昨日は、よんどころない事情があって、新小岩のたつみ橋交差点の近くへ。
蔵前橋通りと平和橋通りが交差するところが、たつみ橋交差点です。
いまでは川も橋もなく、ただの広い交差点、そのあたりでは蔵前橋通りが陸橋になっています。
そこへ行くたびに思い浮かぶのが、わが庵は都の辰巳しかぞ住む、の和歌。
昨日も同様でしたが、いつもと違ったのは辰巳の方角が思い出せないこと。
たしか北の方角が子(ね)だったよな。
丑寅卯辰巳、と頭の中で時計回りして、東南だ!
でも、この「たつみ橋」はどこから見ての東南なのだろう?
もっとも方角とは限らないよね。川に架かる橋を順番に、子橋、丑橋、寅橋・・・とつけたのかも。
なら、なんで辰橋、巳橋じゃないの? そんなことわたしに訊かないで。
どうせ訊くなら、辰巳芸者のこと訊いて。
辰巳芸者というのは深川の芸者のことです。
深川は江戸の東南にあるから辰巳芸者。
知っているのはそれだけですけどね。
そういえば、神田川にも、たつみ橋がありました。
これはどうやら杉並の東南に位置する橋なので、たつみ橋と名付けたようです。
長いこと杉並に住み、練馬にも短期間ですが住んでいたので、あのあたりはけっこう詳しいのです。
神田川は、京王井の頭線とほぼ平行に流れていて、その水源が井の頭の池。
吉祥寺は昔からちょっと洒落た店などがあって、井の頭公園には爺もよく行きました。
神田川の支流が善福寺川。中野あたりで分かれて杉並、練馬を流れています。
この水源は善福寺池、ここも公園になっています。
このあたりは池が多くて、石神井池、石神井川もあります。
池が多いのはなぜなのか、そのうち調べてみたいと思います。
でも、辰巳から、なぜ、犬亥の方角まで来てしまったのでしょう。
たつみに戻って、蜀山人の狂歌。
わが庵はみやこの辰巳午ひつじ申酉戌亥子丑寅う治。