教授 高槻成紀
陸前高田の「一本松」が津波のあと半年ほどで枯れたと報告された。残念なことであるが、このことについてひとこと書いてみたい。私は若い頃、岩手県の五葉山という山でシカの調査をしていた。毎月のように、ときには毎週のように通っていたから高田を通過することもよくあったし、松原も見ていた。その松原が壊滅的な被害を受け、高田市民は嘆きながらも、奇跡的に残った一本松に勇気づけられた。それだけに「枯れ死宣言」には落胆したに違いない。
その松の種子からの芽生えを大切に育てている人がその思いを語りながら「白砂青松」という表現を使っていた。白砂青松ときけば、日本人は日本らしい美しい景観をイメージできる。だが、考えてみよう。なぜ砂浜には松が生え、いたるところにあるヤナギやナラやカエデがないのだろうか。
生態学的に言えば、白砂青松とはそれなりに必然があってのことである。砂浜の砂は栄養価が乏しい、有機物がほとんどない鉱物土壌である。また海水では樹木のほとんどは生育できないが、砂浜はそのぎりぎりにあるから危険と背中合わせである。また昼間は直射があたって砂浜が熱くなることは海水浴でよく体験するところである。こういう環境はほとんどの樹木の生育にとって適していない。マツはそれに耐えられるたぐいまれな樹木といえる。いや樹木だけでない、低木や草本でも生育しにくいから、砂浜には乾燥に強い特殊な植物しか生育できないので、植物は乏しい。その結果、ほかの林に比べて「すっきり」している。白い砂と青いマツだけのゴチャゴチャしない景観は一種の美しさに通じる。ゴミだらけの部屋を片付けたときのようなすっきり感があるというわけである。
植生遷移でいえば、海岸のマツ林は初期段階にある。海岸の砂浜に砂がどんどん蓄積して陸化すると、遷移が進んでゴチャゴチャとしてくる。したがって白砂青松であるということは遷移が進まない状態にあるということであり、それが数十年も続くということは植物にとっては過酷な環境であることを意味する。
高田市は北側で大船渡市に隣接している。シカのいる五葉山は大船渡市にあるので、私たちはそこに泊まって調査したものだが、大船渡市から尾根を越えて高田に入ると町が目に入り、「松原」はその先にあった。私はその景色が好きだったが、その景色も今はない。このあたりはリアス式海岸だから尾根が海に入って岬となり、岬と岬のあいだに湾があって町があるという構造になっている。町が発達した平地というのは山から流れてくる川が運んだ土砂でできているのである。したがって標高が低く、10mをはるかに超える津波が襲えば無防備ということになる。
高田松原はそういう場所にある。それはとりもなおさず、木にとって危険と隣り合わせにあったということである。その意味でマツは苦難に耐えてきたといえるかもしれないが、それは擬人的なたとえであるにすぎない。マツはほかの植物が生育できないというニッチに入り込んでいるのであって、多くの植物に好適な環境では競争に負けて消滅していく。またマツは以外に弱い木でもある。マツクイムシにはいたって弱く、各地で松枯れが起きたのは記憶に新しい。というわけで、擬人的に「マツは苦難に耐えてがんばっている」と思って、元気をもつことはかまわないし、一本松のために払われた努力は尊いものでもあるが、生物学的にクールにみれば、マツはその生理学的特性に応じて砂浜に生育しているにすぎないことは認めなければいけないし、海水がある以上生きてはいけないし、またマツはたくさんの木が林をなしていたから風を直接受けないなどの事情があったのであり、孤立すればただでも弱い存在になるということもある。
さて、マツの種子は松ぼっくりの中に入っており、種子に大きめの翼がついていて、風によって遠くまで運ばれるようになっている。これはカエデなどと共通である。こういう植物はたくさんの種子を作り、どんどん遠くに飛ばし、ほんの一部の種子が芽生えて新開地を得て定着してゆく。長い目でみれば、つねにどこかに広がろうとする生き方をしており、もちろん有機物の豊富な場所にも飛んで行くが、そういう場所ではほかの植物との競争に勝てず、砂浜のようなところに定着するのである。マツの種子に比べるとナラのドングリはたいへん大きい。そして発芽したときから大きい実生が育ち、確実に大きくなっていく。ただしその数はふつうは少なく、母樹の負担も大きい。
こう考えるとマツとナラはたいへん対照的な木だといえる。ドングリが砂浜に着地しても育つことはできない。腐葉土のあるふかふかで有機物が豊富な場所で育つ。そして時間をかけて大きな木になっていくが、しかし奥山のブナの木などとは大いに違う。というのは、ナラは伐採されても萌芽が再生できるからである。ブナもある程度再生するが伐採がくり返されると枯れてしまう。ナラの萌芽力のおかげで、薪炭林とよばれる、繰り返し伐採されて維持されてきた林が生まれ、それが東北地方の低山地帯を被っている。それが寒い東北地方で冬を越すための暖房を支えてきたし、あまり知られていないことだが、戦後の経済復興の初期において北上山地のナラ材がウイスキー樽の材料として大量に輸出されもした。ナラはまた火にも強い。ナラの樹皮の下にはコルク層があり、これが断熱効果をもっている。とくにナラの一種であるクヌギはコルク層が厚い。
伐られても、焼かれても再生するナラの木はたくましい。そのたくましさはマツのそれとは違うものだが、まちがいなく高田の町を見下ろす山で津波前と変わらず新緑を伸ばし、黄葉した。一本松が枯れたことは残念だが、町を取り巻く無数のナラの木はたくましく育ち続けていることにも目を向け、そのたくましさからも復活の勇気を得てもらいたいと思う。
