親しくしている友人が訪ねてくださり、イマジン珈琲で語らいましたが、どんどんディープな話に。
いや、ここらでと、這う這うの体で帰って行かれました。話がぶっ飛び過ぎ、濃すぎましたかねえ(^^;;
変だけどリアルな夢から始まった
何か全く繋がっていそうにないけど、繋がっているように思える変な感覚、、、
たぶん朝、すごく変だけど妙にリアルな夢を見ました。あり得ない!と思っているのに、妙に自然体でいる自分がいるような。それ、2年の空白を置いて、松江市議会議員になった夢(^^;;
政治の世界では全く考えられないアプローチだと思うけど、自分の行動で一人でも“自分らしく”生きる人があれば、最高に満足できる人生になるんじゃないかと思っているので、あり得ない!夢なんですね。
そして、目覚めた朝、気になっていた新聞を開くと「安楽死」の文字と県議会議員の不祥事に関わる特集。
そういえば、昨日だったはずと、昨日見ていなかった新聞を引っ張り出すと一面に元同僚議員の顔写真。
政務活動費、不祥事が大々的に報道されるようになった頃を期に相当厳しくなったんですよね。僕の場合はですが、シャカリキに頑張って調査活動をしても1/3程度は残ったものでした。
「安楽死」に違和感
それと、夢は何の関係もないと思うんですが・・・もう一つ気になった記事は、連載企画に取り上げられた、橋田壽賀子の文芸春秋に掲載されたインタビュー記事に対する「『安楽死』意外な共感」という記事。
これは、僕が議員時代のテーマの一つとして取り組んだ「死の文化」に関わることでもあるんですが、今、この「安楽死」ということにとても違和感のある自分があり、驚きました。
その伏線があって、最初の友人の這う這うの体につながるのですが、かつて安楽死に肯定的とも言えた自分が、そもそも安楽死を求めたくなるような重篤な状態に陥ること自体が違うのかもしれないと。
豊かな生き方とは・・・
ここから、昨日のブログにつながるのですが、「食べる野草図鑑」には、野草はミネラルやビタミンが豊富で薬効もある、だから少量でいいと書かれているんですね。
かつて、農業をやっている同僚議員が、今の野菜はミネラルやビタミンが少なくなっているから、学校給食では見合った量の野菜を取るべきだという趣旨の話をしていて驚いたことがあります。そう来るか!です。
今や、腸内微生物によって原子転換も含め、さまざまな必須栄養素が作られると言われるようになり、小食から不食の時代という人もあり、ほんの少しの食で普通の人以上に活躍する方も散見されます。
アナスタシアはお腹のすいた時に、周りにあるものを摘んで口にすると書かれていましたし、昔の人は食べ物には一切の苦労はなかったし、病気にもならなかったと言っています。
江戸時代の観相家、水野南北は、食に携わる人のバイブルと言われる「食は運命を左右する」に、飽食の人は貧相と書いていましたが、アナスタシアの生き方は本当に豊かかもしれません。
大地に直接触れ、自然の中での生活が可能ならば、腸内環境は自然環境と調和したものになるでしょうし、ストレスレスの生き方ができる。仮に具合が悪くなっても、自分に一番適した生薬を口に入れれるとしたら、、
そう、安楽死を認める社会やあり方を考えるよりも、安楽死を求めたくなる状態に陥るかもしれない、自分の生き方を考えた方がいいのではなんて思って。
夢の話と議員の話、安楽死と食の話、脈絡もなくという感じですが、どこか繋がっている感覚があります。
去年だったか、一昨年だったか、同じような写真をUPしたように思いますが、季節が過ぎるのは早い!
