ニュージーランド移住記録:日記「さいらん日和」

2004年に香港からニュージーランドに移住した西蘭(さいらん)一家。子育て終了、仕事もリタイア。好きに生きる記録です。

節分の思い出

2013-02-03 | 移住生活
1ヵ月半ぶりにやっと大人だけになった3日は、急に思い立ち、部屋の大模様替えをしました。引越し以来半年ぶりに物置小屋を脱した第3の部屋(約四畳半)が私たちの寝室となり、今までの寝室(約8畳+バス・トイレ付き)をオフィス兼ビーズのアトリエ(当時はそんなことしてたんだな~ 遠い目)にしました。


そのためベッドや机を移動させ、半日ガタガタゴトゴト。学校から帰った子どもたちがビックリするほどのゴチャゴチャぶりでした。まだ行き場のない物が廊下に並んでますが、今日中(4日)にケリをつけましょう。


そんな事情もあって、昨夜は節分ということをコロリと忘れていましたが、友人からのメールで気付かせてもらい、慌てて豆を撒きをしました。ただし、適当な買い置きがなかったので、
「豆なんだからいいだろう。米よりまし・・・」
と、撒いたのは、なーんと
小豆@@! 


今でも家の至るところに赤い粒々が落ちてます。(いいのか、こんなんで^^?) みんなで大声出して、
「鬼は外ぉぉぉぉ!!!」
と窓の外に向かって怒鳴っていたら、自転車で通りかかった近所の仲のいいマオリの中学生が、我が目を疑うようにもう1度引き返してきて、よ~く見ながら再び通り過ぎて行ったのにはちょっと笑えました。
ニホンジン、何するものぞ


風水では節分から干支が変わります。トラ年にとって何かと大変だったサル年がとうとう終わり、守護神のトリ年に突入しました。ガンに苦しんだピッピもおかげ様でピンピンしています。


良き2005年でありますように。



これは8年前の今日の日記です。これには続きがありまして・・・・



2年前の2005年2月3日、その日が節分と気づくやいなや、急に、
「永住権の申し込みしてみる!」
と、夜の10時ごろになって夫に告げ、彼が書類一式を用意してくれた後、2人がかりで4時間近くかけてオンラインで申し込みをしたことが、今でもはっきりと思い出されます。雇用がないままでの申請で、イチかバチかの勝負でしたが、顛末は以下のリンク通りに。

「21世紀のその日暮らし5」
「21世紀のその日暮らし6」
「21世紀のその日暮らし7」



これは6年前の今日の日記です。




そう、私は8年前の今日、まるで啓示を受けたかのように、
「自分名義で永住権の申請をしてみよう!」
と思い立ちました。そんなことは当日まで全く考えていなかったので、自分でも驚く思いつきで、まさに降って湧いたとしか言いようがありません。


模様替え途中のゴチャゴチャな仕事部屋でパソコンに向かい、オンラインで申請をしました。オンラインとはいえ、いろいろな数字や書類を確認しなくてはならず、日記にもある通り夫婦2人がかりで4時間かかりました。


終わった時には2人とも日中の力仕事と4時間の細かい作業で疲労困憊。
移ったばかりの小さな部屋で泥のように眠りました。


節分のたびにあの年のことを思い出します。
私たちのNZ永住の原点だった日。
やはり普通の日ではなく、節分という特別な日ならではの啓示だったのか、と今でも思います。まるで朝から何かに導かれるような1日でした。



そんな今日はごくごく普通の日曜日でした。
善の制服の繕い物
私のコートの裏地の繕い
あちこちにメール書き
仕事
ガス台掃除
ウォーキング
レイキ
ヨガ


本当は節分らしくしっかり掃除をして、雑巾がけまですべきだったと反省。
明日はしっかりやりましょう


子どもたちが小さかった頃は毎年豆まきをしていました。
豆が手に入らず、似たような豆や、年によっては小豆をまいた年も


タピオカまきだった年もありました


大きくなった子どもたち、本当は何をまく日が知っているんだろうか?
(日本語補修校でもピーナッツをまいていたというので
先生たちも豆探しにご苦労されたんでしょう)


今日も本当に暑かったけれど、

夜には待望の霧雨
ここで一気に雨になってくれますように(祈)



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