陸前高田の「一本松」が津波のあと半年ほどで枯れたと報告された。残念なことであるが、このことについてひとこと書いてみたい。私は若い頃、岩手県の五葉山という山でシカの調査をしていた。毎月のように、ときには毎週のように通っていたから高田を通過することもよくあったし、松原も見ていた。その松原が壊滅的な被害を受け、高田市民は嘆きながらも、奇跡的に残った一本松に勇気づけられた。それだけに「枯れ死宣言」には落胆したに違いない。
その松の種子からの芽生えを大切に育てている人がその思いを語りながら「白砂青松」という表現を使っていた。白砂青松ときけば、日本人は日本らしい美しい景観をイメージできる。だが、考えてみよう。なぜ砂浜には松が生え、いたるところにあるヤナギやナラやカエデがないのだろうか。
生態学的に言えば、白砂青松とはそれなりに必然があってのことである。砂浜の砂は栄養価が乏しい、有機物がほとんどない鉱物土壌である。また海水では樹木のほとんどは生育できないが、砂浜はそのぎりぎりにあるから危険と背中合わせである。また昼間は直射があたって砂浜が熱くなることは海水浴でよく体験するところである。こういう環境はほとんどの樹木の生育にとって適していない。マツはそれに耐えられるたぐいまれな樹木といえる。いや樹木だけでない、低木や草本でも生育しにくいから、砂浜には乾燥に強い特殊な植物しか生育できないので、植物は乏しい。その結果、ほかの林に比べて「すっきり」している。白い砂と青いマツだけのゴチャゴチャしない景観は一種の美しさに通じる。ゴミだらけの部屋を片付けたときのようなすっきり感があるというわけである。
植生遷移でいえば、海岸のマツ林は初期段階にある。海岸の砂浜に砂がどんどん蓄積して陸化すると、遷移が進んでゴチャゴチャとしてくる。したがって白砂青松であるということは遷移が進まない状態にあるということであり、それが数十年も続くということは植物にとっては過酷な環境であることを意味する。
高田市は北側で大船渡市に隣接している。シカのいる五葉山は大船渡市にあるので、私たちはそこに泊まって調査したものだが、大船渡市から尾根を越えて高田に入ると町が目に入り、「松原」はその先にあった。私はその景色が好きだったが、その景色も今はない。このあたりはリアス式海岸だから尾根が海に入って岬となり、岬と岬のあいだに湾があって町があるという構造になっている。町が発達した平地というのは山から流れてくる川が運んだ土砂でできているのである。したがって標高が低く、10mをはるかに超える津波が襲えば無防備ということになる。
高田松原はそういう場所にある。それはとりもなおさず、木にとって危険と隣り合わせにあったということである。その意味でマツは苦難に耐えてきたといえるかもしれないが、それは擬人的なたとえであるにすぎない。マツはほかの植物が生育できないというニッチに入り込んでいるのであって、多くの植物に好適な環境では競争に負けて消滅していく。またマツは以外に弱い木でもある。マツクイムシにはいたって弱く、各地で松枯れが起きたのは記憶に新しい。というわけで、擬人的に「マツは苦難に耐えてがんばっている」と思って、元気をもつことはかまわないし、一本松のために払われた努力は尊いものでもあるが、生物学的にクールにみれば、マツはその生理学的特性に応じて砂浜に生育しているにすぎないことは認めなければいけないし、海水がある以上生きてはいけないし、またマツはたくさんの木が林をなしていたから風を直接受けないなどの事情があったのであり、孤立すればただでも弱い存在になるということもある。
さて、マツの種子は松ぼっくりの中に入っており、種子に大きめの翼がついていて、風によって遠くまで運ばれるようになっている。これはカエデなどと共通である。こういう植物はたくさんの種子を作り、どんどん遠くに飛ばし、ほんの一部の種子が芽生えて新開地を得て定着してゆく。長い目でみれば、つねにどこかに広がろうとする生き方をしており、もちろん有機物の豊富な場所にも飛んで行くが、そういう場所ではほかの植物との競争に勝てず、砂浜のようなところに定着するのである。マツの種子に比べるとナラのドングリはたいへん大きい。そして発芽したときから大きい実生が育ち、確実に大きくなっていく。ただしその数はふつうは少なく、母樹の負担も大きい。
こう考えるとマツとナラはたいへん対照的な木だといえる。ドングリが砂浜に着地しても育つことはできない。腐葉土のあるふかふかで有機物が豊富な場所で育つ。そして時間をかけて大きな木になっていくが、しかし奥山のブナの木などとは大いに違う。というのは、ナラは伐採されても萌芽が再生できるからである。ブナもある程度再生するが伐採がくり返されると枯れてしまう。ナラの萌芽力のおかげで、薪炭林とよばれる、繰り返し伐採されて維持されてきた林が生まれ、それが東北地方の低山地帯を被っている。それが寒い東北地方で冬を越すための暖房を支えてきたし、あまり知られていないことだが、戦後の経済復興の初期において北上山地のナラ材がウイスキー樽の材料として大量に輸出されもした。ナラはまた火にも強い。ナラの樹皮の下にはコルク層があり、これが断熱効果をもっている。とくにナラの一種であるクヌギはコルク層が厚い。
伐られても、焼かれても再生するナラの木はたくましい。そのたくましさはマツのそれとは違うものだが、まちがいなく高田の町を見下ろす山で津波前と変わらず新緑を伸ばし、黄葉した。一本松が枯れたことは残念だが、町を取り巻く無数のナラの木はたくましく育ち続けていることにも目を向け、そのたくましさからも復活の勇気を得てもらいたいと思う。