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近く開かれる日朝の外務省局長級協議では、北朝鮮側が拉致再調査特別委員会の設置について説明する見通しだ。公式には、まだ調査に向けた動き出しの段階にある。政府はどこまで情報をつかんでいるのか。
政府関係者によれば、これまでの極秘交渉で北朝鮮側は、交渉次第で生存している日本人拉致被害者らの帰還がありうることを示唆している模様だ。ただ、北朝鮮側の説明の根拠ははっきりせず、正確な人数の把握や生存確認などの作業はこれからだという。
韓国で起きた北朝鮮によるスパイ事件をみると、最近のスパイ工作の大部分は国家安全保衛部(秘密警察)が担当している。日本側との実質的な交渉を担当する「2代目ミスターX」と言われる人物も同部高官とみられ、日本側は特別委員会に保衛部が加わるよう強く求めている。
北朝鮮に住む全ての日本人を捜す以上、戸籍などを通じて北朝鮮の住民を管理している人民保安部(一般警察)の協力も必要になる。日本側は、特別委に誰が入るかについて、こうした日本側の要望を反映したものになると予測する。
ただ、特別委の名簿を見るだけでは、どこまで北朝鮮の協力が得られるかは判断が難しい。2004年当時、北朝鮮の調査委員会責任者として、日本側 と協議した人民保安部の前身・人民保安省の陳日宝(ジンイルボ)局長について、日本側には全く資料がなく、どこまで権限がある人物か最後まで把握できな かった。
一方、北朝鮮は08年に再調査で合意して以降、水面下で繰り返し、「拉致問題の解決」を訴えており、事実上、再調査に乗り出しているとの見方が根強くあった。「事前に何のカードもなく、交渉に臨む国ではない」(北朝鮮関係筋)との指摘もある。日本政府内でも、再調査は既に終わっているとの声が強い。
北朝鮮は今後、日本の世論が北朝鮮による「調査結果」を受け入れるかどうか、日本がどの程度の情報を持っているかなどを瀬踏みしながら、手持ちの情報を小出しにしてくる可能性がある。
日本政府は、拉致問題対策本部が中心になり、拉致被害者らの生存情報を集めてきた。02年の第1回首脳会談当時、北朝鮮が「死亡した」と説明した日本政府認定の拉致被害者数人が生存しているという情報も確保している。
ただ、そのほとんどは脱北者や北朝鮮と交流がある人間の証言。日本はこの問題で各省庁の「手柄争い」(政府関係者)から、政府内の情報共有が進まず、証言が真実なのかどうかを多角的に検証する作業をほとんどやってこなかった。
拉致は朝鮮労働党の作戦部や社会文化部など複数の秘密工作機関が、それぞれ独立して行った。こうした機関に所属した担当者の証言も調査に必要だ。だが、北朝鮮にとっては、軍事情報やスパイ活動の暴露につながりかねず、十分な協力が得られるかどうかは見通しが立っていない。
■核問題と別扱い、米韓が懸念 日本の国家安保局、機能せず
日本政府は次回の日朝協議を受けて、北朝鮮に対する独自制裁の一部解除を判断する。
菅義偉官房長官は今月8日のテレビ番組で、「今回の制裁の解除もそうですが、ここは人道的な問題、対日本だけで判断できるものだけです。ですから拉致と核というものは分けてやっている」と述べ、拉致問題と核・ミサイル問題を別個に扱う考えを示唆した。
この発言に仰天した韓国政府は、日本の真意を探った。日本の外務省は「核、ミサイルは米韓や国際社会と協力して解決を目指す」という従来の原則を繰り返すにとどまった。
韓国は核・ミサイル問題の解決を強く唱える一方、北朝鮮に多額の外貨を与える開城(ケソン)工業団地の操業を続けており、韓国政府内には拉致問題の解決を優先する日本の姿勢に理解を示す声もある。ただ、今回は「日本独自の制裁は、拉致問題が契機ではなかった」と指摘し、日本の一部制裁解除そのものに反対している。
日本は過去、核問題を巡る6者協議で、拉致問題で進展がないことを理由に、合意した支援の分担を拒否したことがある。だが今は、日朝を除く他の4カ国から「北朝鮮が核実験をしても、日本は交渉を続けるのではないか」(協議筋)との不信の声が上がる。
米国が懸念を深める理由はほかにもある。
北朝鮮による4回目の核実験騒動が起きた4月、複数の日本政府関係者が水面下で米国側に「核実験が起きれば、日朝協議は中断せざるを得ない」と伝えていた。この説明は現在の日本の姿勢と矛盾しかねない。
北朝鮮は金正恩(キムジョンウン)第1書記による大規模建設工事ラッシュ、中朝関係悪化による経済の冷え込みなどで、「外貨不足が甚だしい」(日本政府当局者)とされる。このため、日本政府が唱える「人道支援レベル」の対価でも、北朝鮮が拉致問題の解決に応じる、との見方は政府内にも強い。
ただ、北朝鮮は最近、咸鏡北道豊渓里(ハムギョンブクトプンゲリ)の核実験場で新たな建築物を完工。平安北道東倉里(ピョンアンブクトトンチャンリ)のミサイル発射基地では、北朝鮮が保有する最大規模の弾道ミサイルを発射できるよう、発射台の延伸工事を続行中だ。
たとえ拉致問題が解決しても、早晩、北朝鮮は核実験や弾道ミサイルの発射に踏み切る、というのが日米韓の一致した見方だ。北朝鮮の対話姿勢について、日本政府関係者の一人は「中国などの圧力で当面核実験ができない以上、日本などとの外交を進めておこう、という意図だろう」と語る。
こうした状況の中で、日本政府は対北朝鮮政策の練り直しや調整を巡り、国家安全保障局を中心とした作業に着手できていない。
1月に発足した同局は、外交・安全保障政策の企画立案を担うとされた。だが、安倍晋三首相ら政治家の指示により、同局は集団的自衛権の見直しを巡る国会対策に忙殺されている。拉致問題の情報も外務省に集中し、国家安全保障会議の4大臣会合で戦略を巡る協議ができない状態が続いている。(機動特派員・牧野愛博)