忘れていたけど、私、1月で30歳になったんだった。20代は、修士号取得、就職、恋愛、介護、結婚、退職、大学院復帰、出産と非常に濃厚な10年だった。
7,8年前、修士の学生であった頃、久保田先生から「お前は、10年後どうしたいんだ?」と聞かれたことを思い出した。私は、そのころ「国際協力分野で働きたい」と漠然とした希望を持っていた。
だから、大学院の頃は、国際協力機構(JICA)のインターンとしてフィリピンで修行もしたし、FASIDの研修もフィリピンで受けた。そのときの経験から、海外で貢献するためには自分に力がないと役に立たないことを実感した。特に専門性と企業人としてマネジメント力をつける必要性を感じた。
私は(そのころは)大学院では専門として教育工学を少しは勉強できたと思ったので、それ以外に企業の組織運営について学びたいと思い、就職をすることにした。一流企業に勤め企業のノウハウを学んだ後、青年海外協力隊員として海外で働き、その後海外の大学院で博士号を取得したいと思っていた。
けれど、実際は、就職先で現在の夫と出会ったこと、母が介護が必要になったことなどから青年海外協力隊へ行くことはできなくなった。というより、行く気持ちがなくなった。協力隊へ行くのもいいが、教育工学についての専門性をもっと高めて、日本にいながらも国際協力分野で活躍できる場を見つけようと思ったのである。
けれど、もし、夫と出会っていなかったらどうなっていただろう…母が倒れなかったらどうなっていただろう…?そしたら息子にも会えていなかったかな。
この10年をふりかえってみると、10年前に考えた「なりたい私」とはところどころ違っていたし、想定外のこともたくさんあったが、今のところ自分の人生に幸せを感じて、満足している。
次の10年に「こうしたい」という思いはあるが、どうなるのかな。40歳になったとき、また10年をふりかえるのが楽しみ。
7,8年前、修士の学生であった頃、久保田先生から「お前は、10年後どうしたいんだ?」と聞かれたことを思い出した。私は、そのころ「国際協力分野で働きたい」と漠然とした希望を持っていた。
だから、大学院の頃は、国際協力機構(JICA)のインターンとしてフィリピンで修行もしたし、FASIDの研修もフィリピンで受けた。そのときの経験から、海外で貢献するためには自分に力がないと役に立たないことを実感した。特に専門性と企業人としてマネジメント力をつける必要性を感じた。
私は(そのころは)大学院では専門として教育工学を少しは勉強できたと思ったので、それ以外に企業の組織運営について学びたいと思い、就職をすることにした。一流企業に勤め企業のノウハウを学んだ後、青年海外協力隊員として海外で働き、その後海外の大学院で博士号を取得したいと思っていた。
けれど、実際は、就職先で現在の夫と出会ったこと、母が介護が必要になったことなどから青年海外協力隊へ行くことはできなくなった。というより、行く気持ちがなくなった。協力隊へ行くのもいいが、教育工学についての専門性をもっと高めて、日本にいながらも国際協力分野で活躍できる場を見つけようと思ったのである。
けれど、もし、夫と出会っていなかったらどうなっていただろう…母が倒れなかったらどうなっていただろう…?そしたら息子にも会えていなかったかな。

この10年をふりかえってみると、10年前に考えた「なりたい私」とはところどころ違っていたし、想定外のこともたくさんあったが、今のところ自分の人生に幸せを感じて、満足している。
次の10年に「こうしたい」という思いはあるが、どうなるのかな。40歳になったとき、また10年をふりかえるのが楽しみ。