ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

メルボルン行:プリンスズ橋とコートオブアームズ

2019年08月13日 | オーストラリア:メルボルン

デグレーブスストリート
一息ついた後はプリンスズ橋へ。

このプリンスとはエドワード王子


アーチの赤が

すぐ隣にある


フリンダースストリート駅の

赤い駅舎とよく合っています。


橋の上とは思えない道幅

路面電車も走っています。


その向こうの鉄塔は

アートセンターメルボルン
今回は行きませんでした。


橋の欄干にあった紋章

メルボルンのコートオブアームズ
と思ったら、


違いました

「でもコートオブアームズって
よく変わるし」と調べてみると、
現在のコートオブアームズが
制定されたのは1970年でした。


初代のコートオブアームズが
制定されたのは1940年で、
欄干にあったのは1843~1940年
まで使われていたエンブレムの
ようなものだったそうです。



プリンスズ橋の完成が1888年なので

まさにこのエンブレムの時代


イングランドの旗でもある
レッドクロスで仕切られた
4つの区切りに描かれた絵は
右上から反時計回りで
市の重要経済の順で描かれて
いるんだそうです


エンブレムは
クジラ⇒羊⇒牛⇒船

コートオブアームズは
牛⇒羊⇒クジラ⇒船
船はこれらの一次産品を運ぶ
輸送手段という意味だそう。


18世紀から19世紀初頭にかけ
捕鯨がいかに重要だったかが
わかります。そして19世紀の
ゴールドラッシュがいかに
短命だったかも


シンボルとしてクジラは残っても
金はどこにも残りませんでした。




メルボルン行:デグレーブスストリートの実力

2019年08月12日 | オーストラリア:メルボルン

2017年10月のメルボルン旅行記も
11本目に入ってきました。


さすがにリバークルーズ2本の
連続でお腹もすいてきたので、

「落ち着かない」
と言っておきながら、
再びやってきた(笑)
デグレーブスストリート


一等地の裏路地という

観光客には何かと助かる
駆け込み寺的存在


駆け込んで初めてわかる

その実力


界隈をウロウロしている
時間が長いので

土地勘がない身には便利


こんなニャンコに



同じアーティストかな?



まずは腹ごしらえ。



行き当たりばったりで

イルテンポというピザ屋


道を挟んだ反対側も同じ店

店員が行ったり来たりしています。


基本のキなメニュー(笑)



マルゲリータ

基本がよければそれでよし


コーヒーでホッと一息



このドーナツ屋は有名らしく

行列ができていました。


私たちは見るだけで(笑)

甘党の夫もたじろぐ
盛りに盛ったボリューム



実はこの後、夕食前に再び
舞い戻っていた私たち(爆)



夕方は仕事終わりらしい地元民も
交えて、混み合っていました。



お見それしました、

デグレーブスストリートの実力



メルボルン行:ヤラ川リバークルーズ上り編

2019年08月11日 | オーストラリア:メルボルン

下りがあれば上りもある

ということで、今度は
ヤラ川リバークルーズ上り編


ここにもあるビクトリア大学

NZはウェリントンにありますが、
ただ今、校名の変更を検討中。
世界中にいくつもありそう


ひと際目立つオブジェ



水辺に葦がぎっしり生えていて

水質管理のためのよう。


浮遊するゴミを取り込む装置

地道な努力が続いています。


AAMIパーク

ラグビーのメルボルン
レベルスの本拠地


美しいアーチ橋はモレル橋



1899年に完成し

1998年以降は歩行者と
自転車専用橋に。
こうして歴史的建造物を
守るってすばらしい


すぐ近くにあるホドゥル橋

1939年に完成した道路橋


またまた美しい橋が見えてきました。

チャーチストリート橋
1923年完成


クルーズからだと一瞬でも

間近に見られるのがいいところ。


メタリックなビルとのこの対比



水辺の目立った住宅

4階建てだけれど、中が2階の
メゾネットになっている?


