世界記憶遺産:「筑豊の炭鉱文化を発信」喜ぶ地元・田川
上半身裸の男女が寝ながら採炭する様子を描いた「寝掘り」(64年)=田川市石炭・歴史博物館所蔵
福岡県筑豊の炭坑画家、山本作兵衛(1892~1984年)の原画などがユネスコの「世界記憶遺産」(MOW)に国内で初めて登録されることになり、作兵衛の地元・同県田川市は26日、喜びで沸いた。かつて炭鉱の街として栄えた筑豊の住民たちは「日本を支えてきたのは石炭であり、炭鉱」と改めて胸を張った。
98年に作兵衛の記録画を収めた「筑豊炭坑絵物語」を編集した市教委教育総務課の課長補佐、森本弘行さん(52)は「(作兵衛は)後世に残したい一念で絵を描き始めたので、天国でもきっと喜んでいるでしょう」と満面の笑みを見せた。
96年7月から市報で計36回にわたり、作兵衛の作品やエピソードなどを紹介。「作兵衛博士」の異名もある森本さんは「作兵衛さんは筑豊炭鉱隆盛期に生まれ、衰退と同時期にヤマを去った。いわば、筑豊炭田の記録を後世に残すために生を受けたような人」と語った。
作兵衛の日記を解読する作業を02年から続けている「作兵衛さんを読む会」会長の野村喜七郎さん(75)も「これで筑豊の炭鉱文化が世界に発信されると思う」と感慨深げ。
また、炭坑節の語り部として講演活動を続ける田川市伊田の原田巌さん(69)は「祖母も父もこうやって働いていたんですよ。日本を支えてきたのは石炭であり炭鉱。田川にみんなが目を向けてくれるようになれば」と涙ぐんだ。同市川宮のガス組合職員、高橋広昭さん(58)も「筑豊は暗いイメージも強いけれど、田川がいい面でも名前が知られるようになれば」と喜んだ。【伊藤奈々恵】
上半身裸の男女が寝ながら採炭する様子を描いた「寝掘り」(64年)=田川市石炭・歴史博物館所蔵
福岡県筑豊の炭坑画家、山本作兵衛(1892~1984年)の原画などがユネスコの「世界記憶遺産」(MOW)に国内で初めて登録されることになり、作兵衛の地元・同県田川市は26日、喜びで沸いた。かつて炭鉱の街として栄えた筑豊の住民たちは「日本を支えてきたのは石炭であり、炭鉱」と改めて胸を張った。
98年に作兵衛の記録画を収めた「筑豊炭坑絵物語」を編集した市教委教育総務課の課長補佐、森本弘行さん(52)は「(作兵衛は)後世に残したい一念で絵を描き始めたので、天国でもきっと喜んでいるでしょう」と満面の笑みを見せた。
96年7月から市報で計36回にわたり、作兵衛の作品やエピソードなどを紹介。「作兵衛博士」の異名もある森本さんは「作兵衛さんは筑豊炭鉱隆盛期に生まれ、衰退と同時期にヤマを去った。いわば、筑豊炭田の記録を後世に残すために生を受けたような人」と語った。
作兵衛の日記を解読する作業を02年から続けている「作兵衛さんを読む会」会長の野村喜七郎さん(75)も「これで筑豊の炭鉱文化が世界に発信されると思う」と感慨深げ。
また、炭坑節の語り部として講演活動を続ける田川市伊田の原田巌さん(69)は「祖母も父もこうやって働いていたんですよ。日本を支えてきたのは石炭であり炭鉱。田川にみんなが目を向けてくれるようになれば」と涙ぐんだ。同市川宮のガス組合職員、高橋広昭さん(58)も「筑豊は暗いイメージも強いけれど、田川がいい面でも名前が知られるようになれば」と喜んだ。【伊藤奈々恵】
「寝掘り」ではないです。