一度、国会の傍聴に行きたいと思っています。
目的は、議員たちのヤジを聞くため、つまり、ヤジ聞き道中・・・・。
それは冗談ですが、今日はヤジを飛ばすことについて書いてみます。
きっかけは、過ちを繰り返して恥じない首相の度重なるヤジ。
さて、ヤジの語源は野次馬、さらに遡ると親父馬となります。
歳をとった馬は役に立たない、転じて、他人の邪魔をして騒ぎ立てるだけしか能のない人をさす。
わかったでしょ? 首相がヤジをとばすわけが。
若くてヤジをとばす人もいるけど、それはどうして?
歳をとっても役立つ馬がいるように、若くても能の無い馬はいる。人も同じ。ただそれだけのこと。
ほかに能がないから、ヤジをとばすってわけ? そう、能あるタカはヤジを言わない。
これだけでは消化不良でしょうから、もうちょっと続きを考えてみましょう。
ヤジを飛ばす人は、自分が優位に立ちたいと思う気持ちが異常に強いと思われます。
それが無意識のうちに働いて、ヤジで相手を従わせようとします。
無意識でやっていることですから本人も気づかず、何度も同じことを繰り返します。
なぜ、自分が優位に立ちたいか。素の自分に自信が無いからです。
なぜ、自分に自信が持てないか。何かしらの劣等感を抱えていて、それを人に見せたくないから。
一見、自信満々に見える人が、実は小心で臆病で・・・・というのはよくあることです。
自分の信念があるようでいて、実はその信念が何か、自分でもよくわかっていない。
こういう人は集団心理に左右されやすいところがあります。
集団になると思考停止に陥り、深く考えることもなく軽率な言動にはしってしまいます。
でも、いちばん本質的なことは、「言葉」に対する感覚の鈍感さ。
言葉の重みを理解していないので、自分が発する言葉そのものがどうしても軽くなります。
言葉が時として凶器になることも自覚できていないのではないでしょうか。
もちろん、ここに書いた言葉も、彼の人への凶器としては役に立たないでしょう。