川の両側が長い遊歩道になっていて



自転車や徒歩での通勤圏が
グッと広がりそう。

ランニングやウォーキングにも
もってこいな場所


ここから支流と分かれ
川幅もぐっと狭くなり
中洲もあって
川が蛇行し始めます。



さっき見た海辺のような
コンテナヤードから

ほんの5、6キロ、歩ける距離
なのが信じがたい変わりよう


手前は川の浚渫をしているところで
(↑うろ覚え)
後ろは橋の補強中だったような



再びプリンスズ橋に戻って
クルーズ終了



橋の上ではこんな展開(笑)



車道だから馬も大変そう

慣れれば大丈夫なのかな?




メルボルン行:ヤラ川リバークルーズ下り編

2019年08月10日 | オーストラリア:メルボルン

ヤラ川にはさまざま船が
停泊していたり航行していたり。




リバークルーズも大小あり

数社が運航。


サウスゲートの前に乗り場があり



これに乗ってみました。



1889年に建設された
クイーンズ橋と近代的なビルの

この対比


熱効率のためなんでしょうが

ミラーガラスのビルばかり


メルボルンコンベンション&
エキシビションセンター

メルボルンは奇抜な建物が
非常に多いです。
さすがアートの街


帆船のマストが見えます。



これはタワマンなのかな?



ウェブ橋という歩行者専用の橋

名前の通りクモの巣のよう。


建設中のアパートメント

ウォータフロントの一等地で
数億円するんだろうなぁ


広々して海のようですが
ここもまだヤラ川

コンテナヤードがあり
クレーン並んでいます。


川幅があるのでコンテナ船が
入って来れるんですね~

深水も十分ある訳です。
本当にオーストラリアは
すべてが桁違い(笑)


クルーズはこの辺で折り返し。


赤い橋は上が有料道路になっている

ボルト橋


これもマンションなんだろうか?

好き嫌いが分かれそう


古い倉庫街



スタジアム



ウォーターフロント再開発が進み

あちこちにクレーンがあります。


川下から上って来ると
高層ビル群が圧巻

でもマンションがかなりある


クルーザーの数がオークランドとは段ち。



これも自家用



シドニーのダーリングハーバーで
見たような光景。



コレとか



2016年完成のコレとか

オーストラリアのランドマークは
常に3棟なの


まだまだできるらしい。



こういう倉庫も再開発されそう。



見えてきたのはシーフェラーズ橋



2009年に完成した歩道橋

歩行者のためだけにこれだけの
橋ができるところに、この街の
公共交通機関の発達ぶりを実感


商業施設が増えてきて

シティーに戻ってきました。


1961年完成のキングス橋と



1889年完成のクイーンズ橋

隔たっているのは70年の歳月
だけではなくその美しさも


1888年完成のプリンスズ橋

川に掛かる橋としては国内で
最も古い部類に入るそうです。
クルーズはここで一周り。


初メルボルンだったら
乗るべきクルーズでした。




メルボルン行:ヤラ区

2019年08月09日 | オーストラリア:メルボルン

2017年10月の初メルボルン。
オーストラリアで不動産投資を
始めるまでに見ておきたかった
三大都市の最後の都市


2日目はホテル近くで見つけた



フレンチなカフェでスタート



その後は街の中心であるヤラ区へ

飲食やショッピングだけでなく
アートシーンの中心でもあり
至る所にオブジェがあります。


中央を流れるヤラ川(全長242キロ)



リバークルーズの船が
たくさん停泊しています。



娯楽とグルメの殿堂らしい

クラウンカジノ


貨物列車が通過。
見るからに重そうな真っ黒な物

手前にも動物のオブジェ


鉄のコイルかな?



ビルの谷間を延々と過ぎていき

なんともオーストラリアな眺め


その後ろには貨物が続き

大陸らしい驚きべき長さ
100両とかになるのか?


