観察 Observation

研究室メンバーによる自然についてのエッセー

まだ思い出にはしたくない

2013-03-13 09:50:58 | 13.3
4年 小島香澄

 2年間過ごした研究室での思い出を振り返ることはもっと楽しいことだと思っていた。もちろん楽しいことばかりだったわけではないが、そういうものだと考えていた。しかし、それは研究室での生活が終わってしまったことを認める行為でもあるように思えた。それに気付いたとき、初めて卒業してしまったのだという実感が生まれ、涙が止まらず、文章を書くどころではなくなってしまった。
 卒業式も終わり、送別会もおこなってもらい、色紙や花束までもらったのに、卒業を自覚できていなかったのは私の思い違いなのかもしれない。しかし、そのようなイベントも儀式的なものとしか捉えられず、このまま研究室での生活がずっと続いてしまうと錯覚していた。私にとって研究室にいることはそれくらい当たり前で、そして幸福な時間だった。
 今年も野外の植物を観察しながら春の訪れを感じて、緑が濃くなる夏を経て、果実が色付く秋が来て、キャンパスの木の下で種子を拾う冬になればいい。そんなすてきな季節感のある生活を思い描く頭の中で、同時に変化のない生活のおもしろみのなさも想像している。この2年間が、今まで生きてきた20余年の、そしてこれから生きていくだろう何十年のうちのたった2年だからよかったと思えるのかもしれない。来年も、再来年もずっと続くのなら、大切に過ごすことなどなく、卒業したくないと泣くほどの気持ちは生まれなかったのかもしれない。
それに私は一定の姿を保つことなく形を変えていく自然が好きである。例えば種子から芽が出て花が咲き、果実が実っていくこと。研究テーマであった種子散布に限定して言えば、植物が子孫を繁栄させるために散布様式を工夫し、進化の過程でいくつかの方法に変化したこと。このような、変わっていくことのおもしろさは、動物や植物を学びながら知った一つだと思う。本当は私自身、不変であることの安心感よりも、変化することの面白さに頭のどこかで気付いているのだと思う。しかし、今は変化していく意味をプラスに捉えて、その糧とするために2年間を振り返ろうとしている。でも、どこかで卒業する寂しさが邪魔をする。
 私はまだ研究室での生活を思い出して語る状態にはなれず、また、当たり障りのない思い出を綴る気分にもなれない。もっときちんと思い出すのは、いつか笑って思い出を振り返ることができるときでいい。きっとそのときはまた少し変わった私がいるのだろう。
 研究室で学んだこと、伸ばすことができた自分の良さや気付かせてもらった短所を含めて、忘れてはいけないことがたくさんある。そして側に居てくれる人たちに感謝し、常に相手のことを思って行動することを継続させていきたい。
 最後に、これまで大変お世話になりました。ありがとうございました。


シカ調査で記録係をつとめる。2010年3月。宮城県金華山島にて。

私を変えた6年間

2013-03-13 09:30:48 | 13.3
修士2年 大津綾乃

 麻布大学に入学し、まだ室生でなかったときから野生動物学研究室の活動に参加し、入室して卒業までの6年間の活動を振り返ると、ここでしか、この時にしかできなかったことをたくさん経験させていただいたな、と思います。
研究室での活動から得たものは多くありますが、その中でも「人と協力してひとつのことをやり遂げる」ということは私の中でとても大きな軸になっています。1年~3年までの金華山調査、大学祭、学会運営などをこなしていく中で、室生や外部の方々と協力して作り上げることがどれだけ大変で、どれだけおもしろく、やり遂げた後どれだけの達成感が感じられるのかということを学びました。1人でできることは限られているけども、仲間がいればできることがいっぱいあると気付けたことで、とても気持ちが楽になり、少しくらい大変でもどっしりと構えていられたような気もします。また、このことに気付けたのは、とくに同期の存在が大きかったとも思います。研究室の同期メンバーは総じて人の気持ちを考えて行動するようなタイプの人が多く、気の利かない私に、行動や言動で相手の気持ちになって考え動くことを教えてくれました。何より皆といるととても楽しくて、本当に毎日とても充実した生活を送っていたな、と思います。
もうひとつ、研究のためにモンゴルへ調査に行ったことも私にとって大きな出来事でした。現地での調査は慣れない部分もありましたが、新しいことおもしろいことに溢れていて、大変だったけれど、それ以上に実りある、有意義な時間でした。また、調査はもちろんのこと、モンゴルの方々との交流は本当に素晴らしいものでした。モンゴルの方は皆親切で、人と人、人と自然の距離が、日本では考えられないほど近く、モンゴルにいた時にはその距離感に少しだけ仲間入りさせてもらったような感じがします。一緒にご飯の支度をしたり、本を片手にカタコトで会話をしたり、調査を手伝ってもらったり・・・。会話の中でモンゴルや日本について話しあったりもしました。
外国の言語や文化を学ぶのは楽しいですが、今までは教科書や本・テレビなどを通じて学んでいたこともあり、どこかぼんやりとした知識のままでいました。しかし実際にその国に行って、その国の人と話すことで新しく知ったことは、より鮮明な記憶となって心に残っていたのでした。実際に体験することは何かを通してみるのに比べてこんなにも違うものなのか!と、実際に体験することがとても大切だと気付かせてくれました。
また、日本以外の文化に触れたことで、一層日本に対する関心を持ちました。日本について聞かれたとき、自分の国であるのにわからないことがいくつかあり、少し恥ずかしく思いました。違う文化に触れることは他国について知るということだけではなくて、自分の住んでいる国がどんな国なのか比較ができ、より深く知ることができるのだと思います。もっと日本について知りたいという欲がでてきたのもこの経験からでした。
室生時代のこれらの経験は今の私に大きな影響を与えました。もちろんそれだけでなく、こんなに鈍くさい私を支えて下さった先生、先輩、同期、後輩方には、本当に、本当に感謝しています。この研究室にいなければ、周りの人と関わらなければ、きっとこんなに素晴らしい思い出は一生得られなかっただろうな、と思うと、私は本当に周りに恵まれて良い人生を歩んで来られたのだと、とてもしあわせだなと実感しています。
私はもう卒業してしまいましたが、研究室から離れることにまだ実感が湧いていません。なんだか間違えてまた研究室にきてしまうような、そんな気もしています。
最後に、6年間過ごしていた研究室なので愛着も強いのですが、実は私たちの学年が抜けたあとの研究室はどうなるのかなと、心配というかおせっかいのような気持ちが少しありました。初めは勝手にそわそわとしていたのですが、私たちがいなくなっても研究室は活発で、さらに進化していくと確信できるほど、3年生や院生の姿がたくましくなっていくのを感じ、とても嬉しく、また少し寂しいような気持ちになりました。よりパワフルになった研究室を見に、ぜひ今度お邪魔したいと思っていますので、皆様、その時にはどうぞよろしくお願いします!


