用すると、リモコンを利用して最大で9つのスポットライトを別々に操作することが可能で、入・切だけでなく調光もできるので大変便利です。

点灯・消灯が壁スイッチの操作となり、シーリングライトのようなプルコードもないので、不向きだと考えていた寝室への設置も十分対応できると思います。

時には、タスク照明(=作業時に必要な手元の照度を確保する照明)であったり、アンビエント照明(=空間を均一の明るさで照らすのではなく、環境を演出する照明)であったり・・・、その時々に応じてどちらにも対応できるのがこの照明システムの強みではないでしょうか。