このところSNSと疎遠になって暇田老の名前も久しく使っていません。
けっこう愛着のある名前なので残念です。
特に、暇、という字というか、言葉が好きなんです。
暇こそわが人生…とまでは言いませんが。
ところで勉強する場のことをschool、学校といいます。
これはラテン語のschole(スコーレ)から来ているそうです。
そして、その意味するところは「暇」ということのようです。
暇だから勉強する、勉強するには暇がいる。
どちらが先かはともかく、暇=学ぶ、のつながりがあることは間違いなさそうです。
それでは何のために学ぶか。
たぶん、目的なんかなかったのだと思います。
知らないことを知るのが面白いから、好きだからやる、そういうことなのでしょう。
勉強なんかキライ、という子どもでも、好きなことならどんどんやる。
とにかく、面白い、好き、それが教育の原点だったと思います。
それがいつの間にか、役に立つ、出世する、金が儲かる・・・からになって来た。
日本では明治以来の教育がすでにそうだった、と指摘する人もいます。
その見方の妥当性はともかく、現在の教育は明らかに功利主義的に思えます。
実用的でなければ価値がない、というのではあまりにも貧しい。
歴史を振り返っても、金儲けしたいから、多くの発明・発見がなされたわけではないでしょう。
どのみち、ある程度の年齢になったら、出世や名誉や金とは縁遠くなります。
それでも知りたいこと、面白いこと、好きなこと、やりたいことはある。
毎日がスコーレでスクール、そんな暇田流人生を続けたいと思います。