2009年8月 モンゴルにて

6年という月日が私にくれたもの

2013-03-13 08:21:09 | 12
修士2年 八木 愛


 大学・大学院生の6年間、一言では言い表せないほど多くのことがありました。楽しかったこと、辛かったこと、悔しかったこと、本当にさまざまなことがありました。そのため、いざ最後の「Observation」を書こうとしても、思いが溢れてしまって、何から書いたら良いのか、まったくまとまりません。それでもなんとかつきつめて言うとすれば、「とても充実した日々だった」ということと「とても良い人達に出逢うことができた」ということだと思います。
 高校生の頃はただなんとなく毎日を過ごして、友達とわいわいしているだけでも楽しいと感じる日々でした。その時はそれで十分でした。しかし、大学に入学し、野生動物学研究室で毎日を過ごすようになってから、明らかに以前とは違う楽しさを感じました。また、自分の興味のあることを追究するおもしろさにであいました。目標を決めて、それに向かって自分で努力することの大変さ、うまく形にできないもどかしさ、そしてそれができたときの達成感。こうしたことは高校生の頃には味わうことがなかった感覚でした。
 ただ「楽しい」だけでは充実した日々であるとは言えず、辛いこと、悔しいこと、多くの困難を乗り越えてこそ、充実していたと感じるのだと思います。
 私はこの6年間を振り返って「楽しかった日々」と「充実していた日々」が違うのだということに気づくことができました。「毎日が楽しいなんて毎日が楽しくないのと同じ」という言葉を聞いたことがありますが、この言葉の意味が今になってやっとわかったような気がします。そのことをこの研究室での生活は教えてくれました。
 そして研究室での生活は、私に素敵な出逢いもくれました。私という人物を、きちんと理解した上で、優しい言葉だけでなく、厳しいことも言ってくれる。今までにない出逢いでした。一緒に卒業する同期の3人、大津さん、嶋本さん、海老原君。私はこの仲間達と6年間を共にできたことをとてもありがたく思っています。この3人がいてくれたから、今の私がある、そう思うくらい多くの面でお世話になりました。本当にありがとうございました。

 私の大好きな歌手の言葉に、こんなものがあります。

「自分で選んだ夢を正解にするため、毎日“今日が人生最後の日”と想って、後悔のないよう突き進みたい」

 人生は長いと思っていましたが、近頃は生きているといつ何が起こるかわからない、限られた人生の中で、同じような1日は2度とないのだと考えを改めるようになりました。

 この6年間は私の人生に大きく影響しました。一生忘れることはないと思います。そのくらい多くのことを私は野生動物学研究室から学びました。これもすべて家族、友人、そしてこの野生動物学研究室の高槻先生と南先生、仲間たちの支えがあったからこそです。本当に、長い間お世話になりました。そして、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。この野生動物学研究室に入ることができて、とても幸せでした。
 長い長い学生生活も終わり、いよいよこれから社会に出ます。学生のときより辛いことや、大きな困難が立ちはだかることもあると思います。それでも私は、この言葉を胸に刻んで、毎日毎日をしっかり後悔のないように、精一杯頑張りたいと思います。


坂本さん(左)と。町田市図師の里山で。2010.5.16