4年 小島香澄
2年間過ごした研究室での思い出を振り返ることはもっと楽しいことだと思っていた。もちろん楽しいことばかりだったわけではないが、そういうものだと考えていた。しかし、それは研究室での生活が終わってしまったことを認める行為でもあるように思えた。それに気付いたとき、初めて卒業してしまったのだという実感が生まれ、涙が止まらず、文章を書くどころではなくなってしまった。
卒業式も終わり、送別会もおこなってもらい、色紙や花束までもらったのに、卒業を自覚できていなかったのは私の思い違いなのかもしれない。しかし、そのようなイベントも儀式的なものとしか捉えられず、このまま研究室での生活がずっと続いてしまうと錯覚していた。私にとって研究室にいることはそれくらい当たり前で、そして幸福な時間だった。
今年も野外の植物を観察しながら春の訪れを感じて、緑が濃くなる夏を経て、果実が色付く秋が来て、キャンパスの木の下で種子を拾う冬になればいい。そんなすてきな季節感のある生活を思い描く頭の中で、同時に変化のない生活のおもしろみのなさも想像している。この2年間が、今まで生きてきた20余年の、そしてこれから生きていくだろう何十年のうちのたった2年だからよかったと思えるのかもしれない。来年も、再来年もずっと続くのなら、大切に過ごすことなどなく、卒業したくないと泣くほどの気持ちは生まれなかったのかもしれない。
それに私は一定の姿を保つことなく形を変えていく自然が好きである。例えば種子から芽が出て花が咲き、果実が実っていくこと。研究テーマであった種子散布に限定して言えば、植物が子孫を繁栄させるために散布様式を工夫し、進化の過程でいくつかの方法に変化したこと。このような、変わっていくことのおもしろさは、動物や植物を学びながら知った一つだと思う。本当は私自身、不変であることの安心感よりも、変化することの面白さに頭のどこかで気付いているのだと思う。しかし、今は変化していく意味をプラスに捉えて、その糧とするために2年間を振り返ろうとしている。でも、どこかで卒業する寂しさが邪魔をする。
私はまだ研究室での生活を思い出して語る状態にはなれず、また、当たり障りのない思い出を綴る気分にもなれない。もっときちんと思い出すのは、いつか笑って思い出を振り返ることができるときでいい。きっとそのときはまた少し変わった私がいるのだろう。
研究室で学んだこと、伸ばすことができた自分の良さや気付かせてもらった短所を含めて、忘れてはいけないことがたくさんある。そして側に居てくれる人たちに感謝し、常に相手のことを思って行動することを継続させていきたい。
最後に、これまで大変お世話になりました。ありがとうございました。
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シカ調査で記録係をつとめる。2010年3月。宮城県金華山島にて。