サウスバンクの玄関口

サウスゲート


周囲は幅広いプロムナードで

そぞろ歩くにはもってこい。


オーストラリアの川沿いでは
よくある光景で

ブリスベンもこんな感じでした。


緑豊かなのも歩く楽しみ



メルボルンコンベンション&
エキシビションセンター



対岸にはシーライフ

観光アトラクションの
中心でもあるよう。


エバンウォーカー歩道橋は
歩行者専用の橋で下にある
ポニーフィッシュアイランドは
島全体がバーになっていました。

夏の夜には良さそうな場所。


歩道橋の先は塗装工事中だった
フリンダースストリート駅



シートが掛かっていない部分もあり
街のシンボルというのも納得な赤

川沿いはフリンダースウォーク
という遊歩道になっていました。


オフィス街の摩天楼

オーストラリアの都市はどこも
大きな川があってステキです
逆に言えば川があるから
発展したのでしょうが。


大きな川の河口という
植民地の出発点が
見えるようでした。




メルボルン行:メルボルンの中華街

2019年08月07日 | オーストラリア:メルボルン

日本を出てからNZに移住するまで
アジアで20年近くを過ごした私。
最初に留学したのが台湾
結婚したのはシンガポール
子どもが生まれたのは香港


そんな塩梅なので、海外に行っても
中華街があれば必ず行きます


ビクトリア州議事堂からは徒歩圏内。
歩いているだけで、
アジアが近づいてくる感じ(笑)



怪しいカタカナ表記が

日本人経営でないことを
物語るスイーツ屋


こういうストレートな表現は

逆に日本人経営では?


中国語圏に入ってきました。



立派な門があります

墨爾本唐人街
墨爾本(モーアルベン)は
メルボルンの音訳


中華街ではなく唐人街という名称に

歴史の古さを感じます。
ゴールドラッシュに沸いた
19世紀中葉からあるのでは?


上海料理だったり



広東料理だったり



古い洋館と赤提灯の妙



一角が街の一部として完全に
定着しているのを感じます。



ご当地版ウーバーイーツ

徒歩、自転車、バイクなど
あらゆる出前があるよう。


台湾スイーツのゴンチャの行列



黙々とポケモンを描いていた

チョークアーティスト


飲食店に混じってかなりの頻度で

不動産屋


日本語表記で怪しさ倍増(笑)



ここも西頭(ニシトウ)という

日本語名に相当無理が


店構えもまんま中華なのに。

ナゼ日本料理を装うのか


ここは作っているところが見え
人気店だそうですがやはり行列



並ばずに入れたコチラにしました。

上海小籠館


目玉焼き

まるで香港の即席めん朝ごはん
上海料理でこれ、アリですか?


野菜はタアサイでした。

パクチョイが来てほしかった。


小籠包



水餃子

上海料理で水餃子はほぼ反則技。
でもあったので頼みました。
すべて可もなく不可もなく(笑)


別の場所で行列ができていた店

「えっさっきの店の支店?」
と思った小籠館という名前。
でも、英語名が違うんですが


今回の滞在では行けませんでしたが、

華人博物館
ぜひ次回は行ってみましょう。


中華街の夜はまだまだ
続いていくようでした。





メルボルン行:未完のビクトリア州議事堂

2019年08月03日 | オーストラリア:メルボルン

聖パトリック大聖堂を出て


すぐ目についた立派な建物。

ビクトリア州議事堂


大きすぎて全体が撮れない(笑)

1855年に建設が始まり、
翌年には第1期工事終了


その後、何十年も建設が続いて
現在の姿になったそう。
1901~1927年の26年間は
メルボルンが臨時首都だったため
ここで連邦議会が開かれた
歴史的な場所でもあるそうです。


驚きなのはこの建物、

未完なんだそうな


1877年の設計によれば、
大きなドームと横にも別棟が
建設される予定でした。

(※当時の完成予想図)


1890年にほぼ現在の姿に。

上の写真と比べると
途中などがわかります。
(※写真はウィキペディアより)


しかし、1890年代に入るや
不況に陥り、その後の工事は
ついぞ着工されることがないまま
現在に至っているそうです。


1927年には連邦議会が
首都キャンベラに移り
連邦政府の予算で1929年に
現在の姿が完成しました。


1850年代のゴールドラッシュで
高まったメルボルンの地位は
時代の流れとともに変わり、
政治の中心をキャンベラに
経済の中心をシドニーに譲り


現在の経済規模でみると
シドニーがある
ニューサウスウェールズ州は
全国の約3分の1
メルボルンがある
ビクトリア州は
約4分の1


対面には1883年創業の

ホテル・ウィンザー


州名どおりビクトリア王朝の
古の栄華を今に伝える一角





メルボルン行:聖パトリック大聖堂

2019年08月02日 | オーストラリア:メルボルン

2017年10月の初メルボルン


壁画で埋め尽くされた
ホイザーレーンを出て街歩き。


5月のシドニー同様に、
街のあちこちにクレーンがあり
急ピッチで建設が進んでいました



見えてきた巨大なレシート
のようなオブジェ



女性参政権運動の碑
というそうで、英語名は
グレートペティション

オブジェは嘆願書を
かたどったものでした。


260メートルにもなった
膨大な嘆願書は、1891年に
ビクトリア州の女性3万人の
署名を集めて国会に提出され、
女性参政権運動の起点となった
重要なシンボルなんだそうです。


