近頃、終戦記念日はあまり使われず、「終戦の日」というのだそうです。
その日に、これまで使わなかった「反省」という言葉を天皇はなぜ使ったのでしょう。
わたしには、近頃の政情を憂えて、精一杯の牽制、警告だったようにも思えるのですが。
首相談話から一夜明け、賛否両論のコメントが新聞に載りました。
いちばん手厳しいと思ったのは、東大名誉教授の「冗長で、毒にも薬にもならない談話」。
長ければいいってもんじゃないよね、やっぱり。
談話をもう一度読んでみました(しつこいな)が、主語、主体が明確でないところが実に姑息です。
「反省」という言葉は一度だけ使っていますが、国がこれまでに表明してきた、という言い方。
つまり首相自身が反省しているわけではありません。
日本が新しい国際秩序への挑戦者になったという言い方もしています。
これって、早い話が、侵略した、ということでしょう。
倒錯した言い回し、こういう詭弁も首相の特徴ですから、誤魔化されてはいけませんです。
脱亜入欧、という言葉こそありませんが、日露戦争への言及もプラス・イメージへのこだわりから。
新聞には談話の英訳も併記されていましたが、正確な訳なのか判断できる能力がありません。
冗長かつ曖昧な日本語なので、どんなメッセージとして伝わるのかが心配です。
ただ、欧州あたりの新聞の論調だと、あまり好意的な評価ではないようです。
談話の不誠実さを嘆くべきか、翻訳の正確さを喜ぶべきか・・・・・・
ともかく、首相の歴史認識が危ういものであることだけはハッキリしている談話です。
歴史は続いています。戦争を知らない世代だからといって、戦争がなかった歴史にはできません。
「反省」にも、たぶん、これで反省しなくていいんだ、という期限は無いのでしょう。
実は、今日、わたしも天皇陛下を見習って、反省の弁を書くつもりでした。
が、なぜか談話に戻ってしまったので、反省の弁は明日に回します。