昨日、畑で雑草がもうこんなに伸びてる!と思い、思わず鎌で草刈りしましたが、この時期の若芽の成長って本当に早いなあと。つい先日、ふきのとうを頂いた場所のフキがもう食べごろ。
そして、一緒な場所のノカンゾウはもう食べごろを過ぎたのかなあ。ノカンゾウ、今年もありがとう。
同じ場所にポツポツと黄色い花を開いていたウマノアシガタ、今日は、斜面一面を覆うように開いていました。
食べられる雑草
先日の会で、一見して食べられそうな草はほとんど食べられる。食べられない雑草は、口に入れても大体ペッと吐くものだなんて話で盛り上がりましたが、人は本来はそれが自然にできたんじゃないか。
漢方薬なんて、鋭い感覚を持った人が食べてみて、あっ、これは肝臓に効く、などと直感して薬として使われるようになったのだと物の本に書いてありましたが、先日も、アマゾンを旅した方が、シャーマンはジャングルに分け入って生薬を見つけて処方する、するとピタリと治るって仰っていましたね。
その感覚から行くと、このウマノアシガタは食べられそうな感じがしない。「おいしい雑草」という本にも「摘んではいけない毒草たち」に分類されていました(*^^*)
この春、ずいぶんと野草をいただきました。初めて食べた野草も片手を超えた感じです。
アナスタシアには、古代の人たちは食べるための狩りや採集に時間を費やさなかった。手の届くような所にいくらでも食べ物があったと書かれています。
わが国でも、縄文期には自然にいくらでも食べ物があり、そこを移動しながら暮らしていたと語る方がありましたが、その通りだろうと思うようになりました。
私たちの周りには、自然の中で育ったエネルギーの高い食べ物が溢れているかもしれません。
ただ、人間の数もずいぶん増えているわけですから、節度を持って自然と向き合うことも心得てですね。
そんなに頑張んなくても、という感じですが、きっと僕たちの世代はやっちゃうんですよね。
ということで?今日も手帳は空白だけど、一日みっちりと。
ポット苗づくりに始まり、枝豆の種蒔き、昨日の雨でびしょびしょだけど(>< 里芋の植え付け、イチゴや玉ねぎラッキョウ(アイノコみたい)回りの草刈り、ニンジン畝の草取りなどなど。
百姓って仕事の切れ目がありませんね。
今年は、新しい圃場も加わって、さて、仕事が回りますか?
まあ、なるようになるさ、ケセラセラ( ^ω^)・・・と人生を生きたいものです。
そんなケセラセラの途中、終わったと思っていた桜にまだ健気に頑張る花が。
嬉しいような、ちょいと寂しいような・・・
趣旨からすると、もっと話す時間があった方が良かった!と思ったのですが、参加したいと仰る方をお断りするのは忍びない。しかも、良い人ばかりですから。でも、ひとまず繋がったので良かった!
マザーテレサハウスでボランティアをして帰られた坂本さんのお話を聞き、坂本さんが自分の生涯のミッションと仰る教育について語ろうという集まりを、のりちゃんハウスでさせていただきました。
この集まり、3月に開催する予定を諸般の事情で昨夜に順延。でも、実は、順延には深い意味があった。
4月1日にアナスタシアシリーズ6巻「一族の書」が発売されたのですが、読み始めてビックリ!子育てや教育に関する深い叡智が詰まっているんですね。当日までに読み終え、2回目を読み始めました。
読み始めてすぐ、この話をベースに話ができたらと思いました。アナスタシアは、男女の出会い、妊娠、出産、子育てはどうあるべきか、どういう環境で行ったらいいのか示しています。その環境として、1haの一族(家族)の祖国(土地)を持つことを提唱し、その祖国はどう創造すればいいのかを述べています。
そして、“自然界の豊かな情報の中で深く思考する”ことで、私たちが無意識で陥っている“洗脳”を解くことができると述べています。それは世界を変える大きなエネルギーとなるのかもしれません。