NZが世界初の女性参政権を
認めたのが1893年なので
それよりも2年前の事でした


しかし、ビクトリア州の女性が
参政権を得たのはその19年後の
1910年だったそうです。


すぐ近くのこぢんまりした
石造りの教会は



ドイツのルーテル教会でした。

さすがプロテスタント
質素で実用的な感じ。


その先の遠くからでも目立つ
天を突き刺すような尖塔を
頂くデーハーコテコテ教会は

聖パトリック大聖堂


さすがカトリック、派手です

80年以上かけて1939年に完成した


オーストラリア最大のゴシック建築

でもあるそうです。


オセアニアではなかなか

目にしない凝った造り


宗教とは無縁ながら、
建物を見るのが好きなので



教会でもお寺でもモスクでも
参観できるところには
積極的にお邪魔します。



立派なパイプオルガン

聴いてみたい


当時の建築技術の粋を集めた

ものなのでしょうが、


さすがにこの辺は輸入品(笑)



建国の人手不足と1930年前後の
大恐慌を乗り越えて

よくぞここまで
と思う反面、


この存在こそが大恐慌までの
バブルだったのかなぁとも

好景気でさぞや建設に向けての
献金も集まったことでしょう。


窓から漏れる光まで

オーストラリア色


庭もステキでした



街のど真ん中とは思えない

静かな一角


荘厳とみるか
威圧とみるか

宗教心のあるなしで
解釈が変わりそう。
どちらであっても
美しい教会でした。



メルボルン行:ストリートアートのホイザーレーン

2019年08月01日 | オーストラリア:メルボルン

8月に入ってもここでは
2017年10月(笑)
22ヵ月遅れからなかなか
脱せられません


デグレーブスストリートから
やってきたのは、すぐ近くの

ホイザーレーン


グラフィティから



壁画のレベルまで



通り全体が



ストリートアートで

埋め尽くされた


インスタ映えする(笑)

観光スポット


もちろん観光客多数で

写真を撮るのに
みんな行列


炸裂するパワーとカラー



3、4階の高さまで



梯子から描くんだろうか?



耳なし芳一の話ではないけれど



一片の余白もなく



ゴミ箱まで



これらは自治体の協賛を得て
定期的に描き直されるそう。

多少は規制もあるのか、


美しい青銅の紋章はそのままで

ちょっとホッとしました。


アートの領域であっても



自分の家や近所がこんなだったら

「絶対に嫌だな


と思うネガティブさもあり



刺々しさ、おどろおどろしさ



攻撃力、破壊力に満ちていながら



強い承認欲求も感じられ



それがまた息苦しさを

募らせる気がしました。


他の場所ではバンクシーの「作品」も

見られるそうです。


面白いけれどわざわざ来るのは

この1回だけになりそう。



(※トラの目にも見える窓の灯り)




メルボルン行:カフェ街デグレーブスストリート

2019年07月31日 | オーストラリア:メルボルン

メルボルンセントラルを出て

さらに街歩き


MEN

ということは、


LADIESも

トイレでした
慣れないと入るのに
勇気が要りそう。



新旧の建物が混在しています。



路面電車の線路

中心部の乗車は無料。
太っ腹


オークランドがこれを
目指しているのは
よくわかるけど、

道幅、直線的な街の造り、
接続できる公共交通機関など
相当足りないものがある


オーストラリアは歩道が広く、
これも公共交通機関利用が
進む一因になっているのか?

