子どもの頃、先生や親に、鉛筆を舐めてはいけない、とよく叱られました。
舐めてから書くと文字が濃くなり、書きやすくなったからでした。
いまは鉛筆を使う機会がほとんどなくなったので、舐めることはありません。
ただ、社会人になって、「鉛筆を舐める」に別の意味があることを知りました。
予算を立てる時など、お金のつじつま合わせをすることをそう云います。
これも今は鉛筆で仕事する時代ではなくなりましたから、死語になっているかもしれません。
キチッとした根拠がなく、かなり大雑把でいい加減・・・・そんな時に使います。
もし、それが数字ではなく文章で書く場合だと、「作文をする」という云い方をしました。
どちらも、あることないこと取り混ぜた、ある意味ではでっち上げを含意します。
集団的自衛権の論議に、現実にはありそうもない事例が登場しました。
たぶん、お役人が机上の空論、アタマの中だけで作文をしたのではないか、と思っています。
お役所の予算編成の時なども「鉛筆を舐める」文化は、たぶん生きている気がします。
答えが先にあり、それに導くために嘘八百を書きならべる。
お役人のもっとも得意とするところで、みんなそのうちに誤魔化されてしまいます。
文言修正などで決着つける話ではないのですが、やはり最後は理より利に落ち着くのが常。
戦争が起きたら国のために戦うか?
それに、はい、と答えた日本人は15.6%だそうです。
そんな愛国心の無いことでどうする!
でも、戦争、2度とイヤだもんね。
集団自衛権行使に賛成の人たちは、きっと15.6%の中なのでしょう。
いや、それと自分が戦場に行く事とは別、わたしが行くわけではない。
行くのは他人、血を流し、死ぬのも他人・・・・わたしは国の為に死ねと命じるサイコ責任者。
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