坂本さんは、インドの話の中で、カーストの最下層にも入らない、着く職業もないでさえ、その各家庭には必ずTVがあると説明し、それによって“洗脳”されているのですと。
まさに!私たちは、体制という形やあらゆる情報などによって“洗脳”されてしまっているんでしょうね。
自然に帰ることこそ、その“洗脳”から解放され、豊かに、幸せに生きることになるのではないか、坂本さんの外にお二人から取り組まれている活動の報告をしていただきましたが、それこそ一族の祖国を体現している形ではと思えますし、教育、否“共育”や“響育”のあるべき姿があるのかもしれません。
東京で堪能して帰りました。
何しに東京?そのことに触れる前に、本当に驚いたことがありますので、まず。
東京に行かれている皆さんは、既にお気づきのことと思いますが、電車の中吊り広告から週刊誌の広告が消えています(@@ 僕の世代には考えられないことじゃないでしょうか。
この調子だと、当然新聞は早晩なくなりますね。次に週刊誌も。
まあ、ちょっと寂しいけど、女性の魅力的なおっぱいで売れる週刊誌はなくてもいいかもしれませんけどね。
そりゃそうですよね、総武線で僕の目の前の8人掛けのシート、3人は居眠り、5人はスマホ。車両の中に本を広げる人が時々いて胸をなでおろしますが、新聞ゼロ、週刊誌ゼロですからね。
お母さんを救いにから、世界を救いに
東京ですが、胎内記憶を持つ子どもたちのフォーラムに参加させていただきました。胎内記憶は、一度話したら、同じことは話さないと言われるくらいですから、画期的!恐らく世界初じゃないかと思います。
僕は、「かみさまとの約束」の上映会もしたし、とても大切なテーマだと思ってきたました。まして、親しくさせて頂いているご家族の小6と小1の子どもさんが参加すると聞き、これは行かなきゃ!
フォーラムでは、5歳から14歳までの子どもたちが10人。でもね、鵜の目鷹の目で見つめる大人たちの前でしゃべるって簡単じゃないよね。その中でよくぞ話してくれました!ですね。
フォーラムで一番気になったことは、池川先生の基調講演の中の子どもたちが地球に生まれ出るミッション。
お母さんを救いに・役に立つ・幸せにする、人の役に立つためだったが、この10年で変わってきて、今、地球を救いにという。それは、女性が女性性を捨てていることが危うく映っているらしい。
地球上の生命は勝手に芽吹く、実は本来女性もそうだけれども、女性が芽吹きにくくなり、家中、世界中に“にこにこ”が少なくなっている。魂はそこに危機感を感じているということらしいのです。う~む(><
もう一つ、池川先生って本当に深い意識と広い人間性をお持ちだなあと。
一人の方が、子どもたちはさぞや霊性が高いんでしょうねと質問したんですが、いや、ほとんど一緒ですよと軽く。霊性が高い人も宇宙の生命から見れば、大差ありませんよ。特別視することはありません、って。
それと、子どもたちに接する姿勢が本当に優しい。これなら、池川先生には安心して話せちゃう。
ミュシャの展示会
もう一つ、時間があったので旧チェコスロバキアの芸術家アルフォンス・ミュシャの展示会に行ってきました。
草間彌生展が同時開催されていましたが、こっちはパス。生命のレベルが求めていなかった(^^;;と思う。
圧巻は、初めて国外で展示されたという「スラヴ叙事詩」の全20点。いずれも超大作で、生命を震わすのですが、スラブ民族の自立というテーマには強い違和感を持ちながらも大作に見入りました。
最後に、良いもの見た!という話。
帰りの飛行機、一便でしたから、ないことに5時過ぎ起床の早起き。
本を読みながら眠り、はっと目が覚めて機外を眺めると・・・
あっ、富士山じゃありません。
湖!じゃあ、琵琶湖?にしては形がおかしいけど。
よ~く見ると、盆地を埋める霧じゃありませんか。
お天気が良くて、しかも早起きしての一便でしたから。にしたって、自然は素晴らしい造形を惜しげもなく見せてくれるものです。