歩行者が多いせいか
露店も多いです。


オージーな感じ(笑)

カウボーイハットだし


メルボルンはギリシャや
イタリアからの移民が
多い街としても知られ

ヨーロッパのエスプリがある


向った先は、
メルボルンのシンボルとされる
フリンダースストリート駅

えっ


まさかの全面塗装中

ドームがかろうじて見えるぐらい。


まるで包帯でぐるぐる巻きにされた
マンガに出てくる怪我人のよう(笑)

国内初の近距離駅として1854年に開業。
当初は木造の小さな駅舎だったのが、
1909年にドームのある時計台付きの
アールヌーボー様式として完成


駅に平行するフリンダース通りは
目立って人通りが多い目抜き通りで
奥に向かって幾筋も路地が延びています。

やってきたのは
デグレーブスストリート


カフェ、レストラン、スイーツの店など

小さな店がひしめく通り。


通りの名を冠したいかにも老舗



ケーキが美味しそう



カフェカルチャーを感じる一角




ラテアートがないのが
逆にヨーロッパっぽい


店の呼び込みがあるのも

ヨーロッパっぽいかな?


雰囲気はあるけれど
観光地化しているせいか

なぜか落ち着きませんでした




メルボルン行:メルボルンセントラル

2019年07月30日 | オーストラリア:メルボルン

2017年10月の初メルボルン
ぶらぶら歩いて来たのは

メルボルンセントラル
という巨大なモール


ガラスのドームで覆われた
古いレンガの塔は
ショットタワーと呼ばれ



オーストラリアらしい
大きさと黄色っぽさ(笑)



古いレンガが美しい



ここはショットタワースクエアで

時計下は待ち合わせの
メッカなんでしょうね。


露店が並び

シドニーと比べると
人が少ないせいか


全般長閑な雰囲気



2時になったら音楽が鳴り始め



時計はからくり時計でした。



これでめいっぱいで

回転したりはしませんが
素朴な音色で可愛いです。


スルスル戻って

また1時間後かな?


その真下、スクエアの一等地では
新築住宅物件の分譲中

移住前の香港時代に
数限りなく見た光景。
シドニーでも見ました。


販売員も中華系でした。
(※シドニーも)

70~80年代の香港でこうした
販売モデルが確立され、
それが台湾やシンガポール、
東南アジアに広がり、
21世紀以降は中国も加わり
アジア一円こんな売り方に
なっていったのでは?


高層建築がほとんどない
NZでは目にしないせいか
シドニーやメルボルンの
「アジア化」が新鮮で
背後にあるアジアマネーの
存在を強く感じました。


三都物語はやっぱり

不動産に始まりました




メルボルン行:オーストラリア三都物語

2019年07月29日 | オーストラリア:メルボルン

何かと忙しかった2017年。


10月にはオーストラリアの
メルボルンへ
夫婦とも初めてでした。
(※国内のダニーデンでも
クライストチャーチでも

ありませんでした)


なぜヌーサでの物件購入直後の
ややこしい時期に旅行かというと
メルボルン行きは数ヵ月前に
決めて手配もしていました。


こんなに早くヌーサでの話が
決まるとは夢にも思わず、
「シドニーとメルボルンは
購入前に見ておきたい」

という気持ちから、
5月にシドニー
10月にメルボルン
と予定を立てていました。


これでブリスベンを含めて、
オーストラリアの三都物語完成
という段取りでした。


その上で、やっぱりヌーサなら
「ぜひヌーサで行こう
と思っていましたが、
2017年5月のシドニーは、
まさにバブルの絶頂
シドニーを追うメルボルンも
推して知るべしでした


9月にヌーサでの購入が実現し、
このメルボルン旅行は実質的に
消化試合になってしまいました


でも、旅行となったら来ますよ(笑)



内見を兼ねて、居住と宿泊施設を
兼ねた場所に滞在しました。



中心部へ徒歩圏内の便利な場所



出入りする人をみると

かなりが居住者のようでした。


そして驚くべき安普請(笑)

リビングから丸見えの
バス・トイレ


ガラスに曇シールを貼って
かろうじて目隠し
でも中の電気を点けると

ほぼほぼスケスケでした


早くもヌーサが恋しい件

まぁ地価の高い都会ですから、
比べようもないのですが。


ホテルを出て空腹で飛び込んだ

ベトナム料理店


混み合っていましたが、

食べて早々に猛烈な
化学調味料アレルギー反応


波乱含みの三都物語
最終章メルボルン
のスタートです